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第8回|ビルススタジオ 塩田大成さんインタビュー【前編】

こんにちは。
大谷でできることを増やす場所」OHYA BASEの管理人です。
前回の投稿からずいぶん間が空いて、大谷町はすっかり新緑の季節に。
テラスが気ー持ーちーいーいー!!!
観光でも、ワーケーションでも、この季節の大谷町にぜひお越しください。

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さて。
今回は株式会社ビルススタジオ代表・塩田大成シオダタイセイさんのインタビューをお届けします。
塩田さんはOHYA BASEの運営者であり、OHYA UNDERGROUND発起人の1人であります。
もみじ図書館とかMET不動産とか挙げていくと「あぁ!」と思う方もいるかもしれません。
「塩田さんてどんな人?」「普段どんなこと話すの…?」なんて質問をよく受けますが、これを読めばちょっとわかるはず。
外部メディアのインタビューでは出てこないような話題も振ってみたので、意外な側面もちらっと見えるんじゃないかな?と。
では、早速いきましょう!


「本人が気づかない間に変化を起こす」Virusのような仕事を。

では、始めたいと思います。
よろしくお願いします。

はーい。
空間プロデュースやってます、ビルススタジオの塩田です。

社名の「ビルス」スタジオって?

ビルス=virus=耳慣れた音にすると「ウイルス」。
好きだから。
微生物とかミクロの生態は昔から興味があってよく本を読んだりしてた。
面白いんだよね、単体じゃウイルスとは呼ばなくて、細胞に入ったところから、ウイルスなのよ。
そこから機能して宿主の性質を自分の住み良いようにしていく。
その結果、宿主にとって良い状態になったりすることも結構あるのよ。
「本人は気づかない間に性質が変わってる」っていうことを起こすような仕事ができるといいな、と思って。
だから、要望を受けたものに応えるっていうんじゃなくて、本当はこうなった方がいいだろうっていうところを仕掛けていって変わってくみたいな。
そういう存在であれたらいいな、っていう意味で、ビルス 。
ちゃんと考えたんだから、深夜のデニーズで。

バンドマンですか、笑。

ネーミングなんて大体深夜のデニーズ、そんなもん。
まぁ、でも実際そんな感じで仕事をしている。
「空間プロデュースの会社です」「必要なこと全部やりますよー」「なかでもデザインは得意ですけどね」って。

空間プロデュースってなぁに?」ってならなかったんです?

建築設計って言うと設計だけ、不動産って言ったら不動産だけになっちゃうし、グラフィックデザインって言ったら…でしょ。
だからよくわかんない状態でスタートを切ってみようかな、って思ったの。
そしたら全部関われるかもしれない。
全部関わりたかったから。

けど、あたりまえだけど最初は全然仕事なくて、笑。
「こんなことやりたいんですよ」って知人友人なんかと話してると、お店を始めたいとか変えたいとかっていう人と話す機会も多くなってきて。
始めると、設計やインテリア以上の話が山ほどあるんだよ。
客席をこう変えると座席がいくつ増えて、厨房をこう変えるとメニューをこんなふうに増やせて、1日の売り上げがこのぐらい変わってくる、となると、そもそも立地はここでいいのか?なんてところに戻ってきたりとか、そんな感じで。
かっこよくするのが目的じゃなくて、事業には付随してくることや背景が多いんだよね。
そういう場面で、設計や建築以外の部分のアイデアをちょっとずつ出したりしてアプローチをしてきた。
経験して、実例が増えて、その後の話も聞いて、実証できて、それを説明できるようにして。
それを認めてもらえると、ようやくその部分が仕事になってきて。
そうすると、設計や建築以前の、条件があまり決まってないうちからプロジェクトに関われるようになってきたんだよね。
それがやりたかったことだったんだなって。


「場所づくり」に必要なこと、全部やる。

では、ここ最近取り組んだ仕事を2、3つ聞かせてください。

木伏(岩手県盛岡市)西参道茶屋(日光市)カクイチビル(宇都宮市)かな。
担当は「場所づくり」です。

それぞれちょっと具体的にすると…?

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木伏はPARK-PFI事業
担当は雑用全部。
大雑把に言うと、事業コンセプト、ミッション、ビジョンなどを作成して、推進する人です。
まず敷地の読込みと周辺派生効果を設定して…。

敷地の読込み、とは?

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言うなれば「街調査」
周辺に何があるかとか、どういうことが起こってるとか、どんな人がいるとか、もちろん歴史も調べるし、季節変動や地価変動とかも。
で、こんな問題があったり、こんな可能性があるんじゃないか、とか、そういうことなんかも分析する。
あとは、「昼ごはん」を3回食べたり(!)コーヒー5杯飲んだり(!)しながら、とにかく自分で歩き回って、面白そうなお店を見つけたら話しかけたり、みたいなことをやってようやくコンセプトとかビジョンが見えてくるんです、という。

ビルススタジオがどういう仕事をしているのか、今、改めて知りました、笑。

その上で建築設計事務所として建物・敷地のデザインを行って、不動産業者として賃貸条件の設定とか契約をする…って、木伏ではいうそういう役目です。
宇都宮と盛岡の二拠点で事業をしている知人から声をかけられて。
ちなみにその人がお金を出して出店者を探す役目。
で、盛岡市の職員さんが行政側の全ての窓口であり近隣の商店街や住民への対応をする役目。
で、それ以外が僕です。
「場所づくり」を行っている会社なので、ケースバイケースで必要なこと全部やる。


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西参道も似た構図。
事業主の東武鉄道が「栃木のいいものを出す複合店舗をやっていこう」っていうプロジェクトで。
そこで「地元のプレイヤーと組もう」って日光珈琲に声をかけて。
けど日光珈琲から「自分じゃ全部はできないからよろしく」みたいに言われて。


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カクイチビルもだいたい同じだけど、あそこは「場所ありき」
解体されちゃいそうな建物をどうにかしたいんだ、っていう相談が知人からあって見せてもらった。
それで、無理なく建物を残せる、さらには伸ばせるんじゃないか、って企画とか計算とかをして、じゃあ、やってみようか、ってスタートした。

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3つとも、意外と(?)横の繋がりで「面白そうなんだけど困ってるからちょっと来てよ」みたいな声のかかり方で「場所づくり」全般に関わる案件ですね。

うん、そうだね。
なんか「わかんないところ全部やってくれるんじゃない?」って思われてるのかもしれない、笑。


「ずらし」と「アピール」で切り抜ける真ん中っ子。

今回はヨソのインタビューではあまり聞かれないようなことを聞いていけたらと。
幼少期どんな子でした?

自分はあんまり覚えてないんだけど「ずるい感じ」だったみたい、笑。
悪いことしても叱られないようにする。
ちょうど怒れないぐらいの絶妙なところで終わらすとか、怒ろうかなと思ったらちょうどいない、とか。
そういう風にずらしてくるから、ちゃんと怒れてないんだ、と。
今もそこが変わらない感じがしてるから、それを後悔してるんだ、と親は言ってる。
きっと「真ん中っ子」キャラなのよ。
兄貴が、こりゃ怒られるだろうってことを、怒られるタイミングで、怒られる場所で、やるんだよ。
常に直撃。
ちょっとずらせば逃げられるのにな、とか。
我慢はできないじゃない、やりたいことは。
やってみないとなんとも言えないし、納得しないってところはあるから。

あー。
今の塩田さんに通ずるものを感じます。

そりゃ変わってないよ、残念だけど、笑。
あとは、野球部だった。
背も低くて足遅かったくせに、ずっとトップバッター任されてて。
あまりいい選手ではなかったけど、仕事はきっちりしてました。

意外な野球部!しかもトップバッター!!!
どういうことです?

トップバッターっていちばん足速い人がなるのが定番だから。
なんかちっちゃくて、すばしっこそう、みたいな印象を相手チームが勝手に持つんだよね。
その前提で、思わせぶりな動きをして、バッターから気を逸らしてる間に、気付いたらホームに返ってくる。
それを求められてやってたんだと思う。
そういう理解はできてたんだろうな。
アピール上手、というか。

できないものはできない、やれることはそれ以上に見せる、と。
鍛えて足を早くしよう、とかは一度もやらなかったし。
そういう幼少期ですよ。
性格悪いなって思う、こんな子ヤダなって、笑。

いいエピソード、笑。

たいして上手くないのに、1つだけできることで、どうにかレギュラーにしがみついている。
「ここだけ見て!」みたいなのは常にやってたんじゃないかな。
トータルで攻めても無理だから、何で認めてもらおう、とか。
そこは常に考えて動かないと、見てもらえないから。
ずるはしてないし、なかなか地道なんだけどね。

その後は?どんな学生でした?何を学んでました?

大学では工学部の建築学科。
座学で歴史学んだりとか、構造の勉強したり、物理の計算したり、そういうのがほとんどで。
で、その合間に課題がある、と。
この敷地でこの建物を作りましょう、みたいな。
その課題以外、おもしろくないわけよ。
全然わかんないし、物理苦手だったし、授業ほとんど出てもないし、笑。
でも課題は得意だったんだよね、実技みたいなやつは。
模型作って、パース描いて、みんなの前でプレゼンして評価をもらう、みたいな。
ここでもまたやっちゃってるんだよ、昔からの。
頑張るところでひたすらアピールして認めてもらうことにして、頑張らないところは本当にやってない。
みんなの設計課題を手伝う。
代わりに座学の方をある程度やってもらう、っていう。
それで課題の方でなんとか成績稼いで、単位もらったり。
先生とクラスメイトに「これはできるけど、これはできない」っていうのをハッキリ知ってもらうっていう。

幼少期も学生時代も、自分の弱点と強みをすごい意識しながら勝負してたんですね、笑。
そんな塩田さん、OHYA BASEについては何をしている人ですか?


……!
OHYA BASEの話題が出てきたところで【前編】は文字数オーバー。
続きは【後編】で!
次の投稿は5月下旬を予定しております。

OHYA BASEは「大谷でできることを増やす場所」を目指します。
それではまた!

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