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【目印を見つけるノート】590. 追憶の環状7号線(都道318号線)②

けさはテレビで穂高岳と岩国を見られてよかったです。特に岩国は去年公開したお話のラストシーンで出したので、いいおさらいになりました。錦帯橋の掛けかえをする大工さんとか、岩国藩の古文書を修復する方が登場したり、ラストシーンがしっかりと受け継がれていることを知って感無量。私のための番組かと思ったほどでした。
でも、自分の原稿はちょっと直したいかな……とも。

⚫北区・板橋区・練馬区

さて、環七一周の続きでした。
きのうのnoteでは葛西臨海公園から足立区まで書きましたが、今日は北区から。北区の区間は短いのです。王子と赤羽が2大繁華街かと思いますが、環七はそことは接していないです。ですので、するっと抜けることになります。

ただ、この辺りから起伏が多くなります。私の体感では最も高低差が大きいのはここから板橋にかけてだったように思います。そう、これまでの道は海抜が低い、数メートルというところでした。ゼロメートル地帯と言われていたこともあります。同じ地点ではないですが、浮間舟渡駅の海抜は1m、板橋本町の海抜は28mです。これぐらいのアップがあるのです。

イコール、登り坂。急激ではありませんのでひいこら漕いで登った記憶がうっすら残っています。ここが2番めの難所でした。アップダウンはここからいくつもありましたが、いちばん大きいところでした。変速ないですから😅

板橋・練馬区は知人が住んでいるぐらいでほとんど未踏の地です。ですのでその町を通ると「あ、⚪⚪さんち」とつぶやいて通りすぎるのでした。当初の予定では7時間程度で終わる予定だったのですが、すでに押しています。「板橋・練馬はダッシュだ!」と思いましたが、アップダウンがけっこうあってへばり気味です。この区間は🚲7kmぐらいなのですが、結局また豊玉南(練馬)辺りで休憩してしまいました。

平板な道とアップダウンの多い道では体力の消耗がまったく違うというのを身を持って知りました。

⚫中野区・杉並区・世田谷区

練馬を超えると中野区に入ります。中野はなぜか、野方という地名ばかりが残っています。おそらく、野方エリアがしばらく続いたからだと思います。しばらく走っても、「まだ野方か」という感じですね。ホープ軒を探していたわけではありません。ただ、野方を過ぎたら中野区も終わりになったようです。🚲4kmないぐらいかな。

この時点で陽が暮れかけていたのかな。
少し焦りはじめます。
続く杉並・世田谷エリアはこのときのホームグラウンドでしたので、道の不安はありません。ただ、ここから悪魔のささやきが響いてくるのです。
「このまま、うちに帰ったらどうかな」
このささやきは強烈でしたね。
「もう結構がんばったじゃん。もし先に行ったら、そこからまた戻ってこなきゃいけないんだよ」
そうなのです。
うちから目印の平和島までは14kmほど。
行って戻ると28kmさらに走ることになります。
悩ましかったですね。住んでいた高円寺辺りから悩み始めて、和泉辺りを越えて甲州街道にぶつかったとき、「ああ、新宿まで5kmなのに」と思考は脇道にそれて、うちがどんどん近づいてきます。新代田の駅でもまだ悩みましたが、「ええいっ!」とペダルを踏み込みました。よく通っている『九州一番』や、いつも買い物をしている『ライフ』を背にして、その先に行くことにしたのでした。

ここからは根気勝負でした。
上馬交差点辺りでいったん休憩したかな。少しアップがあったのと、充電を兼ねて。休憩はもう一回ぐらい取ったように思いますが、長すぎたなと思いました。

⚫目黒区・大田区

ここを越えるとじきに目黒区です。
ラストスパートの🚲10kmです(片道)。
といいつつ、目黒では寄り道しようと決めていました。以前のnoteにも書きましたが、私が生まれた病院が近くにあるからです。
いったん環七から離れて、その病院を目指します。もうその病院には産科がありませんでしたが、記憶にない私の出発点を一回見てみたかったのです。
病院に着くと、「取り上げて下さってありがとうございます。産んで下さってありがとうございます」とつぶやきました。
そしてまた、自転車に乗りました。
今はそこから移転しています。

目黒から気になったのは、歩道の狭さと段差のきつさでした。私は車道より歩道を選んで走っていましたが、この段に及ぶと歩道の段差がとても気になりました。普通に歩いていると気がつきませんが、自転車で長く走っていると振動がからだに響きます。車椅子だったらもっと気になると思います。

馬込銀座の交差点で一回道が分からなくなりました。間違えるとこの道ですね。

この辺りも勾配があってぜいぜい登っていたので、少しもうろうとしていたかもしれません。春日橋交差点までたどりついたときには平坦になってホッとしました。そこから平和島陸橋まではほんのわずかです。
写真はイメージです。

そして、平和島陸橋に到着。
葛西臨海公園から53kmです。
本当は、もう少し先の湾岸入口が終点なのですが、ここで区切ることにしました。なぜなら、もう夜の10時になっていて辺りは真っ暗、日曜日なので人もいない。ちょっと怖いと思ったのです。疲労困憊していたのももちろんあります。
初めて立つ
平和島の陸橋は長くて、倉庫の灯りがちらちらして、とてもきれいでした。いくつも陸橋を通りすぎましたが、この先どこまでも行けそうに思えました。

そしてまた、『ライフ』と『九州一番』の看板を目指して環七を折り返したのでした。

この行程のための走行距離は、🚲20km+🚲15km+🚲53km+🚲14km+寄り道2km=104kmで、日曜だけだと🚲84kmですね。あ、🚶10kmも足しておきましょう。

⚫後日談

最終盤で気になった段差が響きました。これで脛椎が少しずれたようです。いわゆるむち打ちです。しばらく辛かったですが、水野勝成さんのお墓の囲いに頭をぶつけてからは症状が出なくなりました。骨接ぎ? ありがとうございます。

自転車は道路を走るとなっていますが、自転車専用レーンがない限りは危険な場合もあると思います。首のダメージは文字通り痛かったですが、とりあえず、ほぼ決めた通りに事故なくできたことに感謝します。
途中休憩飲食が過ぎたせいか、体重は変わりませんでした😅

今はこのときの終点近くがホームグラウンドになりました。つくづく、環七ライフだなと思いますがそれもまた一興です。
今は環八でも16号でも、さらに遠くでも広げていけるようにも思います。
基盤があるから。

自転車乗りでいちばん印象的だったのは、大学のころに知り合ったリンさんです。彼女はたいへんアクティブな方で、北米大陸横断を自転車でやってのけました。性別を言うのも口はばったいのですが、女性でそれを無事にやってのけたのはすごいと思いました。
彼女のふるさとは香港ですが、今どうしているのかと思うことがあります。

今日の1曲です。前にもかけたかな。
JIMMY CLIFF『Many Rivers To Cross』

長くなりましたが、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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