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僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.9

2018年11月20日

七日目①(ゴーキョ・リ)

■星空

朝四時半のアラームで目が覚めた。体調は昨日の朝ほど思わしくなかった。昨日たくさん歩いて高度を上げたから多少頭が痛いのは想定の範囲内としても、胃の気持ち悪さには参った。サハデにも今日は休んで、明日登らないかと提案しようとしたほど、僕は胃の不快感を感じていた。

しかし、そんな状態ではあったが僕達はこれから山に登ろうとしていた。ゴーキョ・リ(Gokyo Ri,5357m)へは、麓から二時間近く歩かねばならなかった。

朝五時になって、僕は最大限暖かい格好に着替えてロッジの外に出た。そこに待っていたのは満天の星空だった。本当に信じられないほど、星は輝いていた。そしてもはやどれがどの星座かもわからないほど、星々はひしめき合っていた。

とてもとても長い流れ星が流れた。いくつも、いくつも流れては消えていった。もはや東京で見るものとは比べ物にならない圧倒的な世界だった。サハデが呼び止めてくれるまで、僕はずーっと空を見上げていた。

昔々まだ電気も無かった頃には、人々はこんなにたくさんの星空を見上げて過ごしたのだろうか。この星の一つ一つに自分のご先祖様や神様がいると言われたならば、きっと誰もが信じてしまうだろう。この星々のどこかに別の生命体がいると言われたら、それも信じてしまいそうだ。それほどに星は多かった。僕は満天の星空に無限の可能性があると言うことを知り、その空の下を歩いていられることに感謝した。

■懸念

暗闇のなかを、僕達はヘッドライトを付けて歩き出した。湖のほとりを歩いて登山口まで進む。湖に流れ込む小川を越えるためには、頭を出した飛び石の上を歩いていく必要がある。標高5000mの世界を僕は知らなかった。だから、ここから先は未知の世界だったし、そこへ向かう自分は冒険者だと思った。

実際のところ僕は、自分がどのくらいの標高から高山病の症状が現れ始めるのかを知っていた。山をやる人で自分の体に興味がある人ならば大体自分の体調の変化点は分かるだろうが、僕の場合それは3000mだった。何もトレーニングしない場合なら、僕は3000mを越えれば倦怠感や軽度の頭痛が出始める。これはもう何年も前から把握していたことだった。

従って僕にとってはゴーキョ・リに登ることは、それがいかになだらかな丘のように見えていたとしても、挑戦することに他ならなかった。誰になんと言われようとこの山を登りきることで、僕は僕の見ることの出来る景色を一段引き上げてみたいと思っていた。そうすることが僕にとっての冒険なのだ。

■3分の1の酸素濃度

あれだけ登る前は美しく見えた星空も、歩き始めるとまもなく殆ど見えなくなってしまった。それは僕自身が、歩きながら下を向いてしまったからだった。

とにかく酸素が少ないと思った。どのくらい少ないのかは定かではなかったが、とにかくそれ自体がストレスだと思える程度には少ない。''慢性的に呼吸がしづらい''ことは苦しかった。それだけで、体力自慢の僕に下を向かせるだけの充分な理由となっていたのだ。

※調べてみると、富士山(3776m)で【空気中】の酸素濃度は平地の3分の2になり、エベレストBC(5200m)で半分。エベレスト山頂(8868m)で3分の1となる。これが【体内】の酸素濃度となるとさらに下がる。富士山で半分、エベレストBCで3分の1、エベレスト山頂で何と4分の1の酸素濃度しかなくなってしまう。しかもこの数値は高度順応出来ている場合の数値だから、それが出来ていなければ更に酷いことになる。ゴーキョ・リは5357mなので、少なくとも僕は東京で暮らしている日常生活の3分の1しかない酸素の中で山を登らなければならなかった。

サハデはスイスイと登っていった。時々立ち止まってこちらを待ってくれるが、基本的には先行し僕はその後を追った。そちらの方が有り難かった。誰かのペースに合わせるほどの余裕はまだ僕には無かった。

静寂の中、僕の横で突然何かが鳴き、斜面を駆け降りていった。それはチベットセッケイと言う鳥で、翔ぶための助走をつけていたのだった。彼らが空を羽ばたく音は遠くまで良く響いた。そしてまた山は無音に戻った。僕はしばらくチベットセッケイが飛んでいった方向を見つめ、また元に向き直り歩き始める。

二、三歩歩いたところで急にまた立ち止まり、辺りを見渡した。東の空は漆黒から濃い群青に変わっていた。僕は余裕が無いあまりに夜が明け始めたことにも気付けていなかったのだ。

しばらく坂を登ると視界は開け、踊り場のような平地に出ることが出来た。ただしそこまだ山頂ではなかった。ようやく半分。この山には予想していたよりも奥行きがあったのだ。上に奥にと伸びていくから、山頂が近いようで遠い。

「くそっ」

そう呟いて僕は考えることを止めた。もはやどれ程歩こうと関係なかった。僕はただ一歩一歩確実に進み、疲れたら立ち止まり思う存分休んで周りの景色を見ることにした。

そうすることで僕は終わりを意識することがなくなった。休んでは進み、また休んでは進んだ。やがて僕達は大きなタルチョが飾られた岩場に行き着いた。僕は顔を上げたが、それ以上上はなかった。ただ空があるばかりだった。登りはじめのような満天の星空はとうの昔に見えなくなっていたが、その代わりに目の前には淡い水色のキャンバスに薄紫の朝焼けを差した空があった。知らぬ間に僕達は5357mの頂を踏んでいた。

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■達成感と学び

実感はなかったが、サハデは笑っていた。

「おめでとう」と言う彼に対して僕は「ありがとう」とだけ言って握手した。こういう時多くの言葉は必要なかった。

ゴーキョ・リからの眺めは絶景を極めた。眼下にはエメラルドグリーンの湖があり、見渡せばエベレスト(Everest,8848m)やローツェ(Lhotse,8516m)も見えた。北側にはチョ・オユー(Cho oyu,8201m)も、あのクライマー山野井泰史・妙子夫妻を伝説たらしめたギャチュンカン(Gyachungkang,7952m)も見えた。

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日常生活の中で物語調に聞くことしかなかった山々は、確かにそこに存在していた。それをこの目で見れたことは想像を遥かに越えて僕を感動させたのはもはや言うまでもなかった。涙こそ流さなかったが、僕は鼻水をどうしても止めることが出来ずにいた。

ここまでの道のりは自分自身が思っているよりずっとハードだった。それが僕の体力の問題なのか、あるいは高度順応の足りなさなのかは定かではないが、とにかく決して楽だったと言えるものではなかった。

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ただ過程はどうあれ、僕は目標のひとつをを達成したことに間違いはない。そして今日の山を通してひとつ学んだことがある。

それは【一歩一歩積み重ねた先に結果がある】と言う当たり前のこと。当たり前に聞こえるが、それを体験して言えるかどうかの差は大きい。苦しくても自分に出来ることは一歩一歩足を前に出すことだけだった。出来ることは限られていたが、それでもやるべき事をやらずして到達はなかった。それが例えどんなに小さく些細に見えたとしても、限られていたとしても、やるべき事を継続することで目的は達成されたのだ。そう言うことを山は教えてくれた。

■下山

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山頂でサハデと記念写真を取り、山頂を散策する。とうに夜は明けていたし、先ほどまで弱音をあげていた体は、もはやこの上が無いからかすっかり元気を取り戻していた。

天気は最高に良かった。突き抜けて青い空の下で、僕達は岩場をピョンピョンと跳び跳ねて移動しながらどこからどの山が見えるか見て回った。

少しずつ位置を変えると山の見える角度も変わり、それによって山も表情を変えた。ただそれだけのことなのに、それが楽しくて僕はしばらくその遊びを続けることにした。子供じみていたが、世界の名だたる山を前にした贅沢な遊びだと思う。「あの山は誰が登って、その山にはこんな神様がいる」そうやってヒマラヤの山々をひとつずつ紐解いていく事は、山好きにとってはきっと至高の遊びに違いない。

帰り道はあっという間だった。時々振り返って山頂を確認する以外は脇目もふらず駆け降りた。やがて山頂が見えなくなると、振り返りすらしなくなった。それは目の前の美しい湖に目を奪われていたせいでもあったし、何より腹が減っていたせいだった。夜明け前に起きてからここまでの間で、食べたものはスニッカーズだけだった。

「一秒でも早くトーストにありつきたい」

食欲は戻っていた。体の調子も良くなっている。どうやら今朝の心配は杞憂に終わったようだ。この分なら今日中に氷河を一つ越えていける。

その前に妻に連絡しよう。無事一つの目標を達成したことを報告するんだ。僕は意気揚々とロッジに戻り、食堂のドアを開けた。

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