第15話 桜屋敷の会合 ~ 小説「ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)」
「東京へ下ります」
「……」
鮮やかな青い羽織の中年男性がスッと口を開いた。
そばにいるもうひとりの男性、年の頃は少し下であるが、その男は茶せんを動かす手を止め、言葉に耳をそば立てる。
京都府京都市左京区、土地の名門・三千院家の屋敷。
桜に囲まれていることから通称「桜屋敷」とされ、半分観光名所のようにもなっている。
奥屋敷の上座に座っている剣神・三千院静香は、着物のえりにかかる長髪を揺らし、茶の入れられた黒織部の器を手に取った。
打ち身は2メートルに届く長身、年齢は50歳近くであるが、眉目秀麗なその顔立ちは、実年齢よりもゆうに20歳は若い印象を与える。
「静香さま、本当によろしいのですか? お体に障ることは明白でございますぞ?」
控えて座っている濃緑の羽織の男は、主人が茶を飲み終えるのを待って顔を上げた。
その眼光は爛々としていて、しかし光は当たっていない。
三千院静香は器を置くと、おもむろに語り出した。
「重々承知しております。しかし、わが友・龍聖の嫡子・壱騎くんたっての申し出とあれば、むげにすることもできないでしょう。彼は若いながら、すぐれた実力と武の精神を兼ね備えているもののふです」
「しかしながら静香さま、そのお体では……」
「このことを知っているのは雷光さん、あなたを含むごくわずかの人間です。決して壱騎くんに漏らしてはなりませんよ? 彼を苦しませるわけにはいきませんから」
話を聴くその男、名は百鬼院雷光。
三千院静香に幼い頃からつかえており、主人には勝るとも劣らない剣豪である。
しかし過去に、実践の場において負傷し、光を失っている。
三千院静香はそっと、胸もとに手を当てた。
「わたしはもう、長くはない。後生です雷光さん、最期を迎えるそのときが来る前に、わが友・龍聖、そして壱騎くんの無念を晴らしてあげたいのです」
「静香さま……」
百鬼院雷光は覚悟を決めた。
「七本桜よ、聴いてのとおりです。かの地にはおそるべき罠がしかけられているに違いありません。くれぐれも慎重にかかるのです」
障子の向こうに複数の影。
大きいものから小さいものまで、計6体ある。
三千院静家の御庭番、百鬼院雷光自身を筆頭とする武芸者衆・七本桜だ。
「雷光さん、お願いがあります」
「は、なんでございましょう?」
三千院静香はかしこまって申し立てをした。
「かの地、朽木市へ、遥香も同行させたいのです」
障子の奥の影たちは代わる代わる顔を見合わせた。
「なんと、遥香さまを……? それはまた、なぜゆえにございますか?」
百鬼院雷光は顔を傾けた。
「よい勉強になると思うのです。それに、わたしが遥香といっしょにいられる時間も、おそらく残り多くはない」
「なるほど……静香さまのお気持ち、深くお察し申し上げます。心得ました、周囲を固める者たちの選別も含め、すぐに手配いたします」
「申し訳ありません、わがままを言ってしまって」
「何をおっしゃいますか。遥香さまも鍛錬を重ね、日に日に腕を上げておられます。必ずや心強い存在となるでしょう」
百鬼院雷光をはじめとする七本桜は退室し、あとには当主・三千院静香だけが残された。
「ぐ……!」
ずっとこらえていたが、ついに抑えきれなくなって、口に手を当てた。
「ごふっ……」
鮮血が手のひらを赤く染め上げる。
「ふう、ふう……」
そばに忍ばせてあった布地で、彼は吐血をぬぐった。
着物をはだけ、胸もとをのぞく。
めりこんだ拳のあとが、心臓の位置にくっきりと浮きあがっている。
しかもその傷跡は、なにやらもぞもぞとうごめいているのだ。
「刀隠流体法、奥義・八代影王……」
三千院静香は着物を直し、呼吸を整える。
「刀隠影司、あの男をこのままのさばらせておいては、この国に、いや、世界にとって大きな災厄を招きかねない。加えて最古のアルトラ使い・魔女ディオティマまでもが……」
彼は深く息を吸い、目を閉じた。
「しかし何よりも、何よりも……わが奥義・三千世界の継承を急がねば。正道であれば遥香ですが、あるいは、あるいは……」
カッと見開いた目、その凛とした姿は、剣神の名に恥じることのない決然たるものである。
「とにかく、時間がない。早く、しなければ……」
桜の舞い散る庭園、宿命を背負った男は眼光鋭く、しばらくその光景を目に焼きつけていた。
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