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【目印を見つけるノート】1466. 赤い靴と「書くこと」

nasaearthというアカウントのインスタグラムを見たら、衛星が撮影した川や湖の定点経過がありました。川は、流路がものすごく変わっていたりしてとても驚きました。nasaearthは地球に関する画像や映像が見られますが、大地や大気や水の様子がダイナミックに感じられますね。nasaだけでいくつかインスタグラムのアカウントがありますが、どれもとても面白いです。例えばハッブル宇宙望遠鏡からの画像は「圧倒的な驚異」としかいいようのないものです。

そういえば、私は知人のSNSを「ほとんど」見ていません。やっている方は多いのですけれど。自分の場合は興味のある情報を得る手段として見ているようです。そして、自分の国のことだけでなく少しでも世界をのぞけたらいいなと思っています。

えーと、3月後半から仕事も周囲も繁忙になっていて、スケジュール帳を見る間もなかった!?のですが、今月は後半に講座などを受ける予定です。今はまだ周囲がしっちゃかめっちゃかですので落ち着きませんが(子の進学というのはそういうものですね)、少し落ち着きたいという気分になっています。

去年から今年にかけて、
スペインの女性作家お二人のお話を拝聴しましたが、今はさきに伺ったメルセデス・セブリアンさんの言葉が沁みています。
お話のはじめの方でセブリアンさんは「時間がない」とおっしゃっていました。たくさん書きたいのに時間がない。寝る時間も惜しいけれど、寝なければいけないというようなことです。
それにはとても激しく共感しました。
仕事も家事育児も生活時間もすべてなくして、書く時間・調べる時間に充てたいというのは、私も思います。

例えば、作家になったらそれだけに専念できたりするかもしれませんが、なったらなったで、事情は違うかもしれません。
ただ、作家という定義から外れていても書くことに自分なりの意義を見いだしてしまったら、それはもう書くしかないのです。『赤い靴』という童話がありますが、それを履いてしまったら踊り続けなければならない。他を放り出して望んで履いたのだけれど、脱ぐことができないとなったらどうでしょう。

というと、
ちょっと怖いようにも思えますが、書くのはいつでも止めることができますので、あくまでも私の自由意思。決して追い詰められているとか、切羽詰まっているというのではないのです。

他を放り出すことなく、書くことはできないだろうか。ヴァージニア・ウルフさんがいうような、ひとりだけの鍵がかかる部屋と自分の時間がない状態で何とかできないだろうか、というのがよく思っていることです。

そうですね🤔、例えば、
映画などで余命宣告されて、残された時間をどう生きるかというストーリーがありますけれど、誰にでも多かれ少なかれ余命があります。それが100年か1日かというような違いです。
「その間にこれだけのことをしたい」と思うと、不自由だったとしてもやっぱりちょびっとずつ重ねていくしかないのです。
あとは、大切な人とのんびり楽しく過ごせたら何もいうことはないかな。

そのように
赤い靴をサンダルのようにつっかけて、ジタバタしながら書いているようです。

面白い雲でした

ふと、
件のようなことを真っ先におっしゃっている方に実はお目にかかった記憶がなくて、セブリアンさんが初めてかもしれません。いまご著書が読めないのは残念ですが、じきにスペイン語で読めるようにつとめます。
またスペイン関係のお話を聴きにいきますので書きますね😉

今日は初めて新しい靴を履いてみました。まだちょっと硬いのですけれど。

それでは、今日の曲です。
Carl Perkins『Blue Suede Shoes』

プレスリーさんで大ヒットしましたけれど、こちらがオリジナルですね。青いスエードの靴、どんな靴なのでしょうね。興味があります。正直なところ、かかとが靴ずれして柔らかくなるのを待つしかないなあと。そのようなちょっとした待ち時間も大切にできたらいいですね。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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