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僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.11

2018年11月21日

八日目(タンナ ~ ゾンラ)

■夜明け前

目を覚ますと時計は四時十五分を示していた。少し遅刻したなと思いながら支度して食堂に向かうと、そこにはまだ誰もおらず電気すら付いていない。外からの月明かりが窓から漏れ、壁際のベンチだけがハッキリと照らされていた。

サハデはそれから十五分経った四時半に起きてきた。遅刻した割にはのんびりしているなと思ったが、それは僕も同じだとすぐに思い直した。彼は寝癖でボサボサになった髪を掻きながら笑顔で朝のコーヒーを勧めてくれたので、まずは二人で一杯やることにした。

四時四十五分にロッジの外に出ると、空は昨晩と同じように満点の星に包まれていた。昨晩よりも少し早く外に出たせいか、月の位置はまだ少し高く明るく感じた。月明かりが明るければ星の光はその分弱まるのかと思っていたがそんなことはなかった。まさに【星がひしめき合う】と表現がピタリと嵌まるくらい、星もまた力強く輝いていた。

今朝の調子はだいぶ良い。5000m近い標高にも随分体が慣れたようだ。昨晩フランス人の老夫婦の仲睦まじい様子を見て、僕も妻が恋しくなってしまった事以外は、心穏やかに出発を迎えることが出来ている。

今日の目的地はゾンラ(Dzonglha,4843m)。標高はタンナとさほど変わらないが、そこへ行くためにはチョラ・パス(Chola pass,5420m)と言う氷河の峠を越えていく必要がある。予定は峠まで四時間半。そこからゾンラまで三時間。計七時間半の行程となる。

川に沿って谷を歩きだした途端、たくさんの視線を感じた。不思議に思ってそちらを向いてみると、驚くことにそこには無数の黄色い光が暗闇に漂っていた。思わず立ち止まり、その怪しい光を見つめる。チリンチリンと鈴の音が聞こえたところで僕は理解した。それらは食事中のヤクだった。僕らは知らぬ間に、食事中の彼らの縄張りを突っ切って歩いていたのだ。

「早朝から彼らの食事と眠りの邪魔をしてしまったな」なんて事を思いつつ僕は再び歩きだした。ヤク達は突然の訪問者にも驚くことなくそれを見送り、また鈴を鳴らしながら食事を始めた。

■野を越え山を越えて

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歩けど歩けど未だ峠はその姿を見せることはなかった。朝七時頃の日の出のころには大きな丘を越え、美しい朝焼けを見た。ただしそこはまだ峠の入り口にも至らない。しばらくの休憩のあと、僕は気を取り直して歩くことにした。

そこからいくつも丘を越え、やがて大きな岩山が僕達の目の前に現れた。その岩山は大きく険しく見えた。サハデはどんどん進んでいく。どうやらここを越えなければならないようだ。

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岩山は思った以上に険しく、体感としては北アルプスの岩場のようだと思った。しかしこの岩山と北アルプスの決定的な違いは標高にある。重たい荷物を背負いながら5000mと言う高所で岩登りをすると言うことは、それ自体が足枷だった。

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息を乱さないように、一歩一歩慎重に登る。ここはきっと昨日登ったゴーキョ・リよりも厳しい道だが、僕は昨日よりも落ち着いていた。

「経験が活きている」そう実感した。

僕は一歩ずつ前進すればどれだけ苦しくても、例え高所であろうと先に進めることを学んでいた。岩山を登るときは足場に気を付け、落石に気を付ければ良いことも知っていた。例え酸素が薄かろうとやるべき事はハッキリとしていたから、あとはそれを忠実にやれば良いと言うことが僕を勇気づけた。

「ここからは結構ハードだから、君のザックと俺のを交換しようか?」

サハデは僕の大きなザックを心配してそう提案してくれたが、大丈夫だと断った。

調子は良かったから、このまま行きたかった。それに提案に甘えて自分の荷物を持って貰ったりしたら、この旅が、この道が自分のもので無くなってしまうと思ったのだ。

大変でも自分でやり通すのだと、僕は心に固く決めていた。サハデはそれを理解し、それからは何も言わなかった。

沢木耕太郎氏は著書【旅する力】の中で、シカゴブルースの引用や自らの言葉で「乗り合いバスの窓から見える風景は、自分を映す鏡となる。」と言う表現をしている。

この窓の風景が自分の目で見る景色ならば、このトレッキングを通して僕もまた自分自身を見つめていることになる。だとすれば、今この瞬間に僕が見ている光景や楽しかったこと、辛かったことを自分自身にどう置き換えれば良いのだろう。

■氷河を歩く

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登り始めて一時間ほどで、それまで岩山の先には空しかなかった空間に唐突にゴールテープのように横に張られたタルチョが現れた。ようやくチョラパスの頂に立ったのだ。

サハデと今日の山場を越えたことを祝ってハイタッチし、記念撮影をする。デジタルカメラのバッテリーは切れていた。日が当たらない岩場を登っている間に電池が機能しなくなってしまったのだ。「これだけ寒ければ無理もないな」と思いつつ胸元で一生懸命温め、戻った僅かな電力を頼りに数枚だけ大切に写真を撮った。そして次のシャッターチャンスに備えるために、カメラは大事に胸元にしまっておくことにした。

僕達の他には数人のポーター達がいた。彼らは僕よりも余程大きな荷物を持って、なおかつ僕よりもずっと早く歩いた。

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朝食用のリンゴを食べ、チェーンスパイクを履いた。ここから氷の上を歩いて峠を下る。

氷河は昨日のゴジュンバ氷河とは違い、ブルーアイスがむき出しになっていた。ガシガシとスパイクを噛ませようとしても、ちっとも歯が刺さってくれない。こんなに厚い氷は経験したことがなかった。

そんな氷上をシェルパ達は実に効率的に歩く。どれだけ大きな荷物を背負っていても彼らは転ばなかった。足元を見てもチェーンスパイクなど履いていない。精々縄を巻いて滑り止めにする程度だったことにはただ驚くしかなかった。

■準備不足の人々

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氷河にはトレッカーも何人かいたが、その多くは準備不足のように見えた。彼らは一般登山者にも関わらず、アイゼンもチェーンスパイクも履いていなかったのだ。そのため彼らの殆どがコロコロと転んでいたし、ある者は後にも先にも進めなくなっていた。彼のすぐ近くには、クレバスが大きく口を開けている。

それはあまりにお粗末な光景だった。彼らはどういうつもりでここへ来たのだろう。滑って落ちたらどうしようだとか、リスクについては考えないのだろうか。【自分の身を守るための最低限の準備は必要】と思っていたけれど、それも人それぞれなのだろうか。氷河を滑って危機一髪と言うことでさえ、きっと一部の人にとっては武勇伝なのだろう。

サハデは身動きのとれなくなった旅人の側に駆け寄り、暫く会話した後平然と戻ってきた。彼はアイゼンを履いていなかった。

「アイゼン、あげちゃったの?」と聞くとサハデは笑った。

「俺は大丈夫。それに彼は困っていたから、あれは彼にこそ必要だったんだ。1500ルピーで皆ハッピーさ」

■完全に無音の世界で

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氷河を渡り終えて、急な岩場を下っていくと目の前に雄大なアマ・ダブラム(Ama Dablam,6856m)が現れた。僕がこの山行で最も気に入った山だ。中央にアマ・ダブラムが聳え立ち、その手前の平野を氷河から溶け出した小川が血脈の様にいくつも流れていた。

本当のところを言えば、中央に見える美しい山がアマ・ダブラムだとは最初気が付かなかった。僕が始めに見た山容とは明らかに違っていたからだ。サハデが言うには、明らかに山容が違って見えるほどに僕達がアマ・ダブラムの周りを歩いているからとのことだ。

確かに僕達はゴーキョから峠を越えてエベレストBCに行くから、山をぐるりと見回すようなルートを通ることになっていた。このコースを真正面から眺め続けられるのは贅沢の極みだと思う。これだけで朝早く出て延々歩いた甲斐がある。

それにしても静かだ。今日は風もなく、周りに動物がいるわけでもない。サハデも随分と先に行ってしまったお陰で足音すら聞こえない。

完全な無音の世界は始めてかもしれないなと思った。耳を閉じるわけでもなく、静かな環境を意識して作ると言うわけでもない。全く自然にそこに無音の世界があるだけだった。その世界に身を置くと、この世ではない感覚に陥る。僕はしばらく岩に腰かけてその世界に入り込み、体を休めることにした。

もう少し歩けば今日の目的地のゾンラ(Zonglha,4830m)だったが、まるで動く気がしなかった。先を行くサハデには申し訳ないと思ったが、僕は岩の上で寝転がって空を眺めてみた。

「この二日間は張り詰めていたなぁ」

と振り返る。体は上手く適応してくれているが、歩けば疲れは隠せない。それだけにトレッキングの途中に自分のリズムで横になれるなんて嬉しかった。それだけ余裕が持てたと言うことなのだから。

こんな旅はもう出来ないと諦めていた事を思い出していた。僕の目前には独立と言う夢があり、結婚生活と言う現実があった。30歳を過ぎて人並みの生き方が求められている中で、独立開業ですらハードルは高い。ましてやヒマラヤに来るなんて到底不可能だと思っていたのに。実際の僕は寝転がってヒマラヤの空を見ている。

それを実現させてくれたのは周りの協力のお陰に他ならなかった。職場の協力があり、妻の理解があってこそだった。

「きっとこう言う旅がしたくても出来ない人はたくさんいるだろうな。」

僕は人の協力に対して、また一歩踏み出す機会と勇気を持たない人に対して何が出来るのかと言うことについても考えていた。きっと実用的なアドバイスなど出来ないだろうとも思ったし、旅をするために実用的な助言が必要かどうかも分からなかった。

「誰かにこの世界を伝えられるように出来たら良いなぁ」と呟いた。

そうだな。僕は旅をして世界を感じよう。目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅ぎ、舌で味わおう。そしてそれを出来るだけ詳細に伝えよう。それを聞いた誰かが、まるでその世界に身を置くかのように鮮明にイメージできる程に細かいところまで感じよう。

「だったら、今こうやって無意味に空を眺めているのもあながち無駄な事でもないな」

ようやく都合よく結論を導いた僕は、もう暫く世界を感じていようと思い目を閉じることにした。


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