「眼球が欲しいか?」と聞かれ愛を知る

 日本人に特有の英語の発音があるように、カンボジア人にもそれがある。
 インターンでカンボジアに来てから十日ほどが経ったが、このカンボジアン・イングリッシュが中々聞き取れない。
 アクセントに悪戦苦闘、と状況だけ聞けば中々愉快だが、ちょけてる場合ではない。現地の英語が聞き取れないのは、四カ月間この国でインターンをする身としては死活問題である。
 聞き取れないと嘆いてばかりでは意味がないので、わからないなりにカンボジア英語を分析してみた。すると、どうやら彼らの英語には、単語の後半部の音が脱落するという特徴があるようだ。
 ある日昼食を終えてオフィスに戻ると同僚に「ラン?」と訊かれた。初め何のことだかさっぱりわからなくて、それが「ランチ」のことだとわかるまでに、もう一度ランチが食べられるくらいの時間がかかってしまった。
 つまり「ランチ」の後半の音が脱落して「ラン」になっていた。
 "Did you have lunch? (お昼ご飯たべた?)"
 と言う場合、アメリカンアクセントだと「ディジュ・ヘァヴァ・ランチ?」といった具合になるが、これをカンボジアン・アクセントにすると「ディジュ・ハッ・ラン?」となる。

 別の日のランで僕は小さなレストランに入った。
 ランでレストラン、と状況だけ聞けば愉快極まりないが、ちょけてる場合でもなかった。そこで事件は起きた。
 レストランといっても、そこは「地域食堂」といった方が印象に合っていて、店は駐車場の脇に建てられたトタン屋根の小屋の中で細々と、しかし多くの客で満たされ賑々しく営まれていた。
 上背のある屈強な男性店員にメニューを注文し終えたところで、温かいお茶をすすりながら料理が来るのを待った。
 店内は日差しがしのげる分、完全な屋外ほど暑くはなかったが、扇風機が稼働しているだけで冷房設備はなかったので、お世辞にも快適とは言えなかった。
 そうして“カンボジア情緒“を味わっていると、先ほどの体格の良い男性店員が戻って来て、僕に訊ねた。
――ドゥー・ユー・ウォン・アイ?
 …………なんて言った? 
 すぐに返事ができなかった。
 素直に受け取れば、"Do you want eye?(お前、眼球が欲しいか?)"だった。 
 いや、いらない、いらない。
 一体、この男は何がしたいんだ。
 男はすると、まっすぐな目でこちらを見つめてきた……だから何がしたいんだ。
 彼はそれから同じことを何度も訊ねてきた。
「アーイ、アーイ? Do you want アーイ? アーイ?」 
 この質問、何がそこまで彼を駆り立て、必死にこちらから回答を引き出そうとしているのかさっぱりわからなかったが、しきりに「眼球が欲しいか? お前、眼球が、眼前が、欲しいのか??」と訊ねてくるものだから、いっそのこと「いえーす!」とふざけて言ってやろうかとも思った。
 だがそんな勇気はなかった。彼の瞳はまっすぐだった。
 恥ずかしながら僕は自分でもわかるほど狼狽えて、しどろもどろに英語で訊き返した。
「アイってなんですか?」
 すると男性店員は僕以上に戸惑い、それから笑った。
 周囲にいた英語がわかる人たちも、もれなく笑った。
 店員は近くのテーブルを指さし、流暢なカンボジア英語で言った。
「This is アイ.」
 そこには氷――ice アイス――が置かれていた。
「ああ、あいす!」
 日本人丸出しの相槌を打ってしまった。
 僕が手の中の温かいコップを店員に差し向けると、彼は大きな氷を入てくれた。
 彼のやさしさが溢れ出すように、少しだけコップの縁からお茶がこぼれた。まだ温かいそれが指の腹に触れた。
 その瞬間、これが本当の〝アイ〟だと知った。
 

あれ、僕は何がしたかったんだっけ?
そうだ、メコン川で水切りがしたかったんだ!

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