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早く決めようとする合理性から逃れる組織開発

需要と供給が、常にバランスを取ろうとするとは、経済学の基本的な考え方です。例えば、安く買いたいという需要に対して、安く売るという供給が成立すると市場は回ります。しかし、モノを売るという行為に対する需要と供給は価格だけではありません。応援消費や推し消費などは、価格に左右されません。マーケティンの基本の1つであるブランド戦略も、原則は脱価格です。

「どうしたら売れるか?」という会議では、このような多方面の意見が出てきます。しかし、不確定要素が最も少なく、最も自身がコントロールできる範囲の広い施策という合理的な視点で検討すると、必ず価格戦略に行き着きます。そして、価格戦略が、文字通り「全く効果がなかった」という経験もまた、持ち合わせていないのが通常です。なぜなら、わずかな効果でも「効果があった」ことは事実であり、それを否定することはできないからです。だから会議の結果は、始めからわかっているとも言えます。

にもかかわらず、会議で長々と議論するのは、なぜでしょうか。

本質的には、状況を客観的に認識することはできません。なぜなら、自身が認識することは、すべてが主観だからです。そのため他者の意見を求め、状況をより多角的な視点で見ようとします。しかしこれも、誰かの主観を増やしているに過ぎないわけで、いつまで経っても”客観”には辿り着かないと言えるでしょう。

また、状況を認識するためには、状況を説明することが必要です。例えば「美味しいもの」を求めると認識したとしても、汗を大量にかいた人にとっては濃い味付けが美味しいとなるでしょうし、簡単なモノに飽きた人には『本格』と言ったフレーズが美味しさに繋がるかもしれません。「美味しい」という言葉は、多様な意味を持ちます。しかしこれは、あらゆる言葉においても言えることでしょう。

だから、「これで十分」ということにはならず、常に、新たな視点を求めることになるのだと思います。

そこで、重要になるのが、イメージを共有することだと思います。なぜなら、イメージを共有できた時、人は初めて何をすべきがわかるからです。もちろん、何をすれば良いと考えるかは、人それぞれに異なるでしょう。しかし、同じイメージを共有できていて、個々人がそれに向かって行動していると信頼し合うことができれば、施策と言うものは自ずと収斂していくのではないでしょうか。

決めなければ動けないという組織文化こそが、決められない会議、ダラダラ会議を生み、会議の無意味性を強調しているように見受けられます。組織メンバーの自律性とは、放任でもなく、強要するものでもなく、自然と生まれてくるはずのものではないでしょうか。そうであるなら、短い会議、1回で終わる会議などといった合理性の呪縛から解放されることが、大切な一歩になるように思います。真の会議の生産性とは、その会議だけで測るものではなく、その会議を含めたプロセスすべてと、その結果から道き出されるものだと思います。

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