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「やさしい日本語」は誰にやさしくしているのか

毎日ほぼ同じ格好で学校に来る学生がいる。
同じ色・丈のスカート、同じ色のシャツ、同じ色や形のカーディガンなどを基本的に毎日身につけている。

それが昨日は、ちょっと違う服装をしていた。
いつものシャツとスカートではなく、Tシャツとゆるっとしたパンツという、いつもより少しカジュアルな雰囲気だった。

すると、その学生のクラスメイトであるアメリカ人留学生が言った。
「あの人、今日だけ服が違いますよね。それで、私は、えーっと…I couldn't recognize her 」
最初は日本語で言おうといろいろ考えていた様子だったが、たぶん思いつかなくて英語で表現した。

そして「日本語でどうやって言えますか?recognizeは日本語で何ですか?」と質問が来た。
recognizeが日本語で何かと問われると「認識する」だろうけど、
この場面で「私は彼女を認識できませんでした」と表現する母語話者はいないだろうとも思った。

私なら「最初、○○さんだとわからなかった」と言うかな、と考えた。
この表現なら文法も使っている語もそんなに難しくない。
「わからなかった」と表現するのも、シンプルだしわかりやすい。

そう伝えると彼は「お~、なるほど。わかりました」と納得した様子だったが、同時に「難しいですね~」とも言っていた。

「最初、○○さんだとわからなかった」という文自体は極めて単純で、難しいとは思わない。
けれどもたぶん、その場面で彼の言いたいことを率直に表現した「I couldn't recognized her」からスタートして「最初、○○さんだとわからなかった」にたどり着くのは確かに難しいと感じるかもしれない。

文の構造も、使われている語も違う。私は英語が堪能なわけでは全くないが、「わからなかった」よりも「recognize」の方がもっと意味を限定している(ただ理解できなかったのではなく、視認したうえで自分の認識とマッチさせることができなかった、というような?)気もする。

主に災害時の呼びかけや、日本で生きていくためにすぐに必要な情報などを発信するための、平易な文法や言葉は「やさしい日本語」と呼ばれている。

例えば「○○県沖を震源とするマグニチュード○の地震が発生しました。この地震の影響により、津波が発生する危険性があります。海岸付近の方は直ちに高台へ避難してください」という情報を、やさしい日本語にすると
「○○県で大きな地震がありました。つなみが来ます。すぐ高いところへ逃げてください」のような文にできる。

母語話者から見ると、やさしい日本語の文はいろいろな情報がそぎ落とされている。マグニチュードの大きさ、津波が来るのは確定ではないという情報、避難と言う言葉が含む「逃げる」以外の行動。アナウンスとしての丁寧さ、言葉の正式さ。

しかし全部の情報を聞き、まるっきり理解できなくて身動きが取れなくなるよりも、
必要最低限の情報をかんたんなことばで聞いて、少しでも理解でき、行動につながる方がよいという考え方だ。

災害以外でも、日本語教育の現場でもこのような技術はよく使われている。
日本語がまだ十分に使えない人々に日本語で日本語を教えるには、できるだけシンプルな日本語でのやりとりが必要不可欠だ。

「やさしい日本語」は理解が簡単であるというのは間違いない事実だが、
こと産出においては、かんたんな日本語で言いたいことを伝えるというのは、recognizeの意味を知りたがった彼のように、そこまで簡単ではないのかもしれない。

と、この仕事を始めて5年目にしてふっと気が付いた。

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