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僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.10

2018年11月20日

七日目②(ゴーキョ ~ タンナ)

■NO WIFE, NO LIFE

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朝食を食べて一段落した後、僕は宿番にWifiが使えるようお願いした。妻や家族に自分の現在地を伝えるためだった。

※ヒマラヤのロッジは比較的通信環境も整っていて、ほとんどの宿でWi-Fiを利用することが出来る。ただし、利用金額は奥地にいけば行くほど高くなる。ゴーキョでは、利用に1000円ほど費やした。平地と比べれば高くつくが、場所を考えれば仕方の無いことかもしれない。

一通りの連絡を済ませ、出発した。

今日は既にゴーキョ・リに登山したのだが、これで終わりではない。ゴジュンバ氷河を越えてタンナ(Thangnak,4700m)まで行く予定だ。そのため、僕達はあまり長いすることなくゴーキョを出発しなければならなかった。

後ろ髪引かれる思いで村を後にした。ロッジの周りを餌を求めてチベットセッケイが歩き回っている。暗闇で聞こえた彼らの声は恐ろしかったが、今はもう怖くはなかった。

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少し丘を登ると、ゴーキョ一帯の全景が良く見渡せた。浅葱色の湖は変わらず、地球の神秘を思わせた。どうしたらあんなに綺麗な色になるのか、僕にはまだ理解すら及ばない。

岩の上に登って湖を眺めながらサハデは笑顔で言った。

「ダイスケは、''NO WIFE,NO LIFE''だよね」

そして親指で自分を指差しこう付け加えた。

「俺も同じなんだよ」

サハデには妻子がいる。彼は家族をカトマンズに残し、彼自身はガイドとして山で多くの時間を過ごすのだそうだ。トレッキングガイドだけではなくクライミングもやるため、決して安全な仕事ではないはずだ。

「寂しくないのか?」と僕が聞くと、彼は「いつも一緒だからなぁ。寂しいけど、家族のためなら働ける。」と答えた。彼は僕と同い年だったが、既に立派な一家の大黒柱だった。

僕もまた、人から見ればNO WIFE,NO LIFEだったらしい。つまり「妻をなくして人生はない」ように見えるのだそうだ。

確かにここまで事あるごとに妻のことは考えていたと思う。彼女を連れて来られたらどんなに良かったろうとか、登山が苦手な彼女をどんな手を使って連れて来ようだとか、美しい景色に出会う度にそんなことを考えた。

もしかしたら、その時点で僕の旅は変わっていたのかもしれない。一人で楽しむ旅から、大切な人と共有する旅へと価値観は変化していたのかもしれない。ここが転機かどうか定かではないが、僕は帰国後早速妻を旅に誘うことになる。そして結果として夫婦共々仕事を辞め、スペイン横断800kmをひと月かけて行うことになるのだった。

とにもかくにも、サハデの言葉は僕の心に刻み込まれた。僕にとってのNO WIFE NO LIFEは、妻と二人で旅や日常を通して思い出を共有していく事かもしれないなと感じていた。

■ゴジュンバ氷河

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人生で初めて''氷河''と言うものを歩いたかもしれない。ゴジュンバ氷河は砂と、岩と凍った湖が広がる荒涼とした谷になっていた。

僕にとってネパールは、初モノづくしの国だ。氷河どころかそもそも登山を好きになったのも、カトマンズ郊外のナガルコットの丘(Nagarkot)がきっかけだったのだから。僕にとってこの国は''第二の故郷にしたい国''なのだ。

砂と氷の世界は圧倒的に広かった。ただし、湖面に張った分厚い氷の上にも砂が被っていたから氷河と言うよりは砂漠のように見えた。照り付けるヒマラヤの日差しのせいで、僕はもはやここが氷河であると言われてもそれを信じることは難しいと思った。その荒涼とした空間は、それはそれで堪らなく魅力的だったのだけど。

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僕とサハデはのんびりと歩いた。時折サハデは石を持って氷河湖に投げてみたりした。ちょっとやそっとの石では氷は割ることなどできなくて、石はただ湖面を転がるばかりだった。湖の端には大きな口を開けた洞窟のような空間もある。ポッカリと口を開けた隙間は何もかも飲み込んでしまいそうなほど暗かった。もしどこかのシェルパが「ここにイエティがいる」と言ってきたら、僕は迷わず信じてしまうだろうと思うほど、その隙間は暗く深みを感じさせた。

※とても楽しく歩いた湖の区間だが、実際は深刻な環境問題に晒された場所なのだと知った。氷河湖とはそもそもが氷河が溶けて出来た湖であるから、地球温暖化により氷が溶ければ水嵩は否応なしに上がるのだ。そして、溶けた水で水位が上がればいずれ氷河湖は決壊し、洪水が起きる。(氷河湖決壊洪水)ネパール語でチュ・グマ(壊滅的な洪水)と言うそうだ。僕が考えているよりも随分事態は深刻だと分かったのは、帰国した後の事だった。

地球温暖化の影響は、気温や海面上昇だけでなくこんなに標高の高いヒマラヤにさえ起きている。その真実を多くの人々は気付かずに過ごしてしまいがちだ。

「花を見るときは、綺麗なところばかり見てもダメだ。見えない根っこまで見ようとすることで、花の全体を知ることが大切だよ。」

学生時代に自転車旅をしていた頃に話をした人から貰った言葉を思い出していた。物事を理解するためには、表面をなぞるだけではダメなのだ。

■文明

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タンナ(Thangnak,4700m)は数軒ロッジがあるだけの静かな集落だ。氷河から流れる小川を挟むように村を作っている。その内の一軒で僕達は休むことにした。

この日僕は四日ぶり(ナムチェ以来)に体を洗った。と言っても、日々汗をかくほどの運動はしないようにしているのだが…とにかく足裏と顔、頭だけ洗おうと思い、靴下とタオルを洗濯するついでに体も洗ったのだった。

水は恐ろしく冷たかった。借りてきた金だらいに水を溜めてそれを頭にかけるだけで冷たくて頭が痛くなりそうだ。だが、それがかえって良かった。お陰さまで随分とスッキリ出来た。

日々疲労は溜まっていると思う。朝の出発も早くなった。それはつまり、移動距離の長いこの旅の核心に近付いていることを意味していた。

ネパール食も流石に飽きてきたようで、ダルバートを食べるほどの余力もなく、最近は専らパスタかヌードルを食べている。食のバリエーションが欲しい。緑茶とお茶漬けとか…そうそう、そう言うので良いんだよ。なんて。

これはストレスなのだろうか。こんな時、僕は山に上手く馴染めていないだろうかと不安になる。人と繋がっていると言う安心感、美味しい食があると言う安心や、毎日温水シャワーを浴びられる幸せ。自分が日々どれだけ恵まれているかと言うことは、それがない状況にならなければ知ることは出来ない。

早くてあと五日ほどでエベレスト街道の旅は終わる。この山行から帰ったときに僕は、自国の文明をどう受け止めるだろうか。そして、この国の文明に何を想うのだろうか。

■老夫婦

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宿には殆ど電気が通わず、食堂を照らすのはわずかばかりの電球の灯りだけだった。

日はとうに暮れ、ヒマラヤは長い夜を迎えていた。薄暗い食堂の中心で、主人はストーブに薪をくべた。少し温かくなる。今日の宿泊者は僕とサハデと、あとはフランス人の老夫婦が二人だけだった。自然と四人は中心に集まり、ストーブを囲むようにして暖を取った。

言葉は交わさなかった。老婦人は夫に寄り添いながら電子書籍を読んでいた。聞こえるのは薪がパキパキと燃える音と、絶えず流れ続ける何かの電気音だった。キッチンからはシェルパの家族の笑い声が聞こえる。少し耳を澄ませると、遠くで鈴の音が僅かに聞こえた。外をヤクが歩いているのだった。

それら全てが絵に描いたような美しい時間だった。様々な物が【足りない】と言うことが、その時間と光景をより一層美しくした。とても満ち足りた時間の中で、僕はその老夫婦も、シェルパの家族もとても羨ましくなり、いつか僕達もそうなりたいと思ったのだった。

明日の起床時間は今日よりも早く、四時半には出発することになった。明日こそがこの旅の核心部、チョラパス(Chola pass,5420m)と呼ばれる氷河を越える日だ。今日登ったゴーキョ・リよりも高い標高を抜ける事に、不安はあるが心は踊っていた。とにかく安全に、無事に乗り切って妻に報告することが目標だ。

夜九時には全てを切り上げて寝袋に入った。

「寝ていると呼吸が浅くなるから、頭が痛くなるんだよなぁ」

そんなことを考えていたが、やがて睡魔がやってくると僕は素直に従った。結局そんな不安も杞憂に終わることになる。頭の痛みよりもむしろ、頻繁に催す尿意の方が厄介に思えたほどだった。

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