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第22回|エム・アール・ピー 増渕隆宏さんインタビュー【前編】
こんにちは。
「大谷でできることを増やす場所」OHYA BASEの管理人です。
最近は暖かくなってきて、観光のお客さんの姿も増えてきた大谷町。
街に活気があってうれしい。
さて、今回のnoteは OHYA UNDERGROUNDを運営するLLPチイキカチ計画から、アウトドアアクティビティ事業者 有限会社エム・アール・ピー代表・増渕隆宏さんインタビュー【前編】です。
今さらですが、LLPチイキカチ計画は、地域資源を活用しそれぞれの専門分野で事業展開している栃木県内の4社で構成されております。
ぜひ ビルススタジオ塩田さん、ネイチャープラネット坂内さんらの記事も併せてご覧ください。
それでは早速、増渕さんインタビュー、行ってみましょう!
アウトドアアクティビティNAOCのゴリです!
ゴリです。
宇都宮育ちです。
はい、有限会社エム・アール・ピー代表・増渕隆宏さんですー。
でもみんなガイドネーム「ゴリさん」で呼びますよね。
ちなみに「ゴリ」の名付け親は?
事業をスタートして最初の年に来てくれたお客さん。
名付けっていうか突然呼ばれたんだよね「ゴリ」って、笑。
もともとのガイドネームは違ったんだけど…なんだっけな、覚えてない。
初めて来るお客さんともそれぐらい仲良くなっちゃう仕事をしています、笑。
NAOCという事業体で日光エリアを中心にアウトドアアクティビティサービスなどをやってます。
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NAOCと言えば、鬼怒川ラフティングですよね!
わたしも夏に2度遊びに行きましたが、めちゃくちゃ気持ちよくて楽しかった。
他にはどんな事業を展開しているんでしょう?
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でも気持ちよくて結局ずっと水の中にいる子も、笑。
あおぞらきっずという子どもたち向けの野外活動や外遊び。
アウトドアの事業を始めた時にいちばんやりたかったことって、実は子どもたちの活動だったんだよね。
それが創業から10年ぐらい経ってやっと実現できて、今は12年目?とかかな。
活動が育ってきてるなという感じはしてます。
最近はその中で Re-kaiスクールっていうのを始めたりもして。
季節を感じたりしながら、外の活動や遊びで得られるものを味わってもらえたら、と。
昔は道草って当たり前にしてたんだけど、今はそれができる時代じゃなくなっちゃって。
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行きは登校班、帰りは下校班。
保護者の見守りは、ある意味では監視の目だったりもする。
道草って自分が好きなことをできる時間であり、自分の世界だった。
今日は何しようかなって、例えば神社の縁の下に行ってアリジゴク探して帰ろうとか。
そうすると「ここにはいる」「あれ、ここにはいないんだ」から始まり、地面を見てると「今日は寒いから霜柱ができる」とかにも気付けた。
そういう気付きって大事だな、って思って。
そのためにはまずは自分の好きなことをやれる場が必要だな、と。
そういう環境を整えたいと思ってスタートしました。
宇都宮市内の長岡っていう里山がメインフィールドで、カリキュラムはないけど二十四節季・七十二候っていう季節の考え方を土台にしてます。
移り変わっていく季節の話をして、フィールドで季節のものを探してみたりして。
記憶のどこかに「そんなこと言ってたな」って覚えててくれたら、って思ってます。
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あとはSATOYAMA ACADEMYっていうのもやってる。
これは子どもだけじゃなく家族で自然体験を味わってほしくて始めた。
都会に暮らしていたり忙しくしていたり、周りの景色が見えないような生活になっちゃってるなと思ってる人たちにありのままの里山を体験してもらう、みたいなもの。
収穫体験したりもするんだけど、木を切って薪を作ったり…でいつの間にか里山の整備をさせられてたりする…けどそれが楽しい、とか、笑。
毎月1回東京から栃木に来て、自然体験をして気持ちよく帰る、ということをしているファミリーが実際にいたりします。
今日も充実した外遊びができた、って。
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少年時代は八幡山が道草フィールド。外遊びの中に「物事の本質」を学ぶ機会があるかも。
さっき出た「道草」っていうワードが気になります。
あっち行ったりこっち行ったり、ちょっとした冒険するのが好きだった。
実家が県庁のすぐ東側にあって昭和小に通ってたから、まぁ、宇都宮の市街地だよね。
でもそこには八幡山があったんですよ。
通学路ではないんだけど、わざわざ八幡山を通って帰る、笑。
県庁の後ろのトンネルもなかった時代ね。
八幡山を通り抜けるとちょっとだけショートカットできたし、うねうねした道を通って遊べるところもいっぱいあって、ただ道路を歩くより全然楽しい。
八幡山側から県立図書館に入って、2階のベランダから出ると竹林があって、その竹林を抜けて柵をよじ登るとうちに着く、それがゴールデンルートだった。
怒られないかなというドキドキ感も楽しんでたんだと思う。
怒られたことは一度もなかったけど、笑。
でも自分が子ども時代に楽しかったことが、だんだん世の中からなくなってきてる、って感じていて。
特別子ども好きってわけじゃなかったけど、一緒にそういうのを味わいたいなって子どものアウトドア体験をやってるのかもしれない。
インドアの遊びを否定することはないし、それもあるべきことだし、なんならそういうデジタル機器だって上手に使えないといけない世の中だし。
でも最近「物事の本質」みたいなものが見えづらくなってきてるのかな、と思うことがある。
やってるつもり、知ってるつもり、みたいなのあるよね。
例えば焚き火とか。
「知ってる、焚き火でしょ?」って、言うんだけど。
ライターとかマッチは点けられるかもしれないけど、点けてみたら紙しか燃えない、薪につかない。
「あれ、これどうやるの?」って。
わかる、笑!
最近はわたしも薪ストーブをスムーズに使えるようになりましたよ(どやぁ)。
空気の通り道を作らないと燃えないとか、紙から細い枝に、そしたらもう少し太い枝にってだんだん大きい木に火を移していく、とかね。
最初は全然できなかったけど、やってくうちにわかってきましたね。
そう、それだと思う。
こうやったら上手くいった!とかリアルに体験して、苦労したり工夫したりっていうのが必要。
そういう物事の本質を学べる、知ることができる、っていう機会が実は結構外遊びの中にあるのかな、って思ってます、研究者でも教育者でもないんだけど。
スノーボードスクールを任されて、課題は「夏の仕事を作らなきゃ!」
NAOC立ち上げる前ってどんなことしてたんですか?
アウトドアに関係のない仕事で普通に会社勤めをしてました。
で、27、28歳ぐらいの頃、人材派遣で働きながら「どうしようかなー」って工業団地で悶々としてて。
働いてお金貯めては海外に行く、戻ってきてまた働いてお金貯めては…っていう生活をしてた。
もともとスキーが好きなのと、親の仕事関係のつながりとかもあってスキーのインストラクターも兼業してたんだけど、その悶々としてる時期にスキー場からスノーボードスクールを任されることになり。
「やれる?」って言われたから「やれまーす!」って二つ返事しちゃったんだけど、どうやったらいいんだろ?みたいな感じで、笑。
そのときに、インストラクターって冬の雇用はあっても夏は仕事がなくなっちゃう、っていうことが気になった。
冬以外はいわゆるフリーターみたいなもので、職が安定しないっていうことを課題に感じたのかもしれない。
それで夏の仕事を何か作らなきゃ、って思った。
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若きゴリさん写真、レア!
そのときにね。
サーフィンしに2ヶ月間ぐらいバリに滞在したことがあって、そこで知ったラフティングっていうのを思い出したんだよね。
お客さんがいっぱい来てて、人気あるんだなぁ!と思ったのを覚えてる。
でもそのときは「楽しそう」って他人事みたいに見てただけで、お金ないし俺はいいやって体験してないし、調べもしないで「日本ではやってないだろうな」とそう思ってた。
そこにたまたま自分の親父から「長瀞でラフティングっていうのをやってて楽しそうだったんだよなぁ」って聞いてビビッと来ちゃった。
「鬼怒川でもできそう!」と。
長瀞もライン下りとラフティングがあるんだけど、鬼怒川には既にライン下りはあったから。
この先どこかに勤め続けるつもりもなかったから、相談した結果とりあえずやってみるか!となった。
それでエム・アール・ピーっていう会社を立ち上げて、翌年にNAOCでラフティングを始めた。
この28歳前後ぐらいが自分の人生の激動の時期だったのかも。
お父さんの一言にインスパイアされて自分の事業を始めたわけですが、それまでの悶々とした気持ちはスッキリはしたんですか?
「これが自分のやりたいことだった!」みたいな。
いや、全然やりたいことではなかったからね。
え…?
全然やりたいことではなかったんだよ。
なんか申し訳ないね、笑。
「やりたいことを仕事にした人」系に見られること多いですよね、笑?
やりたくないことではないけど。
けど、やりたいことを仕事にしたんでもなくて、なんかこれだったら自分で仕事にできるかな?って思ったことをやっただけ。
全然、信念とかもなかったもの、笑。
はい、おもしろくなってきたところで【前編】はおしまいッ!
早くこの先の話が聞きたいでしょ?
【後編】では増渕さんが幼少期の大谷の思い出なども登場します。
次回【後編】は3月下旬アップ予定です。
ではまた次回!
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