【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】No.32
巡礼23日目
ポンフェラーダ(Ponferrada) ~ ビジャフランカ・デル・ビエルソ(Villafranca del Bierzo)
■巡礼者のために作られた街
滞在したポンフェラーダは、【鉄の橋】に由来するそうだ。pons(橋)+ferrata(鉄で支えられた)と言うらしい。
この街の入り口には大きな川(シル川)が流れていて、そこに大きな橋が架けられている。この橋は11世紀にサンティアゴ巡礼を行く旅人達のために建てられたものなのだそうだ。
また中心区にあるのはかつてテンプル騎士団の拠点となったポンフェラーダ城。街の随所に歴史を物語るモノが残されていて、歩いて回っても面白い。
僕達はほとんどの時間をアルベルゲで過ごしたし、事前の予備知識もなかったから史跡を回ることは出来なかったけど、次来たときはこの地で歴史に思いを馳せてみたいと思っている。
■【巡礼疲れ】と言う言い訳
しかし今日は体が重い。変わらず足は痛いし、テーピングを買いに入った薬局では、思いがけず邪険に扱われてしまったことも引っ掛かっていたのかもしれない。今となっては全てが言い訳でしかないのだが、それでもこの日僕は、【巡礼疲れ】を起こしていた。
突然放っておいて欲しくなってしまったのだ。言葉も満足に喋れず、気持ちが全て伝わらないことも、相手がこちらに優しくしてくれることに対して何も返せないことも。身に起こる歯がゆさも、申し訳なさも、全てに嫌気が差してしまった。
いっそ今日は、誰も構わないで欲しいと考えていたと思う。
「思う」と言う言葉を使ったのは、当時僕がそこに気付いていなかったからだ。
身に沸き上がる焦燥感の答えを、僕は見つけられないでいた。
だから、その解決の糸口を探るために色んなことをした。大好きなコーラを好きなだけ飲んでみたり、わざと教会でドナティーボ(寄付)に10ユーロ札を押し付けたりした。
これは良くなかったと思う。教会のシスターも狼狽えて、「そう言うことでは無いんですよ」と説明してくれたようだったが、僕は僕自身のためにその紙をぶっきらぼうに置いて去った。
巡礼の始めに、ペルドン峠で決別したはずの傲慢な自分が顔を覗かせていることに気がつき、ゾッとした。
「どうしたの?今日おかしいよ」
そう言って心配してくれた妻にも、放って置いてくれ、疲れたと突き放した気がする。
「ここまで来たのに、淋しいね」
そう言った後、別々に歩き出した妻の声が、ずっと頭に響いて離れなかった。
■井ノ原氏の助け
途中の街で祭りを見学し、プルポを食べた。プルポとはガリシア名物料理だ。ゆでダコをぶつ切りにしてオリーブオイルと塩とパプリカパウダーで味付けした程度のシンプルな物だったがとても美味しいと聞いていて、僕達はそれを楽しみにしていた。ただ、僕の振る舞いのせいでそのお楽しみもぶち壊しだったのだが…
この街を過ぎた頃には僕の心にも罪悪感が芽生え始め、妻との関係修復を試みようとしていたのだが、もはや妻は呆れてしまっていた。ずいぶん一人で先を歩いているようだった。追い付きたかったが、足の痛みで速くは歩けなかった。それにしても速い。
「あれ?一人ですか?」
そんな時に声を掛けてくれたのは、日本人の井ノ原氏だった。僕たちよりも少し年下だったがしっかりもので、一人で旅をしていた。
僕達はしばらく二人で歩いた。その途中で、彼がパウロ・コエーリョの「星の巡礼」を読んで、この道を歩きたいと思っていたと言う動機を聞いた。
10年も前からその目標に向けて計画してたのだと言うから、僕らとは年季が違う。純粋に素晴らしい男だと思った。
そして結局、妻と合流してくれた後に目的地のビジャフランカ・デル・ビエルソのアルベルゲまで一緒に来てくれたのだから感謝しかない。彼には気付かなかったかもしれないが、彼が僕と妻の間に入って歩いてくれたのは、関係修復の大きな助けになった。本当に、本当に感謝しかない。
■ホルヘと言うスペイン人
妻は着いたと同時に体調不良を訴えた。風邪気味かも知れないから、少し横になるとの事だった。
僕は街へ薬や食材、栄養になりそうなものを買いに行ったが、生憎当日は休日で、空いている店など殆どなかった。
仕方無しに買ったフルーツと飲み物を手に宿に戻る。その数字間後に、体調が少し良くなったと言う妻をつれて、近くのバルでメヌーを食べた。
宿に戻り、妻を寝かし、洗濯物を取りに行くと、玄関で男が一人。煙草を吸っていた。
彼はスペイン人のホルヘと言って、順頼中盤からアドリアン程ではないがよく構ってくれている巡礼者だった。
彼とのやり取りは少々時間がかかる。彼は英語をしゃべれないから、翻訳アプリを使ってスペイン語でやり取りしなければならない。
僕達は、一つ一つ言葉を探して会話のキャッチボールをしなければならなかった。それでも、彼は面倒くさがらず、僕と会話し、笑ってくれた。
「妻を怒らせてしまった」
そう言う僕の肩を笑って叩きながら、ケータイを打ち、翻訳された画面を見せる。
「そう言うこともある」
それだけ書いてあった。しかし、充分な一言だった。
「明日はどこまで行くの?」
そう僕が聞くと、彼は今度は直接言った。
「オ・セブレイロだ」
セブレイロ峠を登るとなると、距離的に僕達は行けるかどうか分からないな。ちょっと無理かもしれない。皆すごいなと答えると、彼は言った。
「ハハハ!厳しいかもしれないが、頑張ればいける。頑張れば、サンティアゴまで一緒に行けるだろ。」
彼のこの一言が、弱気になっていた僕をもう一度頑張らせる原動力の一つになったと思う。
今日はお祭りの日らしく、宿から少し下ったところで人々が躍り騒いでいた。その日は日がくれるまで、山間の街に歓声が響きわたっていた。
■どうしたら良かったんだろう?
コウノトリが至るところに巣を作り、子育てをしている。僕はそれをぼうっと眺めていた。
「巡礼疲れ」は存在すると思う。少なくとも、ストレスに思う瞬間は誰しもあるはずだ。毎日が楽しいばかりではない。最初から最後までカミーノ最高でしたー!と、良いところだけ語って終わるなんて、そんなケースは稀だと思っている。
どうしたら今日、気持ちよく過ごせただろう。
カミーノの言葉を借りれば、僕はもっと、捨てておくべきだった。
「巡礼に必要なものは多くない。必要なもの以外は、置いてきて良い」と言う意味を、もっと精神的に捉えても良かった。捨てるべきものは何も、リュックサックの中だけにあるわけではなかったのだ。
結局のところ、僕は今日僕自身で何かを解決したわけではないのだから。僕が一日を過ごせたのは井ノ原氏のおかげであり、ホルヘのおかげであり、妻のお陰だった。
あれだけ「放って置いてくれ!」と宣った僕は、最後は人に救われたのだった。それが何を意味するかに気付くのは、もう少しだけ先の話になる。
巡礼に必要なものは、なんなのだろうか?気が付けばゴールまで、残り200kmを切っていた。
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ポンフェラーダ(Ponferrada) ~ ビジャフランカ・デル・ビエルソ(Villafranca del Bierzo)
歩いた距離 23km
サンティアゴまで残り 約186km
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