真夜中のスマホが光る(エッセイ)

真夜中のスマホが光る。

インターネットの世界は今日も忙しい。
こっちでつながりあっちで燃えてそっちで消えたとかなんとか。

私の世界をスマホにうつしとってみる、言葉の切れ端を載せてみる。
反応がくる。いいね、スキ、コメント、フォロー。

何かの反響がインターネットの世界の中をコダマしたようだ。
そのコダマを拾い集めては、心を満たす、あるいは心が乱れる。

毎日がその繰り返し。

振り返ると日常の世界。棚机カップにカーテン、カレンダー。そして自分。
これらを上手に切り貼りして、インターネットに載せてみる。
上手に載せれば称賛が心を満たし、下手であれば無反応かいまいちが心を乱す。

この黒い透明な小窓はいつも世界を映してくれる。
開かないけれども情報過多なほど、沢山のことを教えてくれる。
私からも何かを切り貼りして載せてみれば、向こうの誰かの心に届く。

インターネットを一生懸命コントロールしようと必死になることもあるだろう。
インターネットの向こうの人の心を一生懸命コントロールしようと必死になることも、あるだろう。
インターネットから一生懸命情報を得て、一生懸命発信して、一生懸命何者かになろうとすることも、あるだろう。

ところで。

スマホの前に居るのはだあれ?
自分の心を整えることを忘れて、スマホの中をコントロールしようと躍起になって。

せめて、自分の心を整えることを許せるのは、自分だけにしておこう。
スマホやインターネットやどこかのだれかにマインドコントロールさせないように。


私はスマホの前に閉じ込められた。
スマホの黒い透明な檻からは通れない。

私は私に閉じ込められた。
私は私からは逃げられない。


何故か。何故そうなってしまったのか。

それは。スマホの中のコミュニケーションに魅了されてしまったから。
甘い甘いいいねやスキの通知に縛られて。
閉じ込められたことにも気づかないで。

気づくのが遅くても、中毒と言われても。
気がつかないと。
自分は自分がここにいること。

自分はインターネットのひとつの部品になることも出来れば、インターネットなどひとつの部品であると自分が自分に戻ることも出来るはずだ。


私の願いはひとつ。
私が私であること。


そう打ち終えて、私はスマホでインターネットへ投稿した。



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