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だから、私はご飯を作る。愛を込めて。

ここだけの話だが、私は結婚するまでまともに料理をしたことがなかった。それまで、恋人のために、水を入れすぎたベチャベチャの焼きそばを作ったり、友人たちとのパーティーのために、料理本と首っ引きでそれっぽいラタトィユ(要するに野菜をトマト味で煮ただけ)を作ったりする程度。新婚の頃は、おにぎりを三角に握ることもできなかった。

それから程なくして、私は子どもを産んだ。ポコポコと。5年の間に息子が3人。彼らは大変に元気でよく食べる。いつも腹ペコの彼らのお腹を満たすために、この16年間、私はおにぎりを握り続けている。おかげて、今ではふんわりとした三角形のおにぎりを、寝ぼけていても握れるようになった。おにぎりが三角形に握れるようになるのと同じスピードで、人並みに料理もできるようになった。

私が子を持って知ったことは、「育む」は「食」とイコールだ。私たち親子は、嬉しい時も悲しい時も、三度三度の食事を共にしてきた。誕生を祝う日の色とりどりのご馳走も、反抗期との戦いの後のしょっぱいラーメンも、夫が亡くなった日の砂を噛むみたいなご飯も。ずっと、一緒に食べてきた。

先日、こんな話を目にした。アメリカ人の若者が日本滞在中に、いろいろな大人から「これ食べて」と言われ続けて驚いた、と。若者はそれを大人からの愛情表現だと感じたと。その話を読んで、合点がいった。私の「お腹空いてない?」も、間違いなく「I love you」と翻訳される。

だから、私はご飯を作るのだ。愛を込めて。

私は、「愛してる」と同じ呼吸で、「ご飯できたよ」と子どもたちに声をかけ続けるだろう。今日も、明日も、彼らが巣立つその日まで。ずっと、台所から呼び続ける。

それが、「子ども」という「未来」のために、私にできること。

#未来のためにできること

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