[ショートショートJAZZ]IT'S ALRIGHT WITH ME
からん、ころん。
ベルのついた重たいドアを開けると、バーカウンターに先客がひとり。
光沢ある良質なスーツを着た男が、こちらに背を向けたまま座っている。
「こんばんは」
髭のマスターが、こちらへどうぞと、席へ案内してくれた。
男の隣の隣。程よい距離感だ。
暖かいおしぼりからは、爽やかな柑橘の香りを感じる。
私が落ち着いた頃合いを見計らって、「何になさいますか」。
初めて来たけど、なかなかセンスのいいマスターだわ。
そうね。じゃあ、スコッチをニートで。
チェイサーはお水じゃなくて、スパークリングウォーターをくださる?
お酒が出るまでの時間は、いつも居心地が悪い。
他のお客さんと話すにしても、少しお酒が入ってからのほうがいいし。携帯をいじるのも無粋だし。とにかく、手持無沙汰なのよね。
「おまたせしました」
グラスを手に持って、口につけようとした瞬間・・・
「素敵なドレスですね」
・・・って、え?今話しかけるの?
隣の隣の男。
あなた、だいぶ間が悪いわね。
なんとなく横目でニッコリしつつ、急いでスコッチを口に含み、さらにチェイサーを流し入れ、喉で暴れる泡をグッと飲み込み、やっと返事をする。
今日は、結婚式だったんですよ。大切な人の。
「へぇ!奇遇だなぁ!実は僕も」
「あ、僕が結婚したんじゃなくて、弟が結婚したんです」
そりゃ、そうでしょうね。
新郎がひとりでバーに居たら、大問題だわ。
ま、別に私はそれでも構わないけど。
わあ!弟さん、おめでとうございます!
お兄さんは先をこされちゃいましたの?ふふ。
「あら、わかっちゃいます?えへへへ。弟はできるヤツなんですよ。その上、イケメンで」
「顔のパーツはね、兄弟よく似てるんですけど。僕の顔は、配置がちょっと間延びしてるって。よくそう言われるんです」
人間の顔って、数ミリの違いで、ものすごく印象が違うんですって。
ちゃんと誰だか見分けられるように、人間の脳がそうしてるんだって。
「へぇ!おもしろいなぁ」
お兄さんの配置も、悪くないですよ。
それに動物から見たら、弟さんもお兄さんも、きっと同じ顔ね。
「それは、褒められてるのかな?」
うふふ。
「似てるといえば。弟のお嫁さんが、弟の元カノにそっくりだって、結婚式で話題になってたんですよ」
へぇ。そんなに似てるの?
「僕は、その元カノという方に会ったことはないんですけどね。わりと長く付き合ってたみたいで、会場にはカノジョを知ってる人も多かったんです」
「でもある日突然、顔が似ている別の人と結婚を決めたもんだから、親も驚いてましたよ」
元カノの顔が好みってことね。
お嫁さん、イヤじゃないのかしら。ふふ。
「それがまた、大したお嫁さんでねぇ」
「同じ顔で私を選んだってことは、私の中身のほうが魅力的ということですぅ、なんて。笑いを取ってましたよ」
あら、すごい。大層な性格してるわ。
そんな嫁だと、これから苦労するんじゃない?
ま、私にとってはどうでもいいことだけど。
そうだ、マスター。おかわりくださる?
同じものを。チェイサーに、ビールもお願いします。
「そういえば、そちらさんも、お嫁さんに少し似てるような・・・」
え?アタシ?うそ、やだわ。
よくある顔なんじゃないかしら。
「すみません、変なこと言って。えへへへ」
「そんなゲーム、ありましたよね。似ている人が3人あつまると、ぷよんって消える、っていう。あれ?迷信でしたっけ。ドッペルなんとかっていう」
なんか、いろいろ混ざっちゃってるわよ。
4つ集まったら消えるゲームが、ぷよぷよ。
ドッペルゲンガーは、自分自身を見る現象。
世界には自分に似た人が3人いる、というのが迷信。
でも、2人が似てるって話でしょ?
他人の空似ではないかしら?
「えっと・・・。2人じゃなくて、3人ですよね」
え?お嫁さんと、私。2人じゃないかしら。
「いや、その、元カノの方も似てるという話で・・・」
あ、そう。そうだったわね。3人ね。
どっちだっていいわよ。
そんなことより、この男。本当に弟と似てないわねぇ。
顔も違う。笑い方も違う。ぜんぜん違う。
それでも、私は構わないわ。
ユウジロウさんは、今日、結婚してしまった。
ユウジロウさんのDNAが一番近いのが、この男なんだもの。
今夜は、この男に慰めてもらおう。
「ちょ、ちょっと・・・。え?!」
「そちらさん、ユウジロウの知り合いなの?」
!!
アタシ、いま声に出てたかしら!?
「もしかして、おまえ・・・」
「ユウジロウの元カノか!?」
「別れてからストーカーみたいになって、大変だったって。全部聞いてるよ。それにおまえ、俺たちの父親にも近づいただろ?それ、相当ヤバいぜ。俺たち家族に付きまとうの、もうやめてくれよ!」
皮肉なものね。
ユウジロウとお兄さん、怒り方はそっくりよ。
「マスター、悪いね。俺もう帰るよ!」
今夜のターゲットはそう言って立ち上がると、勢いよく重たいドアを開け、夕闇の中へと消えていってしまった。
からん、ころん、からん。
あーあ。
けっこう時間かけて、ユウジロウのお兄さんのことを調べたのにな。
自然な出会いを、何度もシミュレーションして。
こんなドレスまで着てさ。
今日だって、式場の外でずっと待ち伏せして。
探偵さながらに、後を付けてきたのに。
最大のチャンス、つぶしちゃったなぁ。
あとはもう、ユウジロウのいとこしか残ってない。
DNAは薄まるけど、まあ、仕方がない。
その子はいま高校生だから、あと数年もすれば違法じゃなくなるっしょ。
「お客様」
なぁに?マスター。
「先ほどより、お客様の心の声がダダ漏れでございます」
いかがですか、このヤケクソ感!
数あるジャズスタンダードの中でも、群を抜いた自暴自棄ソングです。
歌詞では「彼(His)」となっていますが、男性が歌う場合は「彼女(Her)」に変換されたりします。
元々はミュージカルソングでしたが、ジャズボーカルとしてはもちろん、コンボバンド、さらにはビッグバンドの楽曲としても人気なんですよ。
今回ご紹介したいテイクは、笠井紀美子さんが歌う「イッツ・オールライト・ウィズ・ミー」です。
なんというパワー!なんという色気!
さらけ出しっぷりが、曲にぴったり。
私は世代が違うので、残念ながら笠井さんの現役時代を知りませんが、もしいまでも歌っていたら、ぜひ生で聴いてみたい。
赤木りえさんのフルートソロも、かっこいいですし。
ピアノはハネケンこと、羽田健太郎さんでしょうか。
きっとアレンジも手掛けているような気がします。
素晴らしい。
※このショートショートは、ジャズスタンダードの曲にインスパイアされたもので、作詞家の意図とは異なります。
感想をいただけたら励みになります! サポートをいただけたら、涙して喜びます!