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僕が夢だったエンタメの世界を辞めた理由。その②

僕がエンタメ業界を辞めた理由について
その①をみてない方は是非こちらから
みてください!!


・憧れと現実の掛け違い

僕自身、夢と期待を持ってエンタメの世界へ飛び込んだ。テレビ番組の制作会社へ入社して、バラエティかドラマかどちらに挑戦するか悩んだ結果、、、ドラマの世界に挑戦してみることにした。

※ここからの話は全てを書いてしまうと、情報漏えいになってしまう場合もあるので、具体的な名前などは伏せて書いてます。

僕が就職した年が2020年4月
、、、そうこの年はまさに新型コロナウイルスが本格化した年。いままでのやりたかったことが
出来ずにSTAYHOMEが余儀なくされた。
僕はドラマチームに配属になったが、2ヶ月ほどは自宅待機だった。この時期が特に辛くて、
本当にやることもないし、やれることもないし
家でぼーっとする日々だけが続いた。
今思えば、勿体無い時間だったし、何かやっておけば良かったと思った。

そして6月に撮影が再開して、僕のドラマデビューが始まった。でも、コロナの感染対策が続いている中、僕の業務はフェイスシールドの消毒とか
思ったのは違う業務からのスタートだった。

そして、撮影が続くなかで
俳優さん、監督、プロデューサー、照明さん、
音響さん

はじめて入ったチームは本当にいいチームで
よく可愛がってもらえた。めっちゃくちゃ可愛がってもらえた。

ミスしても新人だから許される

これは今だからわかるけど、新人だから許されることなんだと、
当時は、僕は愛嬌がある!天才だと
大きく勘違いしていた。

正直業務は辛かったけど、可愛がってもらえてたこともあり、なんとか乗り越えることが出来た。

4ヶ月間に渡り、朝9:00から撮影ははじまり、
21:00まで撮影していた。
ロケ(外撮影)がある時は、朝5時に渋谷駅集合とかもよくあったなあ
マジで休みは月に2回あっていいほうだった。

こんなにきついのによくやれたなと思う。
憧れを提供するには、
こんなにもきつい現実があるのかと
恥ずかしながら
想像もしてなかった。

あと、1年目だから雑務しかなくてそんな雑務も出来てないけど、可愛がられてたから「仕事ができる」ってとんだ勘違いもしてたけど、現場で一番大きな声を出している自覚はあった。
自分を卑下しすぎてるのかもしれないけど、
そこはよくやっていたなと思う。

可愛がられてたから、続けられてたのかもしれない。

・クランクアップで感じたこと。

さて、4ヶ月に渡り続いた撮影も無事に終わり
クランクアップ(撮影終了)した。

正直、最後のカットがかかった時は
今でも鮮明に覚えている。

あの瞬間、全てが報われた気がした。
あれだけ辛かった日々が一瞬で消えたような気がした。そしてドラマの最終回
エンドロールにあった、僕の名前をみつけて
涙が出るほど嬉しかった。

あとドラマの感想をみて、
「人生が変わりました!」とか
「主人公の人生を目指したいと思います!」
とか


ほんとうに4ヶ月間頑張れて良かったなと‥

少し余談だが、今この記事を書いていて
思ったことがある。このドラマの主演俳優さんに
クランクアップの日(撮影終了日)に
頑張るんだよ!!って
声かけてもらってクッキーをもらったけど、
その言葉と反面僕は頑張れてるのか‥と
いまは思う。

さて、話は戻すが
クランクアップの日とドラマ放送の最終回の日は
人生にとっても、一生忘れないと思う
それぐらい、必死にやった"なにか"が報われた瞬間だった。

僕は高校生の時に演劇部に入った。理由は可愛い先輩がいたから。単純すぎる理由だった。
稽古が辛くて、恥ずかしくてまじで辞めたかったけど、本番が終わって、幕が閉まった瞬間
あの開放感というか、板の上に立った人間しか
わからない気持ちかもしれない。
これを味わってしまってから、演劇を大学生まで続けてしまったのかもしれない。

ドラマのクランクアップと最終回の時もこの気持ちに近いものがあった。
辛かったけど、またいいものを作りたい!撮りたい!
って思えてしまった。
だから、辛くてもみなさん続けているのかと思う。
まじで変態だと思うけど笑、みな職人(プロフェッショナル)だと思う。

•怯えながら、仕事をしていて‥

その後は、1ヶ月ほど休みをもらって
10月からは
配信ドラマとか、単発のドラマとか、
1ヶ月ごとに作品がかわる日々が半年続いた
助監督だけじゃなくて、アシスタントプロデューサーも経験させてもらった。正直、この時の
僕は腐っていて、すぐに文句と言い訳を言う最低な奴だった。かなり仕事は舐めていたと思う。なにもかも適当にやっていたと今考えたら思う。あの4ヶ月間必死に頑張った連続のドラマと違って、もうあの時の僕は必死ではなかった。

そんな日々が続いたあとに、3月からヘルプで連続ドラマの現場へ配属された。この現場がとんでもない現場だった。既に、2人助監督が飛んでいて(辞めることを飛ぶって言います)
マジで2ヶ月ぐらい休みもなく、本当に過酷すぎる現場だった。
特にプロデューサーとチーフ助監督が酷かった。
これは今振り返っても酷かったなって思うし、
全然パワハラ案件だったなと思えた。
(※事実ですが、暴露したいとかではありません!推測などはやめてくださいね!!)

チーフ助監督は、パワーハラスメントが凄かった。何が凄かったって、まず殴る、蹴ることが日常としてあった。

僕がこのチームに合流して、
まず目撃したのは、先輩がミスをしてしまって撮影がやり直しになってしまった。
確かに、先輩が悪いんだけど、それに対して
グーパンで先輩の顔面を殴った。
その後、「殺すぞ」って
吐き捨てて、どこかへ去った。

僕はこの瞬間、「ここに人権はない」と悟った。

でも、その先輩は俺が悪いから‥って、むしろ
殴ってくれたことに感謝してた
頭がおかしいと思った

その後も、休みを与えてくれず
チーフ助監督には誰も逆らえない状況が続いた。僕も、僕のミスだったり、ミスじゃなくても
すぐ怒鳴られる、蹴られることが多かったし
2週間で辞めていった後輩もいた。

でも、俳優さんたちの前では
ずっといい顔をしていた。

パワハラとか
労働時間とか気にしろよ!って思うけど
チーフ助監督はフリーランスの方なので
正直言うと、パワハラとか
労働時間とか関係ないのだ。

ドラマの世界とかバラエティの世界って
実はほとんどフリーランスの人ばかり
チーフ助監督とか、殴られた先輩とかもそうだった。

それでも、いままでの現場のチーフ助監督とかは
プロデューサーに確認しつつ、労働時間とか確認してくれてたのに、今回のプロデューサーは
労働時間に関しても気にしてくれなかったのだ。

このプロデューサーは、局じゃなくて自分の制作会社のプロデューサーだった。だから、本来
パワハラとか労働時間のこととか気にしなきゃいけない立場なのに、黙認を続けていた。
勤務時間は打刻システムで管理されていたんだけど、本当の時間を押したら怒られてしまった。
本当の時間は 朝5:30出勤の、夜26:30退勤
もちろん終電は終わってるので、局に泊まっていた。これを正直に打刻したら怒られてしまい、
撮影時間で押すように指示された(それでも
朝8:00打刻の夜21:00退勤)

なんで? 

この言葉しか浮かばなかった。

正直、、いまこの記事を書いていて
色々思い出していて、暴露気味に書いてしまったことは反省してる。でもいま怒りの感情も蘇ってきた。

、、、
なにも出来ないけど、、、、

もちろん、僕が舐めて仕事をしていて
何も出来ない僕も悪い

その後、2ヶ月が過ぎて
怯えながら、無休で仕事をしていると
だんだん心が壊れていった。


続きはその③で!!!




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