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私の海外留学珍道中①

はじめに

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今年の6月、やっとの思いで高校を卒業した。
猛威を振るうコロナの影響で、何一つ卒業の思い出など無いが、味気なく、ぬるっと、卒業したのだった。
最近宅配便が届いた。中には卒業証書や、着ることの無かった、写真で友人達がかぶっていた物よりチープな雰囲気の、青いガウンと帽子を手にした。

後から振り返って『一瞬』だったといえばそうだが、高校在学中は「一生卒業しないかも」と気が遠くなる程終わりが見えないものだった。
中学三年の時の留学をあわせて四年。
一筋縄ではいかないことが多すぎて、四年が濃すぎる。一気に振り返ろうとしても、一回で全てを書き終われる気がしないので、シリーズ化していこうと思う。
中学から順に(いつ終わるかわからないけど)のんびり書き進めるので、楽しんでくれたら嬉しい。


きっかけ

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以前noteの記事でも触れた通り、私の中学での人間関係は最悪だった。
容姿や私の在り方を否定され続け、終いには疲弊し、下り坂を転がるような速さで病んでいった。とうとう中二の夏に学校に行かないと決意した。
私はこの行動を「積極的不登校」と呼んでいる。

私は心配だった。
当時学歴に執着していた私が一番焦った事は、自分が中卒にしかなれないという事だった。

ご存知の方もいるかもしれない。
日本では中学は義務教育だから、学校に全く通わなくても、一応卒業証書を貰うことができる。高校は進学できないという条件付きだけれど…。

このままでは進学できない!と不安でいっぱいな時、何人かの知り合いから「留学してみたら?きっと向いてるよ」と声をかけられた。

正直海外に一ミリも興味もないし、英語洋画洋楽に全く造詣がない私が、まさか自分から「留学したい」なんて言うはずがない。
しかし、この時ばかりは違った。
前述の学歴云々や中学での出来事への怒りやら、様々な感情が身体中を駆け巡り、気がついたら「行く!」と言ってしまっていた。

当時の私は学校教育の在り方にも疑問があったため、海外の学校は何が違い、どの様な点を見習うべきか、実際に自分の目で観たいと感じたのも動機だ。
ただここだけ切り取ると、真面目すぎというか、良い子すぎる気がする…。本当は自分の通っていた学校が嫌で、どうしても逃げ出したくて、勢いで飛び出して行きました。

あとでこの決断を少し後悔するのはこの時の私はまだ知らない。


留学前の出来事

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留学を最終的に決めたのは、9月に両親に連れられて訪れた留学エージェントのオフィスにて。留学の「り」の字も知らない私は流れに任せて、トントン拍子で話が進んで行った。

気がついたら留学先が決まり、入学手続きが完了していた。
本来自力でも手続きはできるが、英語超初心者な私は全てをエージェントにお願いした。
(英語なんて話せないから、手続きは然るべき所にお願いするのが常だと思っていたが、後に自分でVISAを取得する友人を見て反省した。)

留学前の話と言えば、これまで一度もした事がない話がある。

週一回エージェントがオフィスで英語の勉強を見てくださっていた。当時は全く気が付かなかったが、私がひぃひぃ言いながら読んでいた本、いや、絵本は幼稚園レベルだった。乳児レベルかもしれない…。

全く誇張していない。
その可愛いワンちゃんのイラストが描かれた、1ページ1文のペラペラ絵本。幼稚園レベルの絵本を1時間かけても、意味が定かでないレベルの英語力だった。

YABAI

自分の日本語訛りの"Japanese English"が脳に響くのも恥ずかしいし、中二の私が日々新しい文法を学校で習って、ドヤ顔&鼻高々だった事実を思い出し、恥ずかしい。
せいぜい私が知っていた英文法は未来形(be動詞)までだ。
未来形"Will"の存在も知らなかったし、英語で単純な文章を3文作るのに何時間でもかけられた。


自分の英語力の無さに関する思い出がもう一つある。

私の再従姉妹はアメリカと日本のミックスで、バイリンガル。
あるとき、大叔母さんの家を訪ねるとLAに住む彼女に国際電話をかけるという。その時私は震え上がっていた。
そんな私に再従姉妹が「英語で話してよ」と、英語力皆無の私に無茶振り爆弾を投下した。

え、むり無理無理無理!!!!!!

と思いながら数秒間絶句していたら、再従姉妹が無邪気にトドメの一言を言い放つ。

「え、全然英語喋れないのに留学するの!???」

すごくショックで、正論すぎて、何も言えなくて、今でもちょっと根に持っている(笑)けれど、留学前の彼女の痛快かつ辛辣な一言が何かと自分の原動力になっていた。
今だったら「うん、確かに😊」とサラッと流せるが、当時中学2年の私は自信もなかったし、ナイーブで、どうすれば良いかわからなかった。

とにかくこの時期はワクワクと数え切れないほどの不安を両方抱えて、毎日健康に過ごすことを一番に考えて生きていた。


次回の珍道中

ジェットコースターの様に感情が上下する積極的不登校時代の私ですが、とにかく先が思いやられる留学準備期間を経て、これからどんな事が起こるでしょうかっ!
次回は最初の留学先、ニュージーランドでの珍道中初めの三ヶ月くらいを一緒に振り返ります!


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