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小学生でもわかる民主政と古代アテネの歴史

読者はギリシャとアテネと言えば何を思い出すだろうか?ギリシャ神話?財政破綻?確かにそれも大事だが、それよりも古代アテネ人はもっと大事なことを生み出した。それが「民主政」である。今回は古代アテネの歴史について学んでいきたいと思う。

民主政とは多数の市民が政治を仕切っている状態のことを指す。ちなみに王政とは1人が政治を仕切っている状態のことを指す。貴族政とは少数の選ばれた人たちが政治を仕切っている状態のことを指す。

古代ギリシャのアテネは最初から民主政だった訳ではない。アテネも他の都市と同様に初期は王政だった。王は貴族の指導者だった。しかし、王は紀元前7世紀前半に支配者としての立場を騎兵として都市を防衛していた貴族に交替されてしまう。騎兵になるには馬が必要である。動物を飼うことはお金がかかることである。なぜなら動物は餌や水、薬などの維持費がかかるからである。同じように馬も動物なので餌である大麦や水、馬に乗るために装備が必要なのでそれに加えて自転車でいうサドルに相当する鞍やペダルに相当する鐙も必要である。そうなると維持費が高くなるのは当然で、必然的に貴族や金持ちが騎兵になっていく。政治に参加することが許された貴族たちは9人の大統領を選んで都市を治めることにした。これが貴族政である。しかし、そんな貴族政も長くは続かなかった。その原因は金持ちの平民が増えたからである。人口が増えると市民がご飯を食べられるようにするために農地になる土地を増やさなければならなくなる。しかし、農地になる土地は限りがある。そうなるとアテネ市民はふるさとを離れて外国の農地を探さなければならなくなる。人口が増えすぎた中国でも華僑が外国へ出稼ぎに行ってそれぞれの華僑が横浜や神戸に中華街を作って情報や商業の網を張り巡らせたのと同じように、外国へ出稼ぎに行ったアテネ市民も外国で植民市を作って情報や交易の網を張り巡らせた。有名な植民市はトルコ西部にあるイスタンブール、イタリア中部にあるナポリ、フランス南部にあるマルセイユなどがある。植民市を作ることにより交易が活発になった。また、トルコにあった王国から金属でできたお金が伝わったことにより、植民市のアテネ市民が金持ちになってきた。その結果、平民出身である職人や商人の力が強くなり、武器の価格が下がるようになって平民でも強い武器を持つことができるようになった。平民たちは都市の防衛を担うようになり、「都市が守られているのは平民たちのおかげ。だから政治に参加したい。」と貴族たちにお願いしたのである。これが民主政の始まりである。

紀元前7世紀末期、政治家のドラコンはそれまでしきたりとして扱われていた法律を文にすることにした。これがドラコン法といって、アテネ最古の文字が書かれた法律である。ローマでいう十二表法に近いかもしれない。紀元前6世紀初期、政治家のソロンは貴族と平民の対立を防ぐために持っているお金によって階級を決めることにした。階級によって特権も義務も異なる。これを財産政治と言う。貴族と平民の対立を防いだ所はローマでいうリキニウスとセクスティウスに近いかもしれない。紀元前6世紀半ば、平民の不満を利用して政治家のペイストラトスは追い出した貴族が持っていたお金を平民に配った。また、平民の信頼を得るために平民に商工業の雇用と娯楽を与えた。やっていることは古代ローマのパン(雇用)とサーカス(娯楽)に近いかもしれない。紀元前508年にクレイステネスは名前を書くだけで悪い政治家を一定期間追放できる仕組みと貴族政治の源である血縁主義を廃止してアテネとその周辺であるアッティカを10個の地域にわけて平等に政治を行うようにした。詳しく言うと1個の地域につき1人の将軍と50人の国会議員を地域の市民が選ぶ方法にしたのである。

紀元前5世紀前半にペルシャ戦争が起こった。ちなみにペルシャは現代のイランに相当する地域である。ペルシャ帝国は海上貿易でフェニキア人が有利に、ギリシャ人が不利になるようにしたので、ギリシャ人は怒って戦争を始めたのである。紀元前490年のマラトンの戦いでエリートの平民からなるアテネの陸上部隊が活躍して戦いに勝った。また、マラトンの戦いから10年後の紀元前480年では底辺の平民からなるアテネの海上部隊が活躍して戦いに勝った。その結果、ギリシャ人はペルシャ帝国の侵略からギリシャを守ったのである。ギリシャでは戦争に勝ったご褒美にある条件を満たせばエリートの平民でも底辺の平民でも政治に参加することが許された。紀元前443年から紀元前429年の間に将軍だったペリクレスは貴族の特権を弱くして平民の力を強くした。その結果、民主政を完成させた。しかし、ペリクレスが作った黄金時代も長くは続かなかった。

紀元前5世紀末に共同体の首都であったアテネは傲慢になっていき、スパルタ一派がアテネに反抗するようになった。戦争している間にペリクレスは死亡し、病気がアテネに広がった。病気や不況、戦争などの悪いことが起きると人は不安になり、その不安を利用して人気取りに走る政治家が出てくるようになる。これを扇動政治家という。アテネが身内で喧嘩している間にスパルタはペルシャに助けて貰いながらアテネに戦争で勝った。戦争に負けてしまったアテネは農業がダメになってご飯が食べられなくなり、お金が経済を支配する貨幣経済がダメになって貧乏人が増えて市民は落ちぶれてしまった。これまで市民兵で戦ってきたアテネだが、不況になったアテネは傭兵を雇うしかなくなった。市民兵は自分が住んでいる都市を守ることが目的なので比較的裏切りにくいが、傭兵は金で雇われているので、より大きなお金が稼げる都市に寝返ってしまうことがある。そのため都市の防衛力は弱くなり、最期はマケドニア王国に負けてしまい、アテネはマケドニアに支配されてしまう。

アテネがアメリカ、スパルタが中国、ペルシャがロシアに似ていると思うのは私だけだろうか?


参考サイト

http://polyphony-of-history.net/greece/greece-11.html


学校間総合ネット school.gifu-net.ed.jp

世界史プリント NO.4 古代ギリシア1

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