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150年前の論文を読む「書ハ美術ナラズ」①

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左:書道家タケウチ 右上:書道家板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 右下:ジャズギタリストタナカ


原文を読んでみたい論文「書ハ美術ナラス」


さて、前回明治初期まであったカタカナを取り上げました。そもそもこれは1882年(明治15年)に出されたひとつの論文を読み始めたことによるもの。

今回はその、小山正太郎「書ハ美術ナラス」「書は美術ではない!!」という聞き捨てならない論文を読み進めていこうと思います。

▼小山正太郎(こやま しょうたろう)
1857‐1916年
明治時代の日本の武士、洋画家。画家としてよりは教育者として名高い。

Wikipediaより抜粋)

この論文は、東洋学芸雑誌(1881年10月に東洋学芸社から創刊、日本で最初の学術総合雑誌)に掲載、連載されたもの。小山氏の論文は3回にわたり掲載され、それを受けて岡倉天心(岡倉覚三)氏が論駁をしたというもの。

「書道は美術に当たらない」と言った小山氏に対して、「いやいや、そんなことはない」と反論したのが岡倉氏です。

小山正太郎「書ハ美術ナラス」
①東洋学芸雑誌8号172頁(1882[明治15]年5月)

東洋学芸雑誌9号205頁(1882[明治15]年6月)
東洋学芸雑誌10号227頁(1882[明治15]年7月)

▼岡倉覚三「書ハ美術ナラスノ論ヲ読ム」
東洋学芸雑誌11号261頁(1882[明治15]年8月)
東洋学芸雑誌12号296頁(1882[明治15]年9月)
東洋学芸雑誌15号397頁(1882[明治15]年8月)

この論文、というか、この論争自体は比較的有名?ですが、一般的にはこの件の決着はついていないという見方が多いようです。

また「書は美術ならず」というその強めの言葉だけが独り歩きしているように思うので、こうなったら原論文を読んでみよう・・・!と思った次第。でもネットを探しても原文がテキスト化はされていない、現代語訳(既に現代だから・・?)もない。

150年前の意見がどれほど現代に役立つかは分からないけれど・・・それでも書道家として読んでおきたい。

皆様は、基本的には現代語訳の方を読めば良いと思いますが、筆者の意訳です。読みやすいように、読点を句点に変える、改行、()書きの追加、などを適宜しております。
間違いや異論等もあるかと思います。その場合はコメント欄にてそっとご指摘くださると有難いです。



書き起こし(カタカナ→ひらがな、旧字体→新字体)


①東洋学芸雑誌8号172頁(1882[明治15]年5月)

昨明治十四年内国勧業博覧会に於て、書を美術の区域に入れられ卓見博識なる審査官等、一人の異論を称ふる者無く、次て有名なる龍池会に於ても、亦以て美術と為し、観古美術会を開く毎に、常に書を其の区域に入れ、剰へ工芸叢談と題する雑誌に載せて曰く、本邦の書に精美高雅実に人の応目を慰するに足り、固より欧州蟹行の字と同日にして論す可からす、故に吾輩は新に書を以て制形上の美術に加ふと、以て世上に公布せり、而して世間数多の学士、論者一人の之を非難する者無く、多くの新聞記者等も亦一言之に及ふ無し、夫れ博覧会は政府の建る所にして、最も識者の集る所なり、龍池会は我邦に於て最も有識、最も有名にして、朝野望みを属するの会なり、而して学士、論者、新聞記者は世の誤謬を匡し、文運を補導するの人なり、此三者已に怪まされは、誰か又之を非難する者あらんや、是れより後、世上靡然として其説に傾き、今日に至ては天下一人の之を怪む者なきに至れり、是れ実に諸君の知らるヽ所なり、然るに予独り私かに以為く、是れ大に過れりと、因て今夕茲に吾か過れりと為所以を、述へ、以て諸君に、質さんと欲す。
前に述ふる如く、目下世上に於ては一般に美術なりと称すれとも、其称する所は皆理由なき饒言に過きす、而して又其他種々索捜すれとも、更に美術なる理由を発見せさるなり、因て先つ始めに世上の説の許す可からさるを論し、次に分解するも美術と為すへき理由無きを述へ、次に美術として勧奨するの結果如何を論し、以て局を結はんとす、諸君先つこれを諒せよ。
書は美術なりと称する人の説に曰く、本邦の書は欧州蟹行文と異なり、美術といふへしと、是れ誤謬の第一なるもの也、夫れ書は固と言語の符号にして、他に作用あるに非す、上古の世、人民音声に因て言語を作り、互に意を通せしも、言語は一場に止まり、遠隔に達する能はす、於此已むを得之か符号を作て、之を久遠に達す、書は即ち此符号なり、故に其主旨たる唯た意を通するに在るのみ、書にして誤り無く意を通するを得は則ち書の職分畢れり、又他を問ふを要せさるなり然は則ち蟹行と云ひ、鳥跡と云ふとも、其主旨職分等に至ては、毫末も異なることなき也、唯た異なる所は形のみ而して、此形は固と創造者か一時の意匠より作る所にして、如何に作るとも他に影響あるものにあらす、実に末の末なるものなり、故に本来の主旨、職分等已に同しけれは、縦ひ末の末なる形に少異ありとも、それか為めに一は美術にして、一は美術ならすというふか如き、大区別の其間に生するの理は万々なき所なり、譬へは猶ほ人のことし、我邦人は頭髪黒く、頬骨高く、欧州人の碧眼紅毛と、其形小異ありと雖も、それか為め人類中より擢て、独り神仙中に入れへしと云ふか如き区別は決して附す可からさるなり、主旨功用等の如何を問はす、唯た末の末なる形に由て、区別を立つるは、是れ嘉永年代に黒船とさえ云へは、商船にもあれ、飛脚船にもあれ、其形の我船と異なるか為めに、一概に軍艦と思ひしと一般の見なり、又曰く我邦の書は趣味あるに由て美術なりと、是れ亦妄言の甚きものなり、凡宇内の万物一として多少趣味あらさるは無し、若し趣味あるに由て美術なりとせは、吾人四面の諸物一として美術ならさるは無し、復た美術と称する区別を要せさるなく、例へは此卓子の如き、此燭台の如き、此水指の如き此「こつぷ」の如き、皆多少趣味あるものなり、豈に之を尽く美術と称すへけんや、且夫れ諸君の知らるヽ如く、蟹行文にも無量の趣味あり、鵞筆を以て疾書せしは我草書と同く、巧みに曲折せし花文字は、我篆書と同く、其趣味彼是相異ならさるなり、故に若し趣味あるに由て美術なりとせは、蟹行文を第一に美術とせさるへからす、
又曰く本邦の書は人の心目を慰め、人々之を愛玩するに因て美術なりと、是れ亦知らさるものヽ言なり、本邦人の書を愛玩するや、真に書を愛玩するか如くなれとも、詳に之を究むれは、実は書のみを愛するに非るなり、故に其愛玩する所以を分解すれは、則ち人々同しからす、或は其語句の己の意に適するよりして之を愛し、(扁額及ひ連等は最も然り)或は其人を慕ふの余り、手蹟の存する所として之を愛し、(文山東坡象山南洲等の書を愛するの類)或は年数を歴し所より、古物として之を愛し、(古代の書類を愛する類)或は世上に稀にして得難き所より、奇品として之を愛し(弁慶の請取、清正の書簡の類)或は慣習に由て之を愛し、(趣味を解せさる人も、向ほ座間に掛くる類)或は就て学はん為め模範として之を愛す(書を嗜む人の古帖法を愛するの類)るの類、尚細に区別すれは枚挙に暇あらす、人々愛する所の同しからさる如此し、由是観之は、人々書を愛する雖とも、真に書を愛するに非すして、愛する所多くは他に在るなり、故に書は唯た他を愛するの媒妁たるに過きすと云ふも或は可なるのみ、今若し卑しむへき一漢ありて、嫌ふへき一語を書せは、其書巧みなりとも、恐くは座間に掛けて愛玩する者無かるへし、之に反して数百年前の書、若くは豪傑の書の如きは、其巧拙を問はす、一紙一箋人争て購求するに非すや、亦以て邦人の愛する所、多くは書家若くは平時書を嗜むの人、能書を見る時は真に心目を慰め、己も亦之を愛する、是固より然り、然れとも是れ己を利するの点より、心を慰むる者にして決して、美術上の歓喜より愛する者に非るなり、故に古物家の瓦片を見て心を慰むると同様にして、是れのみを以て決して一般に人心を慰め、人々之を愛玩すとは云ふ可からさるなり、且仮に人心を慰め、人々之を愛玩すると為すとも、尚ほ之を以て美術なりとは云ふ能はす、凡そ物の精なるもの、巧なるものは、皆人目を慰め人も亦之を愛玩するものなり、独り書而已に非るなり、例へは骨董、盆栽の類の如き、皆人目を慰め、人の愛玩する所なり、豈に之を尽く美術の区域に入るへけんや、
又曰く本邦の書は房室の装飾に供する、欧米に於て書を用ゆるか如し、因て美術なりと、是れ亦論する迄も無き妄の妄なるものなり、例へは敷物の如き、壁色の如き、皆室内の装飾に供するものなり、豈に之を尽く美術なりと云ふへけんや、
又曰く本邦の書は、古より書画同体と称し、画は書を助け、書は画を助け固より同根同種なり、故に画を美術とせは、書も又美術なりと、是必す文人画の題字を以て、画の位置を助くるより起りし説なるへし、実に笑ふへきの至りなり、往古倉頡の創めて言語の符号を作るに当ては、多少画力を借り、万物の形に象りて作りしなるへしと雖とも、已に作りし以上は形に由て其意を覚るに非す、唯た符号として解する而已、況んや爾来数ヽ変更せしに於ておや、若し主旨、功用、名称等の大に異なる、今日に於て猶ほ同種なりと云はヽ、是れ木綿を以て衣を製し、衣服は植物なりと云類なり、
又曰く本邦の書は、人心を感動するに因て美術なりとこれ亦た笑ふへきの言なり、今若し落花遊糸白日静か、鳴鳩乳燕青春深、と書する一書幅あらは、之に対する者、或は春晩暖日の想ひを為すへし、其人心を感動すること無しとは云ふへからす、然れとも其吾人を感動する者は何なりとやと尋ぬれは、則詩句の力にして、書の力に非るなり、故に如何に巧みなる書なりとも、不通の誤を記せは、人心を感する無く、拙き書なりとも、名文、名句を記せは、人心を感するや必せり、又一体の書風を以て、種々の詩文を記すときは、其詩文に随て読者の感情を異にすへし、此に由り之を観れは、人心を感動するは詩文にして、書に非ざるや明かなり、
以上の諸説は目下世上に於て、書を美術なりと称する人の説なり、余又曾て某官、及ひ某会員に就て、親く質せしに、此他には復た一の説なし、而して此説は以上已に論する如く、一も取るに足らす、故に曰く目下世上に於て美術なりと称するの説は、理由なき饒言に過きさるなりと、(未完)


現代語訳(意訳)


昨年明治14年、国内勧業博覧会において、書は美術の区域に入れられ、卓見博識である審査官等に一人の異論を唱える者はない。
次いで有名な龍池会(のち日本美術協会)においても、また書を美術とし、観古美術会(龍池会主催)を開くごとに、常に書をその区域に入れる。

さらに、「工芸叢談」と題する雑誌は、日本の書は精美高雅で人の心を癒すものであり、もとより西洋の横書きの文字と同じとして論ずるべきではない、だから新たに書を制形上の(?)美術に加える、と言う。そうして世間に出版している。

そして多くの学者や論者の一人もこのことを非難する者が無く、多くの新聞記者等も一言もこのことに言及しない。各々の博覧会は政府が行うことであって最も識者が集まっており(龍池会は日本において最も有識、最も有名であり、世間の希望を託される会である)、学士・論者・新聞記者は世の中の誤りを正し、文化・文明が発展しようとする気運を導く存在である。三者が疑ってくれないなら、誰が非難するであろうか(疑ってくれるのか)。

その後、世の中がこの説に靡き、今日に至っては、世の中の一人もこれを疑う者がいなくなってしまった。(書が美術であるという説は)実に皆が知っていることである。

それにも関わらず私ひとりがひそかに思っていることには、このことは大いに間違っている。よって、今宵ここに私が(書が美術であることが)誤っているという理由を述べるので、皆への質問としたい。

前に述べたように、目下世間においては一般に書は美術であると称しているが、それは皆理由のない饒言に過ぎず、そして色々と理由を探してみても、書が美術である理由を発見できないのである。

よってまず初めに世間の説を許すべきでないことを論じ、次に分解して美術であるべき理由がないことを述べ、次に美術として勧奨した結果のほどを論じ、そして結論を出したい。皆にはまずこれらを分かっておいていただきたい。

書は美術であると称する人の説では、日本の書は西洋の横書き文字と異なるから美術と言うべきだ、と言う。

これは誤りの第一のものである。そもそも書は元々言語の符号であって、他に作用があるものではない。

古の時代では、人は音声によって言語を作り、互いに意思疎通をしたが、言語はその場でとどまり、遠隔に伝わることはできない。そこでやむを得ず、言語の符号を作って、これを遠くに伝えた。

書はすなわち符号である。だから、その主旨はただ意を通すことだけにある。書で誤りなく意を通すことができれば、すなわち書の役目は終わりである。また他のことを問うことも必要ない。そうであるならば横書き文字であっても、鳥跡(漢字)であっても、すなわちその主旨や役目等に至っては、少しも異なることは無いのである。一つ異なるところは、形のみだ。

この形は元々創造者が一時の意匠から作ったものであり、どのようにして作ったとしても、他に影響のあるものではない。実に些末なことである。

だから、(文字の持つ)本来の主旨、役目等は既に同じであるので、たとえ(文字の)末端の形に多少違いがあっても、そのために、一つは美術であり、一つは美術ではないと言うかのような、大区別の間に生ずる理(ことわり)は全く無いのである。

人に例えるならば、日本人は頭髪が黒く、頬骨が高く、欧州人の青い眼や赤い髪と、その形には多少差異があると言っても、そのために人々の中でひときわ優れていて、一人神仙の中に入れるべきだというような区別は決してするべきではない。

主旨や効用等の如何を問わず、ただ些末な形によって、区別をするのは、嘉永年代に黒船とさえ言えば、商船であっても飛脚船であっても、その形が自分たちの船と異なるから一概に軍艦と思うのと同じである。

また、日本人の書は趣があるから美術であると言うが、これはまた甚だしい妄言である。およそ宇宙の万物の一つに多少の趣きが無いものはない。もし趣きがあるから美術であるとするならば、我々身の回りにあるすべての物も同じく美術でないものはない。美術と称し区別する必要はないのではないか。

例えばこのテーブルのように、この燭台のように、この水差しのように、この「コップ」のように、皆多少の趣きがある物である。どうしてこれをことごとく美術と称することができようか。

且つ、そもそも皆が知っているように、横書き文字にも無量の趣きがあり、ペンで速書きすれば、我々の草書と同じだ。巧みに曲折する花文字は、我々の篆書と同じだ。その趣きはあれもこれも異なるものではない。

だから、もし趣きがあるからと言って美術であるとするならば、横書き文字を第一に美術としなければならない。

また日本の書は人の心を癒し、人々はこれを愛でるから美術であると言うが、これはまた知らない者の発言である。日本人が書を愛でるするのは、真に書を愛でているかのようだが、詳らかにこれを追求すれば、実は書のみを愛しているのではないのである。その愛でる理由を読み解いてみれば、皆同じ理由ではない。

ある人は、その語句が自分の意に適うからこれを愛し(扁額および連等は最も然り)、ある人はその人を慕っているあまり、その人の筆跡があるとしてこれを愛し(佐々木文山、蘇東坡、佐久間象山、南洲(西郷隆盛)らの書を愛するなど)、古い物としてこれを愛し(古代の書物を愛するなど)、ある人は世間において稀にも得難い珍品としてこれを愛し(武蔵坊弁慶の請取、加藤清正の書簡など)、ある人は慣習によってこれを愛し(趣が分からない人も床の間に書を掛けるなど)、ある人は世間に同調してこれを愛しその時々の流行の書を好むなど)、あるいは師として学ぶための模範としてこれを愛す(書をたしなむ人が古典法帖を愛するなど)るなど、細かく区別すれば枚挙にいとまがない。

人々が書を愛する理由は同じでないことがこのように分かる。以上のように、人々が書を愛すると言っても、本当に書そのものを愛しているのではなく、愛する理由は他にあるのである。だから書はただ他の理由で愛する触媒であるにすぎないと言えるのかもしれない。

今もし卑しむべき男がいて嫌な言葉を書けば、その書が巧みであったとしても、おそらくは床の間に掛けて愛でる者はないだろう。これに反して数百年前の書、もしくは豪傑の書のようなものは、上手下手を問わず、一枚一枚求め争って購入されるのではないか。

日本人が愛するのは、多くは書そのものではなく、他にあると言うことを証明するには十分である。

論者は言うだろう、書家や平時書を嗜む人が、能書(良い書)を見ると本当に心を癒され、書を愛するのは当然のことだ。しかしながら、それは自分の利益の観点から心を慰められている者であり、決して美術上の歓喜によって愛している者とは言えない。

だから、骨董家は家の瓦の欠片を見て心を癒すのと同様であり、これだけでは決して一般の人の心を慰し、彼らがこれを愛でるとは言えないだろう。

また仮に人の心を癒し、人々がこれを愛でるとなっても、これを美術であると言うことはできない。精緻な物、巧みである物は皆、人の心を癒し、人もまたこれを愛でる。それは書のみに言えることではないのだ。

たとえば骨董、盆栽などのようなものは、人の目を癒し、人が愛でるものだ。どうしてこれをことごとく美術の区域に入れることができようか。

また日本の書は部屋の装飾に使われる。欧米においては絵を用いるようなものである。だから美術であると、これはまた論ずるまでもない妄言中の妄言である。

例えば敷物のように、壁色のように、皆室内の装飾に使うものである。どうしてこれをことごとく美術であるということができようか。

また日本の書は、古来から書画同体と称し、絵は書を助け、書は絵を助け、元から同根同種であると言う。だから絵を美術とするならば、書もまた美術であると。これは必ず文人画の題字において、絵の位置を助けることから起こった説であるだろう。実に笑止なことだ。

太古に蒼頡(そうけつ。漢字を作ったと言われる伝説上の人物)が初めて言語の符号を作るにあたっては、多少画力を借り、万物の形に象った作ったのだろうと言えども、既に作られてからは、物の形でその意味を覚えているわけではない。ただ符号して解釈しているだけだ。ましてこれまで数々変更されてきたことにおいても、もし文字は主旨・効用・名称等が大きく異なるものと。

今日においてなお同種であると言うならば、これは木綿で衣服を作っているから、衣服は植物であるというようなものである。

また、日本の書は、人の心を感動させるから美術であると言うのは、またこれは笑うべき発言である。

今もし、「落花遊糸白日静 鳴鳩乳燕青春深」と書かれた書の一幅があったとしたら、これに対してある人は、晩春の暖かい日の思いがするでしょう。その人の心を感動することが無いと言うわけではない。しかし、その人を感動させるものは何であるかと尋ねれば、すなわち詩句の力であって、書の力ではないのである。

だからいかに巧みな書であったとしても、通じない誤りの言葉を記せば、人は感動することは無く、拙い書であっても、名文・名句を記せば、人の心を感心させられる。また同じ書風で色々な詩文を書けば、その詩文に従って読者は感情を変えるだろう。このことから、人の心を感動するのは詩文であって、書そのものではないことが明らかである。

以上の諸説は目下世間において、書を美術であると称する人の説であって、私が、かつて某役員・某会員に就いて、直に質問したところ、これの他には一つも説が無かった。そして、この説はここまで論じてきたように、取るに足らないもので、ゆえに目下世間において書を美術であると称する説は、理由なき饒言に過ぎない。(未完)



第1章はこれで終わり。
続きます・・・!

惜しむらくは、小山さん、美術とは何ぞや、という定義がないこと。
「美術上の歓喜」、気になる・・・!





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