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【目印を見つけるノート】364. 創るとはどのようなことでしょう

きのうの夜、テレビで矢沢永吉さんが出ているのを見て、見入っていました。あの強烈な、客体を必要としないほどの、強烈な存在感はすごいと思って見ていました。

「自分が望んだ道だ」と言い切る、そのスタンス。

客体ありきでものを作るのがデフォルトです。
客体は哲学で使われることばですが、この場合は周りの目とか評価と言い換えてもいい。売れ筋とかマーケティングでもいいのかも。
売る立場の人がそれを最も大切にするのは当然だと思います。「製品」はそのようなものです。
ただ、創作というか、
創り手は……違うのではないかなと思うのです。

コンセプトは、「唯我独尊」でも「売れ線一筋」でも、まあ極論すれば何でもいいのかと思いますが、創るものに創り手のずば抜けた個性が溢れていれば、受け手は否応なく動かされると思うのです。それはもしかしたら、受け手の目などまったく関係なく存在できるのかもしれません。

きのう、地下鉄の都営浅草線に乗るのでホームで待っていたら、入ってきた車両の赤と白と黒と黄色に目を奪われました。5500形というのだそうです。初めて見ましたけれど、すぐに分かりましたよ。
「あ、市川團十郎の『暫(しばらく)』だ」
歌舞伎をモチーフにした車両でした。当たらずとも遠からずでしょう。

車両の詳細


『暫』については引用します。
https://thunderparty.jp/contents/148011

どうしてでしょう。市川團十郎の『暫』と思ってしまったのは。あの隈取りをはじめ装束がよほど強烈なのでしょう。

この演目は初代の市川團十郎が初めて演じたそうですが、初代っていつ頃の方だと思いますか。
17世紀の後半です。
江戸時代、4代将軍家綱から5代綱吉の頃ですね。
(小説に少し出したので以前調べました)

構成は今と少し違うかもしれませんが、その頃も観客は度肝を抜かれて大喝采だっただろうと思います。

歌舞伎は伝承されている芸能ですので、同じ演目でもそれぞれの役者によって色は多少変わるでしょう。ただ、それを創り出したのは、ひとつの強烈な個性を持った人、あるいは意志だったと感じます。

創るというのはどのようなものか、ひとつの偉大なお手本を見れば少し想像が働くように思うのです。
300年以上も残るもの。
地下鉄を見て思い出すぐらい。

結局3月の歌舞伎は見に行けませんでした。ぐすん。
下の写真は4~5年前のものです。

中村吉右衛門さんのご回復を心よりお祈りしています。

それではまた、ごひいきに。
みなさま、よい週末をお過ごしください。

尾方佐羽


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