嫌うこと
嫌うこと
私は嫌うことが嫌いだ。
学生の頃のいじめは人が人を嫌うことで引き起こされていた。
嫌うことは勘違いや、すれ違いが引き起こしていた。
勘違いやすれ違いは、ちょっとしたことを悪意と捉える盲信が引き起こしていた。
本当は、その背景や経緯、思うところや環境、噂話、そういう小さな原因が積み重なって、現れたささいな現象や言動であったはずなのに。
思いやりで解決しきれるものもあるだろう。根本的な原因が手に届かないところにあるものもあるだろう。様々あるのだが。
何も解決しないのは。ただただ、嫌うこと。ただただ、嫌うこと。理由もへったくりも全部塗りたくって、嫌うこと。嫌うこと。これは何も解決しない。ただ不快なだけだ。
私は嫌うことが苦手だ。人に嫌われることは恐怖だ。人を嫌うことは苦しい。
距離を取れ。という。心の中に線を引け。心に貼り紙をしましょう。
『土足禁止』
これはけっこう効き目ありと思う。
さて、私は嫌うことが嫌いだが、では。その嫌っている私は私に嫌われているのではないだろうか。
その通り。
私はだれかを嫌う自分が嫌いだ。でも嫌ってしまう。だれかを嫌う人が嫌いだ。だがそこに自分も含まれる。
なぜ?
この知恵の輪、こんがらがってる。この無間地獄みたいなの何?
この嫌いをうまく活用できるかな?
たとえば、魔除けとか?たとえば、施餓鬼供養みたいな方法あるかな。怨憎会苦?なんだっけそれ。
嫌いは、悪か?
宇宙には、嫌いも好きも全てを包みこまれている。不思議。
宇宙は大好きだ。でもその中に、好きな家族も嫌いななんたらも入っているって、不思議だなあ。
それなのに宇宙は涼しい顔をして、夜空を美しい満天にする。
ちっぽけな私。
点。
点が好きの気持ちでも、点が嫌いの気持ちでも、宇宙にとっては、よくあること、あるあるなのかな。
だけど、点にとっては一大事だし、そもそも宇宙は点からもできているわけだし。
なんとか、嫌いの有効活用をできれば、そんな方法はあるのだろうか。
いや、思いつかない。
どんなに嫌いが暗躍していても。せめて自分自身の心の中の優しさだけは大切にしておいて、いざという時に、いちるの救いの光の糸とあれれば幸いかなと思う。
PS、オチはないよ。飛んでいくだけ。
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