言葉が通じないことは恥ずかしくなんかない。
海外旅行をしていた時のこと。世界各国から人が集まるリゾート地で、私は二階建ての観光バスに一人で乗っていた。気候が良くて景色もキレイなその地を満喫すべく、見晴らしのいい二階席に座るのが好きだった。座席に決まりはないからみんな好きな場所に座っている。
ある停留所で、日本人のグループが乗ってきた。その日はバスが混んでいたから、二階まで上がってきたものの座席が空いていないようだった。その時、バスの運転手さんがマイクを使い英語で何やら言っているのが聞こえた。どうも二階で立ち往生している日本人に向けた言葉らしい。
私は英語が話せないから、どんな内容だったのか詳しくはわからない。それはそのグループの人たちも同じようで、英語を理解できていない様子だった。しかし、周りにいた人たちがそのグループに向けて英語やジェスチャーで、「二階は立ったままだと危ないから一階に降りて」と言っていることがなんとなくわかった。
私は座ったままその様子を見ていたし、自分に向けられた言葉ではなかったから焦ることもなく冷静に状況を把握できたが、そのグループの人たちは焦ってしまい、下を指差すジェスチャーにつられてその場でしゃがみ込んだ。
それにより、二階席では笑いが起きた。周りの人は親切に教えてくれていたし、バカにするとか呆れるとかそんな感じではなかったと思うけど、本人たちはなぜ笑いが起きたのかわからず、恥ずかしそうにしたり少し怒った顔をしたりする人もいた。
その姿を見たとき、私に起こった出来事ではないはずなのに、胸が痛んで少し悲しかった。私だってなんて言ってるかわからなかったよ!と言いたかったし、全然恥ずかしくないから大丈夫だよ!とも言いたかった。
しかし何も言えず、すぐに一階へと降りて行ったその人たちを見送った。ここまでほんの数十秒の出来事。
隣に座っていた人も笑っていてこちらに視線を向けてきたが、私は目を合わさずにただ前を向くことしかできなかった。それで自分の気持ちを表現しているつもりだった。私は笑ってはいけない。
どうしてこんな何年も前のことをいまだに鮮明に覚えているのか自分でもわからないけど、きっと私も同じ経験をする可能性があるから他人事に思えなかったのかもしれない。
英語でも他の言語でも、言葉が通じないと不便なことはある。でもそれは何も恥ずかしいことではないと思う。名前も知らないその人たちは、この時の出来事なんてもうとっくの昔に忘れているかもしれないけど、今度私がそういう場面に遭遇したらどうするんだろうと考えることがある。
あの時、悲しそうに怒った顔をしたあの人が、そのあとの旅行を楽しめていたらいいな。
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