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副業への考え

 お金のこと、いっさい気にせずに生きて下さいと命じられたら何をしているだろうか?だらだらとYoutubeを見ているだろう。身体を動かしたくなって散歩をするだろう。きっと孤独に耐えれなくなる。誰かと話したくなる。

 お金無しの世界を想像してみると必然的にどう生きるかを考えられる。どう生きれば幸福になれるかを考えてみた。まず、健康な食生活、充分な睡眠。次に社会との関係性、仕事を通したやり甲斐、家庭を養う充実感、広い視野などあげられる。
 不幸になる原因は、過剰な仕事への執着、暴飲暴食による不健康、孤独ではないかと24歳ながら感じている。
 過剰な仕事は、長時間労働によって気力を奪われ健康な暮らしを行う気力さえも奪われる。心を癒してくれる趣味からも離れてしまう。さらに仕事上の競争心、自己愛、嫉妬心などを抱けばより盲目的になり、仕事が人生の目的になるだろう。目的は、程よい社会貢献、同志との触れ合いといったように楽しくものでありたい。産業革命以前は、もっとその傾向があったように思う。飯を食べるためとも考えたが、もっと仕事を通して人生を豊かにできるはずだ、人のために役立つのが仕事だから。
 暴飲暴食は、悪くはないが個人的には避けておる。いっときの満足感は否めないが、太っていると動きにくいし、気持ちがダレるし、病気になってしまう。他にも、アルコールを初めとするドーパミン的な快楽物質は、後が悪い。酒を飲んでしばらくは、気持ち悪いといった具合だ。それに依存性になってしまう。人生の大半を無駄にする恐れがある。快楽への依存を避けるには、退屈を楽しめるようになることだと哲学者のラッセルは仰った。この言葉はなるほどと思った。収入、食事、住まい、社会的地位など極力、満足するように心がけた方が気持ち的に健康だとお思った。天井がない。

 最後は孤独だ。他者と一切関わらないという孤独感に人間は耐えれるだろうか?僕は耐えられない。何かしら人の役に立ちたいと思う。人と一緒にいたいという欲求は否めない。誰にも邪魔されず没頭したいという気持ちもあるが行き過ぎると恐ろしい。

 以上から、サラリーマン的な拘束された生活に限界を感じている。ホワイト企業ならマシなのかもしれないが、僕の現状の業種では不可能に近いのかもしれない、未来は人手不足になってさらに苦しくなるだろう。また、産業革命の象徴とも言える仕事であり、何か肌に合って無さそうだ。
 社会の荒波に飲まれ、社畜から逃げられなくなる前に自立した仕事スタイル(フリーランス、副業)へ向かいたい。目先の年収より、自立した働き方を見つける事こそ、先行き不明かつストレス社会からの脱却ではないかと思う。

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