第68話 スティッフ・アッパー・リップ ~ 小説「ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)」
「わたしの名はティレシアス。お察しのとおりこのウツロに取りついている、寄生生物の一種です。いまはその口を借り、こうしてお話ししているのですよ」
ティレシアスはとくとくと、自分のことを話しはじめた。
「ティレシアスとはまあ、ずいぶんとふざけたネーミングだね」
星川雅が食ってかかる。
「侮辱は許しませんよ? 雅さん。畏敬するディオティマさまからいただいた、大切な名前なのです」
ウツロボーグの両手が操り人形のように動いた。
「てめぇもアルトラが使えんのか? それでウツロを操ってるってわけかよ?」
南柾樹は冷静に、敵の正体を探ろうと試みた。
「意外に打算的なのですね、柾樹さん。頭が悪そうに見えるのに。さすがは龍影会の総帥閣下のご子息といったところでしょうか?」
「悪かったな、バカそうでよ」
カチンとは来たものの、ウツロを助けるためここは耐えることにする。
「ふふ、そのとおりです。アルトラの名はスティッフ・アッパー・リップ、対象に取りつき、ささやくだけの能力になります。しかしながら、ものは使いようですね」
寄生生物は自信満々に語った。
「余裕だね。ずいぶん自信があるんだ?」
「当然です。その辺の無能な人間たちとは、一線を画しているのです。深海で独自の進化を遂げ、高度な知能を手に入れたわたしを、ディオティマさまが見出してくださったわけです。すぐれた方にはすぐれた者の存在が理解できるのですよ」
ティレシアスは道化人形と化したウツロを使い、悠々と大仰な「演説」を続ける。
「黙って聞いてりゃあいい気になりやがって。アメーバだかなんだか知らねぇが、単細胞生物が調子こくんじゃあねぇぜ?」
「柾樹!」
血の気を抑えられなくなった南柾樹を、星川雅が牽制する。
彼はこういうタイプが無性にイラつくのだ。
おごり高ぶっている高慢ちきが。
しかし当の寄生生物は、まだ余裕がある様相である。
「そんなことを言うのなら、ここままウツロの精神を粉々に破壊してしまいますよ? ちょうどよい人質があったものだ。大切なお友達が廃人にされるところを見たいのですか?」
「くっ……!」
一同は唇をかんだ。
絵に描いたような窮地。
いったいどうすればよいというのか?
「そんなことをしたら、あなただって危ないんじゃない? 宿主がいなくなった瞬間、わたしたちはあなたを袋叩きにすると思うけれど?」
理性的な星川雅が、さすがの気づきを見せる。
「賢いですね、雅さん。そのとおりです。それにこのウツロはディオティマさまの貴重な研究材料。みだりに傷つけることは避けたいところです」
完全にアウェー状態だった。
「それよりもほら、早く龍子さんが治癒を試みなければ、そこに倒れている日和さんと壱騎さんが、取り返しのつかない事態になりますよ? もっとも、バリアーの外へ出た瞬間、熱病の女神のウィルスにやられてしまいますがね。ふふっ、ははははっ!」
ティレシアスは高らかに笑う。
完璧だ、わたしの作戦は。
この戦い、わたしの完全勝利だ。
彼がそう安堵したとき――
「待ちな」
「?」
少し離れたところにいる、北天門院鬼羅がつぶやいた。
三千院静香遥香もいっしょだ。
彼はガムを膨らませた大きな「風船」の中へ入っている。
「あんた、なんかムカつく。よって、死刑」
彼女は豪快にサムズダウンした。
「僕も同意だね。鬼羅がそういうのなら、きっと万死に値するやつなんだろう」
相方はずいぶんのほほんとしている。
「で? あなたがたお二人ごときに、この状況でいったい何ができるというのでしょう?」
ティレシアスは相も変わらず余裕しゃくしゃくである。
「鬼羅、僕が先手を取から」
「オッケー、援護は任して」
彼らはずいと前に出る。
一同はあっけに取られた。
「剣道三千院流、君のような虫ケラ相手に振るったら、一族の名折れかもしれないけどね?」
「貴様……!」
「遠慮なく行かせてもらいます」
三千院遥香の姿がパッと消え、ウツロボーグの頭上に出現した。
「三千院流・一の秘剣・世界」
「こ、これは……!」
ティレシアスの全身から、一気に血の気が引いた。
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