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短歌は言葉を体験する――開化新題、『昭和萬葉集』、そして〈ステイホーム〉

たまたま目にした歌人の黒瀬珂瀾氏のツイート(第1節参照)が興味深かったので、連想したことをいくつか書いてみたいと思います。どうも短歌の文章というものは歌人が書くものが多いようなのですが、執筆者はあいにく短歌を詠むという経験がほとんどなくて(それでもたかだか二十数年の人生のなかに、人付き合いや行きがかりで一首詠む場面(*1)が数回は出てくるのだから、日本文化なるものは面白いなあと思ったりしますが)、現代短歌の近況はほとんど知りません。恥ずかしながら、あれこれと見落としている文脈はあると思います。

(1)〈ステイホーム〉この「普通」でない語

先に申し上げた黒瀬氏のツイートというのは下記の二点です。

〈短歌を投稿するみなさんへ〉ということなので、ある程度技術上の経験を経た歌人の場合には例外があるということでしょう。基本的には、黒瀬氏と、彼に選を仰ぐ投稿者……という指導関係の場での言説であると理解しておきます。近来の短歌選者のみなさんは新聞歌壇等で「コロナ責め」(?)に遭っているのではないかとお察しします。

発言の核心は、「断捨離」や「ステイホーム」といった新語を〈普通の語として無防備に使うのは詩としてあやうい〉というところでしょう。私なりに解釈しますと、新語は新語であるということ自体がニュアンスになっており、その点に「無防備」でいると、作者が自作のなかで働いている言葉の力学を見誤る(そしてスベる)ということが起こるのではないかと思いました。実際にはそれらの新語は「普通の語」ではない、という含意が当該のツイートにはあるように見受けます。

黒瀬氏のアドバイスが、選者としての経験から出てきているのか、あるいは短歌の歴史の反省から出てきているのかはさだかではありませんが、執筆者がここで連想したのは、近代短歌史は新語を「無防備」に使って失敗したところから出発した、という事実です。近代短歌史の歴史記述では、「開化新題」の歌などとして紹介されている事項になります。

(2)クソダサ認定された開化新題

開化新題の歌というのは、明治前期、開化の景物や新概念を題として取り入れた歌のことで、いわゆる旧派の作者たちによってアンソロジーが多数編まれました。管見の限りでは、たとえば岡部啓五郎編『明治好音集』(玉巌堂、明治8)、大久保忠保編『開化新題歌集』(金花堂、明治11)、佐々木弘綱編『明治開化和歌集』(東京府平民 山中市兵衛、明治14)などが板行されています。ここで実際に、大久保忠保編『開化新題歌集』を見てみましょう。ありがたいことに国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。

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読めねえ。和本リテラシー(Ⓒ中野三敏氏)がなくて情けねえ。

仕方がないので翻刻があるものを参照します。名門佐々木家の弘綱先生が編んだ『明治開化和歌集』は、『新日本古典文学大系 明治編 4  和歌・俳句・歌謡・音曲集』(岩波書店、2003)で久保田啓一氏が翻刻してくださっているのでこれを使わせてもらいます。例えばこんな歌が入っています。

鉄道
ひらけゆく人のさとりはくろがねの道の上にもいちしろき哉 大梁
軽気球
浮舟を風のまに〳〵廻し見んよしのゝの桜更科の月 直清

「鉄道」とか「軽気球」というのは歌の題です。このころの歌はだいたい題詠形式で詠まれていたようです。それぞれ見ていきますと、一首目は「くろがねの道」で「鉄道」を、二首目は「風のまにまに」ある「浮舟」で「軽気球」を、婉曲的に表現しています。「鉄道」「軽気球」と直接詠まないのはまだ歌ことばという規範が残っているからです。歌ことばというのは和語のうち卑俗ではないものです。なんにせよ、当時の歌人たち、文明開化にウキウキしてナウな時代をリードしようとしたわけですね。

しかしこれ後世の評価がすこぶる悪い。一例としては斎藤茂吉「明治大正和歌史」(『短歌講座 第一巻 歌史歌体篇』改造社、1931)の評言にこんなのがあります。〈従来の題に比べて尽く目新しいものであるが、歌の実質は新しくは未だなつてゐない。(…)題の説明に終るやうな興味本位、寧ろ開化興味本位の歌〉。新題歌にクソダサ認定をくだしています。のちに「アララギ」や「明星」が切り開いた近代短歌の歴史をよくよく知っている茂吉だからこそという部分はあると思いますが、茂吉以外の評価もだいたいこんなものです。

時代が急に動き出すことで続出する新しい言葉。それに飛びついて詠むとろくなことにならないという反省が、ここで生まれているわけです。残念ながら、「ステイホーム」で歴史は繰り返すのですが……(*2)。

(3)一方そのころ『昭和萬葉集』は

しかしまあこういう失敗例がある一方で、時代の空気をぞんぶんに吸ってなおかつ「読める」短歌というものも間違いなく存在します。そういうのは『昭和万葉集』を読むと出会えると思います。私、このシリーズ大好きなんですよねえ。家に全巻置いてあります。

『昭和万葉集』の概略は『日本大百科全書』に日高堯子氏が執筆しておられるので引用します。

歌集。20巻、別巻1。1979年(昭和54)2月から1980年12月にかけて講談社から刊行。編集顧問に土屋文明、土岐善麿、松村英一、選者には木俣修、窪田章一郎、佐藤佐太郎ら9名。昭和1年から半世紀にわたる激動の時代につくられた短歌を、時代を追って分類、配列した一大アンソロジー。収録歌は結社所属歌人からばかりでなく、広く一般から職業、年齢、有名無名を問わず求め、その数およそ8万2000首。戦中、戦後の過酷な時期はもとより、昭和50年間の時代変動とその時々の日本人の生活感情を記録する、いわば庶民の生の声の集大成といった観がある。各巻末に『昭和短歌史概論』、山田宗睦著『昭和史私論』、年表を付載。1980年に菊地寛賞受賞。(*3)

時代ごとに、さらにテーマが設定されているのが同叢書の特徴です。たとえば昭和48年の歌を収集した第18巻ですと、「汚れゆく日本」「日本さまざま」「戦争の傷跡」「老人と子ども」「生きゆく日々」「生活の歌」「きびしい農業」「仕事の歌」「はたらく人々」といった章立てになっており、公害問題、安保やベトナム戦争、受験戦争、老人痴呆、住宅問題といった世相が当時の短歌にどういう形で現れているのか、ということを知ることができます。

どれも興味深いのですが、このうち「生きゆく日々」のなかの小分類「わが家」に収められた次の歌などは印象的です。

コンクリートの壁隔て住む〈隣人〉とある日はともに水流し合う
荻野由紀子(昭2~)「塔」(48・5)

当時において「コンクリートの壁隔て住む」という表現はおそらく団地を連想させるものであったはずです。日本の住宅が木造からコンクリートに移行したのは、関東大震災からの復興に際して同潤会がコンクリート造のアパートを建築しはじめたことがきっかけですが、大量に建築が進んだのは1955年以降です。この年、戦後の住宅難を解決するために日本住宅公団が結成され、コンクリート造の団地が量産されるようになったのでした(*4)。

しばしば指摘されることですが、団地の登場によって、従来の地縁的なコミュニティーは破壊され、隣人の顔を知らない、という新しい生活感覚が現出しました。都市部では明治以来すでに起こっていたわけですが(*5)、郊外に住む中産階級の人々の、言ってみれば平凡な生活のなかにもこの感覚が入り込みはじめたのです。掲出歌の「〈隣人〉」は、そういう「〈隣人〉」とみて間違いないと思います。一般名詞である「隣人」が、山括弧でくくられて差異化されているからです。「コンクリート」に冷たく隔てられて「〈隣人〉」の顔も知らない生活への違和感を抱えつつも、キッチンに立っていると壁の向こうの流し台でも水を使う音が聞こえ、自分と毫も変わらない生活が「〈隣人〉」にもあるのだと確かめられて、ささやかな連帯を感じ取ることができる、そういう歌なのだと思います。

掲出歌に詠まれる「コンクリート」という語は、当時の団地生活を象徴するキーワードでした。コンクリートに囲まれた狭い住居空間に閉じこもった主婦が精神的なストレスを募らせている、という問題が当時すでに指摘されていたのです(*6)。語自体は、『日本国語大辞典 第二版』によりますと、1890年の『風俗画報』(第23号)にすでに用いられていますから、新語というわけではないのですが、当時きわめて特殊なニュアンスを有していた語ではありました。

掲出歌は、その「コンクリート」を詠み込むことで、世相を切り取っているわけですが、共有化され、類型化された言説にただ乗っかっているのではなく、下の句で「ある日はともに水流し合う」という救いが示されています。この点に、黒瀬氏のいうところの「批評」が見いだせるのではないかと思います。「ともに」という語が通常の使い方からずらされているのが技巧的です。

(4)読み手の力

執筆者はこれまで、『昭和萬葉集』を読んで、それぞれの短歌が帯びている時代性を分析し、分類できるのは後世の読者だよな、と考えていました。しかし、よく考えてみれば、こういう作業は同時代の微細なエピソードに詳しくないと取りこぼしがでてくるわけです。一首に使われている語を相対化して読むというやや難しい能力が必要になってくるのでしょうが、たとえば土岐友浩氏の論考「ウィルスと現代短歌」(砂子屋書房HP、「月のコラム」、2020年5月1日)、「続・ウィルスと現代短歌」(同2020年6月1日)は、非常にバランスよく歌を拾い、分類していると感じました。

教えられるところは多かったのですが、〈時さへも停(とどま)りがちの薔薇いろの闇にうかみてきゆる死の日は〉(吉田隼人)や〈マスクしてマスクはづして在る日々の白い春なり もうはなみづき〉(小島ゆかり)という歌に「客観的に見る自分の姿に、時間の経過を教えられる」さまを見てとり、〈飯を食ひそのまま床でうたたねをしてゐるうちに齢をとるかも〉(永田和宏)や〈赤と白、ロゼのワインを飲みついで自粛の春がくらり傾く〉(飯沼鮎子)という歌によって「変わってしまったのは、奪われてしまったのは、時間の感覚そのものではないだろうか」と知るくだり(「続・ウィルスと現代短歌」)などは、読み巧者の卓抜な分析だと思いました。

時代を経てから注釈するのとは異なる、生々しい感覚による分類です。情緒的になりすぎているきらいがないわけではないと思います。特に永田歌は、この一首だけでは時世を反映しているとは言い切れなさそうです。しかし、それを差し引いても、これらの歌から時間性という共通項を抽出して、〈ステイホーム〉の日々を過ごした記憶と結びつける注釈は、簡単にまねできるものではないと思いました。私もこういう注釈をつけてみたいものです。短歌というものは、すぐれた読者を得ることが大事なんだなあと実感します。

(5)以後雑談

以上、まとまりがあるようでぜんぜん結論がない、連想的な内容になってしまいましたが、黒瀬氏のツイートを読んで思ったことをあれこれと書いてみました。

私の持論ですが、言葉や表象は、どんなものであれ多かれ少なかれ時代性を帯びているものです。さいきん書きはじめたこのnoteでも、この思想を実践するためにいろいろと書いていこうと思っています(まだぜんぜんまともな記事がないんですが)。そのトレーニングとして、今後は『昭和萬葉集』の歌を随意に選んで注釈してゆくという作業を散発的に進めていこうかと思っています。短歌は五七五七七という短い詩なので、一首のなかには省略が多く、なにが省略されているのか、ということを考えることがそのまま注釈という作業になると考えています。

つもり、つもり、と頭の中で思っているだけでは前に進めないので、いっちょここに書いて自分にプレッシャーを掛けてみた次第です。

(*1)国語の宿題とかはみなさんご経験あるんじゃないかと思います。あとは旅行先の文学館に歌人の展示があって、じゃあおれたちも一首詠んでみようぜ、みたいな地獄の流れになったことがあります。
(*2)いきなり明治時代に時間を巻き戻してしまいましたが、おそらく似たような現象は、どの時代にも世相を反映する形で発生していたはずです。
(*3)JapanKnowledge版を参照しました。
(*4)JapanKnowledge版『日本大百科全書』、「団地」の項目。執筆者は小川正光氏。
(*5)1925年発表の江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」はそういう時代背景で書かれている作品ですね。
(*6)『大衆文化事典 縮刷版』(弘文堂、1994)の「団地」の項目。執筆者は石川弘義氏。

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