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それは頭が悪いのではなく、過剰な防衛本能なのかも知れない

頭が悪いと思っていたが、単なる思い込みだった

自分のことだけれど、子どものことから自分は頭が悪いと思っていた。
勉強ができるできない以前に、授業の内容が頭に入らない。
数学とか理系科目が絶望的だった。苦手意識が強すぎたのだろう。

でも、人間やってみると案外、何でもこなせるものだ。

社会人になってから、のっぴきならぬいくつかのプロジェクトにぶち込まれて試行錯誤、右往左往、四苦八苦していると、知識を頭にねじ込まないと話にならない。自分が苦手とかどうでもいい。やるかやらないか、だと。

「圧力が無ければ、ダイアモンドは生まれない」という、19世紀の歴史家トマス・カーライルの言葉。「タフな状況になるとタフな人間が発奮する」という決まり文句である。

ぼくは決してタフではなかったので、ダイアモンドはおろか、メンタルの強度が豆腐から消しゴムくらいになったのが限界だったけれど、人並みに更生することはできた。仕事と会社には、本当に、いつまでも感謝している。

会社の同僚たち、とくに若い後輩たちを見ていると、早くからしんどい仕事をこなしている人ほど育っていた気がする。

コーポレート部門と現場の社員では、日ごろは接点は少ないけれど、ときどき案件の相談で接してみると、3~4年目の若い社員でも育っていた。説明が明朗、こちらへの気遣いもでき、それとなく交渉を優位に運ぼうと企み、そしてお客様へ貢献するマインドが根付いている。立派なものだと関心していた。

今までの仕事の領域を踏み越えることの抵抗感

丸2年間、炎上プロジェクトに人生の貴重な時間を捧げたことがある。

具体的な年月や会社名などの詳細は伏せるけれど、自社の基幹システムを全面刷新するというプロジェクトで、自分はメンバーの中でも末端、販売管理システムの担当者だった。

ベンダー側ではなく、受け入れる側なので、プロジェクト参画当初は侮っていた。要件さえこちらで決めれば、ベンダー側がシステムを開発、検証してくれるのだろうと思い込んでいた。

ふたを開けてみたら、とんだ炎上プロジェクトだった。特に販売管理システムはバグの巣窟だった。

そもそも国産のERPと謳っていたパッケージだったので、債権債務システム、固定資産システム、一般会計システムなど一連のシステムを同時に導入する予定だったのけれど、販売管理システムのバグの多さは異常だった。

2年間、ぼくのしたことはベンダー側が本来行うべきシステムのデバッグ。いわゆる「デスマーチ(死の行進)」と呼ぶほどの過酷さではなかったけれど、2年間のうち、最後1年間は300日くらいは実働していたと思う。

このプロジェクトで辛かったのは、本来はベンダーが行うべき作業を受け入れ側で行い、しかもそのころの自分には販売管理や在庫管理などシステムの知識が乏しかったことだ。

「これは自分の抱える仕事ではない。本来の領域を逸脱している!」

プロジェクトの当初は、そんな泣き言をよく言っていたし、バグが発生するたびにベンダー側の担当者に吠えていた。まっとうな気もするが、若気の至りであったような気もする。

防波堤から侵食される津波に身を任せる

プロジェクトの途中から、情報システム部門のベテラン社員に教えを乞うことにした。どれだけ泣き喚いてたところで逃げられへんなぁ、代わりもおらんし、と思ったからである。

そのベテラン社員の人を、今でも師匠的な存在として崇めているが、何度か自分のその当時の境遇をグチってみたところ「まあ若いから大丈夫っしょ」と軽くあしらわれた。

その時に考えを改めたのは、自分は自分で思うほどには過酷な環境ではないのかもしれない、ということだった。

ブラックな職場環境でも甘受して働くことを推奨しているわけではない。ただ、社会人生活の中には、ひととき、そういう時期もあるものだよ、ということを師匠の言葉の響きから、何となく察したのである。

時間はかかったけれど、新しく増える仕事の領域を受け入れてみると、知識が頭に沁み込んでいくのを感じた。販売管理、在庫管理、関連するデータベースやモデリングの書籍を購入にて勉強した。

自分の身を守りたい、という防衛本能をなるべく薄める。ストレスを感じるたび、どういう身体反応が起こっているかを日記に記録する。自分を検証機のように扱ってみる。過保護にならないこと。

そうした心持ちでプロジェクトに関わり、販売管理システムのデバックし、新規開発した機能を検証する。結局、バグや不具合は潰しきれなかったけれど、このときに学んだソフトスキルは、その後のプロジェクトでも大いに役に立った。

デジタル・トランスフォーション(DX)推進の潮流に憂う

翻って、日本政府もDX推進、リスキリングと世の中的に叫ばれているけれど、それを実現する困難さを、どれだけの人が肌身に感じているのだろう、と憂いている。

本来、トランスフォーメーションというのはリストラクチャリングである。痛みを伴うものであって、デジタルツールを導入すれば生産性向上や働き方改革が実現する、といったお花畑の世界や魔法の杖では決してない。

とくにリスキリングについて、脳の可塑性が衰える年齢では抵抗が大きい。感じるストレスは相当なものだろう。三菱総合研究所のニュースリリースでは、今後、以下のとおり事務職や生産職での大規模な余剰が生じると言う。(太字は筆者の追記)

非正規の事務職や生産職に着目すると、「年収水準」以外の問題もある。早晩、大量に過剰になる、つまり「職を失うリスク」を抱えているのである。これは非正規社員に限ったことではないが、当社の推計によると向こう10年以内に事務職や生産職は100万人規模で余剰が生じ、逆に、専門技術職は同程度以上の不足が予測されている(図3)。日本の労働市場は間もなく「職種の需給大ミスマッチ時代」を迎えることになるのである。

三菱総合研究所「求職者支援に産業転換の視点を」

事務職や生産職はルーティンワークが主体である。変化への対応が前提としてある専門技術職に比べると、変化に対する抵抗、その過程でのストレスは大きいはずだ。

トランスフォーメーション、変革を推し進めるためには、専門技術の詰め込みだけではなく、その過程で個々人のうちに生じる心理的な不安や抵抗、ストレスへのサポートやケアが必要になるのではないか。

過去の炎上プロジェクトで得た学びから、最近、そんなことを考えている。

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私のストレス解消法

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。 いただきましたサポートは、書籍や芸術などのインプットと自己研鑽に充てて、脳内でより善い創発が生み出されるために大切に使わせていただきます。