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プロフィールに所属サロン名を書く効果

ちょっと前にふろむださんの「錯覚資産」の本が話題になっていて読んだのだけれど、心理学的な事例を出しつつとてもわかりやすく色々な見解が書かれていておもしろかったのです。

で、これを読んだ上で最近なにか引っかかっていたものを考えると、なぜ自分がそれに引っかかっていたのかがちょっとスッキリしたので言語化しておきます。

あ、先に謝っておきますね。今日のnoteはオンラインサロンに所属している人の中には、こいつオレのことdisりやがって許せねぇ!とか思われそうなので、もしも気分が悪くなったらごめんなさい。

ただ、こういう見方もあるかもよ?という視点の話なので、腹がたったら2日ほど待っていただいて、それでも腹の虫がおさまらなかったら美味しいもん食べいくとか有意義な時間の使い方をして発散してください。もちろん自腹でお願いします。

ちなみに僕はオンラインサロンについては否定派でも肯定派でもなく、それぞれ好きにしたらいいのでは?派です。議論は知人としたい派なので、ふっかけられても乗りませんのであしからず。


SNSの名前に所属サロン名を書く効果とは?

ここ半年くらいオンラインサロンのブームが来ていて、インフルエンサーがサロンをバンバン立ち上げてますよね。

それについてはどうでもいいのですが、プロフィール文や名前の部分に所属サロン名を書いている人をちらほら見るようになったんです。

で、初めのうちはそうしてサロン名が露出すること=PR効果は高いだろうし、単純接触効果=よく見たり聞いたりすると好感度が上がりやすいっていう部分もあるし、一種の信者型ビジネスモデルとして興味深く見ていたんですね。

そんな時にふろむださんの本を読んで、思ったんですよ。

プロフィールに所属サロン名を書く=錯覚資産なんだな、って。


僕はフリーランスとして仕事していて、当然ながら自分の名前が看板なので、その看板に所属サロン名を書くっていうのはまずやりません。看板料もらったら考えるかもしれませんけど、多くの場合はブランド価値を毀損しちゃうし事務所的にNGなヤツです。

だから、プロフィールに所属サロン名を書くことは、所属しているサロン側には宣伝になってPR効果はあっても、所属している個人にはメリットがそれほどないのでは?と思うのです。

でも、よくよく考えると、僕がプロフィールで公開している〇〇卒とか、〇〇先生に師事とかも、錯覚資産狙いのいわゆる箔付けなんですよね。

じゃあ、この違和感の違いは何なんですかね?


違和感を感じるパターンは何だろう?

思い返すと「プロフィール+所属先」でも、好印象を持つパターンもあるんですよ。

例えば「◯◯◯/THE GUILD」だと、あのギルドさんの人か!とそれだけで何かこの人は仕事できそうっていう印象を受けたり。

「◯◯◯/piece of cake」だと、noteとcakesの人!いつもお世話になっております!いいサービスをありがとう!と思ったり。


それが「◯◯◯/なんとかサロン」だと、なにか違和感を感じる。

会社名か、サロン名かの違いなんでしょうか?

でも、同じサロン名でも「◯◯◯/コルクラボ」だとそんなに嫌じゃない。なんでコルクラボは良くて、なんとかサロンだと微妙に思うのか?

どこが違うのかよくよく考えてみると、どうも違いはお金だけ払えば誰でも入れる場所なのか、それとも要紹介だったり試験なりの選別がある場所なのかの差のようです。

もっと言えば、個人の色ではなく組織の色なのか、思想や哲学の有無なのかもしれません。


その箔付けは狭き門なのか?

例えば、誰でもお金さえ払えば入学できる実質的に選別のない大学と、過酷な試験で選び抜かれないと入れない大学、どちらに魅力を感じやすいでしょうか?

もちろん後者なんですけど、それは確率論的には選抜組の方が優秀な確率が高いからです。

要するに、箔付けとして何か所属名を使うならば、所属先が狭き門かどうか?というのが1つの試金石になると思うのです。


その点で、もしもフリーランスでやっていこうとか自分の名前を育てよう、と思った場合に、お金さえ払えば誰でも所属できる場所の色をつけてしまうのって、メリットよりもデメリットが大きいのではないでしょうか?

もちろん、楽しんでやっていて価値観に賛同する人と繋がりたい!っていう使い方ならいいんです。主催者の目指すところと利害が一致してとか、単純に憧れてファン心理で貢ぎたいとかならまぁわかります。

でも、フリーランスでよく考えずに営業先の1つになるかも?とかいう甘い考えで自分の看板に名前を乗っけてしまうと、その時点で脇役確定って自己申告している感じになっちゃう気がするのです。


独立した個人がつながるn:nのコミュニティへ

僕自身はコミュニティがいくつもできていって、家庭でも会社でも学校でもない本当の意味でのサードプレイスがどんどん増える事はいい事だと思っています。

それはセーフティネットにもなるだろうし、仕事のタネにもなるかもしれないし、癒しになるかもしれない。

でも、1:nの教祖型モデルだけじゃなくて、n:nの目的型モデルや共創型モデルがもっと必要なんじゃないかと感じています。

もちろん繋がらない自由もあった上で、居場所がたくさんあった方が、楽に生きられる人は増える気がするんです。


けれど所属と隷属は違うので、過剰に依存したり盲信したりすることが無いように、常に付かず離れずでいたい。

願わくば、そうした自立した個人個人がもっと立ち上がっていけるような、そんな居場所が増えたらいいなと思っています。


余談ですが、ふろむださんの錯覚資産の本、これわかりやすくておもしろかったのでオススメしておきます。

ハロー効果、ピグマリオン効果、認知の歪み、あたりの心理学用語をご存知の方は必要ないかもですが、知らない方は読んでおかないと損です。

読んでいただいてありがとうございます。
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