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150年前の論文を読む「書ハ美術ナラズ」③-後編(小山編最終話)

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左:書道家タケウチ 右上:書道家板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 右下:ジャズギタリストタナカ


「書ハ美術ナラズ」論文を読んでみる


150年ほど前の明治時代の論文。
「書は美術ならず」!? 小山正太郎vs岡倉天心
本記事は③-後編です。小山論文、本記事で完結!

①②③-前編は下のリンクよりどうぞ↓↓

小山正太郎「書ハ美術ナラス」
①東洋学芸雑誌8号172頁(1882[明治15]年5月)

東洋学芸雑誌9号205頁(1882[明治15]年6月)
東洋学芸雑誌10号227頁(1882[明治15]年7月)

▼岡倉覚三「書ハ美術ナラスノ論ヲ読ム」
東洋学芸雑誌11号261頁(1882[明治15]年8月)
東洋学芸雑誌12号296頁(1882[明治15]年9月)
東洋学芸雑誌15号397頁(1882[明治15]年8月)

※読者の方々は、基本的には現代語訳の方を読めば良いと思いますが、これは筆者の意訳です。読みやすいように、句読点の追加、改行、()書きの追加、などを適宜しております。
間違いや異論等もあるかと思います。その場合はコメント欄にてそっとご指摘くださいませ。

書き起こし(カタカナ→ひらがな、旧字体→新字体)

東洋学芸雑誌10号227頁(1882[明治15]年7月)

諸君試に想へ海外諸邦より聘を厚して礼を重ふして招待すへきや決して之れあらさるへきなり其作る所の書高価を以て陸続海外へ輸出すへきや決して之れあらさるへきなり人智を開導し百般学術の助となるへきや決して之れあらさるへきなり工芸を進むるの基と為て百般の事業振起すへきや決して之れあらさるへきなり然は則其益たる知るへきのみ小学に於て習字の教師に富むと諸所に於て写字生に乏しからさる等の事に過きさるなり而して此等の結果は吾前に所謂普通教育の一科として勧奨して可なる耳豈に故らに美術の名称を附して百方勧奨するを要せんや且夫れ万国博覧会を開くにあて欧米諸州の技術家心思を焦し工夫を凝らし数月間刻苦黽勉して作り出す所の精妙なる諸物を陳列し満堂相映する其中に本邦の書家一瞬間に塗抹する所の文字を出して是則我邦の美術なり同一に陳列すへしと云はヽ彼果して之を何とか謂ん如何にも精妙なりと感服すへきや将た吃驚して嘲笑すへきや且我か文字は汝か文字と形異なるに因て縦令ひ功用名称等は同一にもせよ特別に美術なりと云はヽ彼如何にも至当なりと称賛すへきや将た無学無知と侮弄すへきや恐くは嘲笑軽侮を免れさるへし知らす諸君は以て如何と為すや暴論者或は曰く外人は我書の趣味を知らす唯其評するに任す吾自玩愛するに因て美術と定むる耳と是れ痴漢の醜婦を娶て我妻は西施に譲らすと自得するの類なり実に抱腹に堪えす己れか妻を己れか評することなれは他人は肯て関せされとも遂に其嘲は免れさるへし且夫れ匾聯書幅は固と前人人に贈るに言を以てするに過きす彼之を受くる者其言の巧なるを賞し壁間に貼して来賓に示す然るに歳月の久しき漸く破損せんを恐れ且其意の厚き其句の妙なる空しく廃紙と為すに忍ひす於此処装して書幅と為し長く其の厚意を保続す是則書幅の因て起る所以なり然るに我邦の書家と自称する輩人に贈るに言を以てする能はすして唯其文字の形のみを真似し以て己れか一生の大業と為す実に恥ちさるの甚きなり若し洋人をして之を聞かしめは将た何とか謂はん今日開運日に進み百事実功を競ふの時に当ては宜く速かに此等の人をして実益の事業に就かしめさるへからす今日益々之れを奨励し益々此等の人を作らんと欲するか如きは実に其何故たるを知らさるなり余曾て旧博覧会審査官某氏に至るに偶々人あり八九歳の童子を携え来り曰く此児天才穎悟因て書家と為さんと欲す誰に就いて学はしむへきやと余心私に怪む後聞く所に由れは某書家に託し終日千字文を与て習字せしむと云ふ嗚呼学齢の児童をして普通の教育をも受けしめす才知発育の時に方り終日する所無く空く習字に従事せしむ其結果果して如何余又曾て下谷を過き書法学と題する招牌を掲げ児童を集めて書を教ゆる者あるを見る又浅草に書学と題する招牌あり本郷に書画教授と掲くるあり皆な児童を集めて書を教ゆ頃日に至て入学する者日に増加すと云ふ蓋し父兄たる者書家の重せらるヽを見書の貴重なるを聞き子弟をして転して之を学はしむる者多きに由てなり知らす芝に本所に四ツ谷に赤坂に幾多の招牌幾多の能書ありて幾何の児童を教育するを噫嘘前途に望みあるの児童頃日に至て陸続喬木を下て幽谷に入る者は抑ヽ又何そや父兄無知の致す所と雖も書を美術として勧奨するの結果に非る無きを保せんや此等の理由に因て考ふるに書を美術として勧奨するは到底其利を見さるなり且夫れ物本末あり事緩急あり本邦目下の景況を観るに百般の技術未た今日の如く衰退するはあらさるなり朝たに洋風の海外に売れ易きを聞くに俄に変して洋風に倣ひ夕に古器の洋人の嗜好に適するを聞けは又俄に変して古物に擬す何か故に売れ易き何か故に好に適するかをも究めす唯一時の流言を信して霧中に彷徨す試に図画の一例に就て云ふも洋画の巧妙なるを見て其の至り難きをも考えす忽ち従来の算研を擲て無法に油絵の具を塗抹し一洋人の探幽雪舟の画を誉むるを聞き忽ち又変して狩野者流を模す復た其何処の善何処の悪を問はす狩野流とさえあれは何ても可なりと思惟し額に軸に画として雪舟に擬せさるは無く図として探幽に模せさるはなし陶器の模様に漆器の模様に此々皆之に倣ふ西に僻し東に偏し其結局遂に己か固有の趣味を失ふに至て尚ほ知らさるなり何の業何の術を論せす今日の状勢実に皆然りと為す若し措て問はされは我邦の技芸十年を出てすして地を払ふに至らん嗚呼工芸の振興は富国の基早く研究の法を建て進歩の路を開き誘導奨励せさるへからす此時に方り悠々然博覧会に美術会に百方書を勧奨し百方書家を育成せんと欲するか如きは縦令ひ害なしとするも緩急宜しきを得たる者に非さるなり
尚ほ世論の迷を惹き起し来る所の源因を一言せんと欲したれとも時已に移るを以て暫く論を茲に停む余は已に世上の説の取るに足るさること書中に美術と名つくへき部分を含有せさること其美術の作用あらさること及ひ美術として勧奨するの利あらさることとを述へたり諸君此四者に就て徐に考察を給へは書の美術ならさることは自から明瞭なるへし位其処を得されは事固行はれす身下流に在れは言も亦用ゐられす振古然り博覧会に龍池会に学者に論士に新聞記者に書は美術なりとは今日世論の許す所なり後学浅識の一寒生其間に孤立して反対説を唱ふるとも到底世の憐笑を免れす独り世に容れられさるのみならす諸君も亦当さに信せられさるへし然れとも真理の在る所は衆寡と勢力とを以て判すへからす要するに是非曲直後世に至て始て定る諸君吾説に疑を抱かは冀くは二十年の後を待たれんことを


現代語訳(意訳)


諸君、試しに考えてみてください。海外の諸外国から手厚く、礼を尽くして招待されることがあるだろうか。決してそんなことはない。また、彼らが作った書を高価なものとして次々と海外に輸出することがあるだろうか。決してそんなことはない。人智を拓き、様々な学術の助けとなることがあるだろうか。決してない。工芸を進める基盤となって、様々な事業が振起することがあるだろうか。決してない。

そうならば、その利益を知るべきだ。小学校において習字の教師が沢山いて、各地に習字を習う生徒が少なくないことに過ぎない。これらの結果は、私が前に述べたように所謂普通教育の一科目としてのみ奨励するべきだ。いたずらに美術の名称を付けて方々に奨励する必要があろうか。

万国博覧会を開く際に、欧米諸国の技術者たちは心を砕き、工夫を凝らし、数か月間刻苦黽勉(びんべん 努め励むこと)して精巧な品々を展示し、会場を引き立てる。その中に、日本の書家が一瞬で塗抹した文字を出して、これが我が国の美術ですと同じように展示するとしたら、彼らはそれを何と言うだろうか。果たして精巧だと感服するだろうか、それとも驚いて嘲笑するだろうか。

私たちの文字はあなたたちの文字と形が異なるため、たとえその機能や名称が同じであっても、特別に美術と言うならば、彼らはそれをその通りだと称賛するだろうか、または無学無知と侮辱するだろうか。恐らく嘲笑や軽蔑を免れないだろう。

諸君はこのことをどう思うのか。暴論者は、「外国人は私たちの書の趣味を理解しない。(勝手に)評価するに任せる。私たちが愛玩するのだから美術と定めているだけだ」と言うかもしれない。

まるで愚かな男が醜い女を娶って、自分の妻は西施(中国の美人)に劣らないと自慢するようなものだ。実に抱腹に堪えない。自分の妻を自分で評価するのを他人はただ頷くだけで関心を持たず、結局は嘲笑を免れない。

また、匾聯書幅(掛け軸)は、元々人に贈るための言葉に過ぎなかった。受け取った人はその言葉の巧みさを賞賛し、壁に貼って来客に見せる。しかし歳月を経ると、破損を恐れ、またその意義深い言葉が美しく、廃紙としてしまうのも忍びない。そうして、表装して掛け軸にして長くその厚意を保つ。これが掛け軸の起源である。

しかし、我が国の書家と自称する人々は、人に贈るのに言葉を生み出すことができない、ただ文字の形を真似して、それを己の一生の大業としている。実に恥を知らないこと甚だしい。もし西洋人にこれを聞かせたら、何と言うだろうか。

今日、開運の日に進み、あらゆる実績を競う時代にあっては、速やかにこれらの人々を実益のある事業に就かすべきだ。今日ますますこれ(ただ文字の形を真似て大業としようとする人)を奨励し、ますますこれらの人々を育成しようとするようなことは、実にそれが何ゆえであるか分からない。

私はかつて旧博覧会の審査官であった際、偶然にも8,9歳の子供を連れてきた人がいて、その人は「この子は天才穎悟(ずば抜けた知的能力と独創性を持つ人)であるから書家にしたい、と誰に就いて学ばせるべきか」と尋ねました。

私は心の中で驚きました。後で聞いたところによると、某書家に託して終日千字文を与えて習字させていると言う。ああ、学齢の子供を普通の教育も受けさせず、才能が発育する時期に色々と見聞きすることもなく、空しく習字に従事させる。その結果は果たしてどうなのか。

私はまた、下谷を通り過ぎた際に「書法学」と題する看板を掲げ、子供を集めて書を教えている者を見た。また、浅草には「書学」と題する看板があり、本郷には「書画教授」と掲げる看板があり、皆子供を集めて書を教えている。最近では入学する者が日に日に増加していると言う。思うに、父兄である者が書家の重んぜられるのを見て、書の貴重さを聞き、子どもたちに書を学ばせることが多いからだ。

芝や本所、四ツ谷、赤坂には多くの看板があり、多くの能書があり、どれだけの子供たちを教育しているだろうか。ああ、前途有望な子供たちが最近次々と高い木を下りて幽谷に入るのはそもそも何故なのだろうか。父兄の無知のせいとはいえ、書を美術として奨励する結果ではないとは言えないのではないか。これらの理由から考えるに、書を美術として奨励することは到底利益を見出せない。

また、物事には本末があり、緩急がある。日本の目下の状況を見ると、あらゆる技術が今日のように衰退することはないのである。

朝には洋風のものが海外で売れやすいと聞けば急に洋風に倣い、夕には古器が西洋人の嗜好に適すると聞けばまた急に古物に似させます。何故売れやすいのか、何故嗜好に適するのかを究めず、一時の流言を信じて霧中に彷徨している。

試しに絵画の一例について言えば、洋画の巧妙さを見てその難しさを考えず、忽ち従来の算研を擲って無法に油絵の具を塗り、一人の西洋人が(狩野)探幽や雪舟の絵を誉めるのを聞いて、忽ちまた変わって狩野派を模倣する。再びその善悪を問わず、狩野派であれば何でも良いと思い、額に軸に絵として雪舟に似せないことはなく、図として探幽に模倣しないことは無い。陶器の模様や漆器の模様も皆これに倣う。西に阿り東に偏り、結局は自分の固有の趣味を失い、尚自分でもそのことを知らずにいる。

何の仕事や何の技術についても論じることはない。今日の状況は実に皆そのようなのである。もしこのまま放置すれば、我が国の技芸は十年も経たずに地に落ちるだろう。ああ、工芸の振興は富国の基である。早く研究の方法を確立し、進歩の道を開き、誘導奨励しなければならない。

この時にあって、悠々と博覧会や美術会で書を奨励し、書家を育成しようとするのは、たとえ害がないとしても、優先順位を鑑みたものではない。

尚、世論の迷いを引き起こす原因を一言述べたいと思うが、時が変わってきたので暫く論をここに留める。私は既に世間の説が取るに足らないこと、書に美術と名付けるべき部分が含まれていないこと、その美術の作用がないこと、美術として奨励する利がないことを述べた。

諸君、この四点について考察すれば、書が美術でないことは明らかであろう。地位がなければ事は行われず、身が下流にあれば言葉も用いられない。古来からそうである。博覧会や龍池会、学者や論士、新聞記者に、書は美術であると今日の世論が許すところだ。後学浅識の一寒生がその中で孤立して反対説を唱えたとしても、世の憐笑を免れない。独り世に容れられないだけでなく、皆さんも信じられないだろう。しかし、真理というものは衆寡(多数や少数)や勢力で判断すべきものではない。要するに是非曲直(正・不正)は後世に至って初めて定まるのである。諸君、私の説に疑いを抱くならば、二十年後を待ってください。




・・・終わった!!
色んな意味でツラかった・・・笑

しかしツラいのは一抹でも筆者の心の中に小山説を支持する気持ちがあるからに他ならないとも思います。

次は、論駁・岡倉天心編に進むか、小山説を一旦まとめるか。



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