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最も古い漢数字(一二三四五六七八九)はどう書いた?~古代文字の変遷~

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今回は、私たちの使う漢数字(一二三四五六七八九)の成り立ちを見ていきます。




古代文字の変遷


まずは、古代中国で発生した古代文字についてざっくり見ておきましょう。

紀元前1300年ごろ、殷の時代(紀元前1600-紀元前1100年頃)に黄河のほとりで漢字の起源「甲骨文字」が生まれました。

亀甲に刻まれた甲骨文字(出典:青銅器に刻まれた金文(出典:Wikipedia))

「甲骨文字」はその名の通り、亀の甲羅や牛の骨などに硬い何か(実際にどんなもので書いていたのかは今も確とは分かっていないそう)で引っかいて文字を刻んでいました。

この頃、王は強大な力を持ち、神聖な儀式によって神の声を聴き、政治に反映させていたと言われています。この儀式、言い換えれば「占い」に使われたのが亀の甲羅など。その占いの結果を甲羅に刻んでいました。

その後、殷と周(紀元前1046年頃-紀元前256年)の時代に、「金文」という文字ができます。と言っても字体が大きく変わるわけではなく、刻まれる対象物が青銅器になったものを言います。石に刻まれることもあり、これを「石文」と言います。合わせて「金石文」と言うことも。

青銅器に刻まれた金文(出典:Wikipedia

ちなみに、亀の甲羅に刻んだ方法が分からなければ、青銅器に刻んだ方法も現在まで解明されていません。

続いて、秦(紀元前905-紀元前206年)の時代になり、紀元前221年に初めて始皇帝が統一国家を実現。その際に、国を治める重要な政策として文字の統一が行われました。文字が整理され、篆書体の一種である「小篆」という字体が生まれ、秦の正式な書体となったのです。

秦代の前、文字は各国によって微妙に違っていた。例えば「馬」はこんな感じ。
数字 (ずかん)(中村 滋 (監修)2019年)p.71

その後、漢(紀元前206-220年)の時代には、扱う文書も文字も増えてきて、より書きやすい書体が求められるようになりました。隷書体、行書体、草書体、そして楷書体へと発展を遂げていったのがこの頃です。

また筆記具は筆と墨で、木片や竹などに書いていましたが、100年頃には蔡倫(さいりん 63-121年)によって紙が発明され、普及していきました。


漢数字の変遷


さて、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,100,1000,10000を古い順から並べてみましょう。

フリーフォントにより制作

ローマ数字のような「五」、「十」じゃん!という「七」、「1」じゃん!という甲骨文字の「十」など、頭がこんがらがってきそうです。

これを見ると、何か硬い物に引っかいて書いていたところから、筆に適した書体に変化していったことが見て取れると思います。

ちなみに「九」はメスの竜が体を曲げている形、「万」はサソリの形を模しているのだとか。

漢の時代に楷書体は成立していたわけですが、それ以降、数字の漢字の形は今に至るまでほとんど変わっていません。

前回の記事で見た西アフリカのリベリアの数字は19世紀に入ってから作られたそうですが、私たちの使う漢数字はもはや1800年くらいも変わらずに使い続けられています。


普段何の気なしに使っている漢数字。いや、今やアラビア数字に押され、古臭いとかなんか面倒とか思われる存在かもしれません。でも、こうして歴史を見てみれば、悠久の時を感じられてちょっと胸アツ・・・じゃない?


《世界の数字シリーズ》


参考文献:数字 (ずかん)(中村 滋 (監修)2019年)


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