見出し画像

「好き」と「嫌い」の境界線ってどうやってできるのか?ってテーマで考えてみた朝活で気づいたこと


何やら日曜の朝から小難しいことを・・

そう思われるでしょうが、今日はそんなテーマで話し合いをした朝活に参加してみました

気づいたことを結論から言っちゃいますけど

「好きと嫌いの境界線」は“変化”するし自分でコントロールできるかも!

が気付いたこと

参加者の方々の話には
「それは親子関係や人生経験で出来た価値観によるものでは」
「昔嫌いだったのに今は好きになった」
「好きだった人が急に嫌いになることがある」
「食わず嫌いってあるよね」

などなどが出てきました


小さなことではあるけど、自分も子供のころは食わず嫌いが多くて
年とともに好みが変わっていったなぁ~と思いだした

あれ、、
「食わず嫌い」って食べてないのに何で嫌いだったんだ??

そう思ったときに

「人は得体の知れないものに対して身構える」

という話を思い出した、そして

ちょっとでも悪い印象を受けたら
「嫌い」という”レッテル”
を貼ってしまうのではなかろうかと仮定

そしてその”レッテル”を貼りかえることをしない限りは
いつまでも「嫌い」という感情に執着するのではないのかなぁ
と思ってみた

そう考えると
「食わず嫌い」というのは「自身の執着」を捨てるか抑えるかすれば無くせるのかも!!


じゃぁその執着はどうすれば捨てられる?

そのヒントが好きと嫌いの境界を決めるのではないかという
「それは親子関係や人生経験で出来た価値観が境界を決めるのでは」
という意見


ということは
周囲からの影響でこの価値観を変えちゃうことができちゃうのでは?


最近ZOOMの交流会や朝活に数多く出るようになって心掛けているのは

「人の話を聞き多様な価値観や考え方に触れてみる」

ということ
それが「自分の価値観への執着」を変えてくれることのように感じている

自分の場合「好き/嫌い」がはっきりと態度や顔に出てしまうことが多くて
そんな自分が「嫌だなぁ・・」と思っていたけど
最近は少しずつ変わってきた

好き嫌い1

こんな感じで白黒はっきりしていたのが


好き嫌い2

何となく「境界線」をあいまいにできるようになった

これはおそらくいろんな方の価値観や考え方を聞くうちに
「そういう見方や考え方もある」
「そう思う人もいる」
「自分とは真逆の人もいる」

ということを「体感」できたから変わってきたように思う

これも「ZOOM効果」のひとつなのかもww


今日は日中の交流会がなかったので、ちょっと奮発して
岸見一郎氏のZOOM講演会
を受講してみた
ご存じの方も多いでしょうが、ベストセラーの
「嫌われる勇気」の著者のおひとりで
アドラー心理学研究の専門家

朝活で感じた内容を頭の片隅に置いていたので
気づくことが多く、特になるほど!と腑に落ちたのが

「誰一人悪を欲する人はいない」
というソクラテスのパラドクスという命題
これをアドラーは

「行動に問題があるとしても、その背後にある動機や目的は、必ずや”善”である」

と言っておりここでいう「善悪」というのは
立場によって変わる「損か得か」で判断されるので
「損する行動はしない」というのが「悪を欲しない」ということだとか

つまり「絶対的な善悪」ではなく立場によって変わる「相対的な善悪」だということ

そしてこの全体から見た「悪」を「善」として行ってしまうのは
限られた狭い共同体心理からくるので、
避けるには「大きな共同体」をイメージすることが大切なのだという

会社の中でコンプライアンス違反をしてしまうのは、
会社内の利益とか保身といった「狭い共同体の価値観」
によっておこるということだそうで・・

この話の「善悪」を「好き嫌い」に置き換えてみると

小さな共同体内(自分や家族というごく狭い)での「好き嫌い」は
大きな共同体に触れたら変化するのでは

この仮定はZOOM交流会に200回近く参加して
のべ約1300人の人の話を聞くうちに変わってきた自分の体感と一致する

立場によって違う価値観をいったん受け入れることで
自分の価値観が広がっていく
これは今後多様化する「変化の時代」を活き抜く
「財産」になりそうに思いました


長々書きましたが

「好き」か「嫌い」かの境界線は変えられる

そしてそれを受け入れたほうが
今後「得かも」という「善」に思う今日一日でした

最後までお付き合いありがとうございました

この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?