第76話 蛙の子は蛙
「そうなのよお母さま、とんだ赤っ恥だわ。このわたしとしたことがよ? ウツロといい美吉良といい、寄ってたかって煮え湯を飲まされたわけなのよ。閣下はなかったことにしてくれたけれど、は~あ、われながら情けない。ああ、ウツロのやつめ、あの憎たらしい鏡月の息子が。ああ、いらいらする。悲劇のヒーローぶりやがってからに。ちょっとどう思う、お母さま?」
大学病院内の給湯室の中で、星川皐月は京都の実家にいる母・似嵐雅羅へ電話で愚痴をこぼしていた。
人気はなく、給湯器の湯をわかす音だけがその空間にこだましている。
―― 皐月、あまり落ちこんじゃだめよ? 気丈なあなたらしくもない。ウツロのことなら心配しないで。たとえ似嵐の血統を受け継いでいるとはいえ、あんなきたならしい出自の者を、おめおめと当主にすえるようなわたしではないわ。暗月さんが何を考えていようと関係なく、ね? ――
「お父さまの様子はどう?」
―― まるで干からびた雑巾だわ。鏡月の遺体を実際に確認してからというもの、家人にはいつもどおり接してはいるけれど、見えないところでひどく落ちこんでいるわ。想像できる? 魔人・似嵐暗月が、縁側で背中を丸める姿を? わたしがかつてほれこんだ男はもう、死んだのよ。できそこないの息子に先立たれたなどという、実にくだらない理由でね。本当、男の考えることは理解に苦しむわ。自分だってさんざんいびってたくせにね ――
「本当、わけのわからない生物よね、男って。はあ、なんだかだいぶ気分が落ち着いてきたわ。さすがはお母さま。わたしのことをわかってくれるのは、この世にただひとり、お母さまだけよ~」
―― あらあら皐月、当たり前じゃないの~。わたしはあなたの、母親なんだから~ ――
「うわ~ん」
―― ウツロのやつめ、よくもわたしの皐月を泣かしてくれたもの。孫であろうとも、断じて容赦はしておけないわ。このおそるべき代価を、しっかりと支払わせてあげる。陰陽道・北天門院の名にかけてねぇ ――
「お母さまの術式でもって、あのクソッタレ毒虫野郎をやっつけてちょうだ~い」
―― ほほほ、皐月。そんなこともあろうかと、すでにそちらへ根回しをしてあるのよ~ ――
「根回し、というと?」
―― かつてわたしにアルトラ能力を与えてくれた親愛なる友・ディオティマ。いまはテオドラキア・スタッカーと名乗っているけれど、彼女が近く来日するそうよ? 当然というか、ウツロのことは調査している模様。ぜひ直接会ってみたいとのことだわ。鏡月との因縁もあるしね ――
「なんと……ディオティマが……? 魔王桜の召喚に成功した、古代ギリシャの巫女……世界最古のアルトラ使いが、日本へ来るというの?」
―― もちろん、総帥閣下へ直々に拝謁したいというのが建前。ほかにもいろいろと、興味のある事柄があるらしいわよ。きっとあなたの力になってくれるわ、皐月 ――
「わたしのワルプルギスも、ディオティマからいただいた能力だしね。中東で鏡月をせっかんしたときに、一度だけあったっきりだけれど……彼女が来るとなれば、これ以上に頼もしい存在はないわ。さすがはお母さま……!」
―― だから皐月、もう心配なんていらないのよ? 魔女ディオティマの手にかかれば、ウツロごとき秒殺することだって可能。ふふふ、なんだか楽しくなってこない? ――
「ほんと、お母さまったら! そうやっていつも、わたしのことを一番に考えてくれるんだから!」
―― ふふっ、何度も言うけれど、母親として当たり前のことよ? ディオティマにはよろしく言っておいたから、あとは皐月に任せるわよ? ――
「楽しくなってきたわねぇ。お母さまのサポートには本当に感謝するわ」
―― なんにもよ~。じゃあ、とりあえず切るわね。また何かあったら、気兼ねなく相談してちょうだいな ――
「ありがとうお母さま。お体だけは、じゅうぶんに気をつけてね~」
―― じゃあねえ、わたしの皐月ちゃん ――
「……」
電話が切れたあと、星川皐月は携帯に表示された「クソババア」の文字をにらみつけた。
「死にぞこないの、ババアがよ……」
蛙の子は蛙、母にして娘あり、である。
端末を懐にしまうと、彼女はコーヒーをグイっとあおった。
「ま、せいぜい利用させてもらうわよ? わたしのためにね。ほほっ、ほほほ!」
人気のない給湯室に、女医の笑い声だけが、しばらくこだましていた――
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