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蟹座の女、海に戻る。

疲れたなと思う時、私は無性に海に行きたくなる。
押し寄せては引いていく波と、柔らかそうで意外と素足で歩くと痛い砂の感触が心の中を洗ってくれるような気がするからだ。

まるでファーストフードの注文のように選ばされた「父さんと母さんどっちと暮らしたい?」という選択肢。

17歳の頃、私の家族はバラバラになった。
お金が原因で両親は離婚、兄は隣の県の大学へ進学し家を出た。

かしこまって話す事もなく『昼ごはん代テーブルの上にあるから。あと、母さんと父さん離婚するけどあんたどっちと暮らしたい?」と母が手鏡に向かいまつ毛にマスカラを乗せながらそう言った。私はそんな母が嫌いだった。母もまた父親にそっくりな私の事を嫌っていた。だから結果は考えるまでもなく父との暮らしだったのだが、口から出たのはなぜだか「母さんと暮らすよ」という言葉だった。

「え?そうなの?」
母も私と同じくまさかの答えに驚いていた。それから目まぐるしく環境が変わった。住み慣れた家を出て引っ越したのはエレベーターもついていないアパートで今までの暮らしの上質さを初めて思い知った。
当たり前に進学できると思っていた専門学校へも行けず就職する事を選んだ。
母の横には父という男性が、父の横には母という女性がいる事が当たり前だと思っていた価値観も覆る事になった。新しい人生は17歳の心を壊すには充分な程ハードモードだった。

いつもと同じ朝、目が覚めるといつもより体がずっしりと重かった。そして胸の辺りが丸く切り抜かれてしまったような違和感があった。

心にぽっかりと穴が開く

まさにそんな感じがして怖くなった。
それでも身についた習慣でベッドから起き上がって制服に着替えて家を出た。
学校に向かうまでの電車の中でふと「海に行こう」と思い立ち、学校の最寄駅を見送った。
一つ一つ窓から見える景色が知らない町へと変わっていった頃、海らしきものが見えて電車を降りた。サァーっと波の音が聞こえてきた時、全身に入っていた力が一気に抜けた。改札を出て、波の音が聞こえる方へとがむしゃらに向かった。
海が見えると履いていたローファーを脱いで裸足になった。
ふかふかに見えた砂浜は思っていたよりも硬くて歩くたびに足にピリッとした痛みが走ったけれど心地の良い痛みだった。 波打ち際のぎりぎりまで歩いて行き腰をおろした。
それからどれ位の時間海を見つめて居たのだろうか、帰る頃には少し空の色が変わっていたと思う。

誰にぶつけたらいいのかわからない、なんで呼ぶのかもわからない感情を持て余していた17歳の女子高生はその日壊れた心の直し方を海で見つけた。

それからは、どれだけ心が折れようが構わなかった。
砕け散った自分の心の在処を知ったから。

海は私の心の居場所で、帰る場所なのだ。
それがわたしと海の物語。


これは海物語。



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