見出し画像

認知症になった母のこと(その7)

これは憶測なのだが、
母はとても不安な日々を送っていたのではないだろうか。

環境の変化に敏感でいつもと違うことを嫌う人だった。

特養の介護士や入所者が急に何人も居なくなったり、
どことなくピリピリした雰囲気などただならぬ気配を感じて
怯えていたのではないか。

認知症の老人に詳しく説明する人も居なかったと思う。
それに複数人の介護士がコロナで休んだため、
施設内の介護が手薄になっていたのではないだろうかと思っている。
そういった心のケアのような事はなされなかったようだ。

2021年9月1日友人とランチをしていた時に、
特養から電話があった。
様子がおかしいので救急車を呼んだとのこと。
次に市内某病院に搬送されたことだった。

急いで病院に駆けつけると特養の看護師がいて、
起こしても反応がなくて・・などと説明していたが、
私も気が動転していたのでよく覚えておらず、
「戻ってもいいですか」と聞かれたので別にいいですと答えた。

なんか腹立たしかったのだ。
そして姉と弟にすぐ連絡した。

病院では当然だけど直接会うことが出来ない。
待合で待つように言われていた。

検査やら何やらの承諾書にサインさせられ、
4時頃だったか、CTとMRI検査をして緊急手術になるので
ご家族を呼んで下さいと言われ、足下がふらついた。

もう姉も弟も来ていた。
病院の方の計らいで、
処置室からオペ室までの移動する廊下で、横たわる母を見た。
青白く生気のない顔にとてもショックを受け声も出なかった。
姉は必死に「あたしだよ!みんないるよ!」と叫んでいた。

手を握ることすら出来なかった。
何もできなかった。
私は情けなくて無力感でいっぱいだった。

手術が終わると医師から説明があった。脳梗塞だった。
血栓を溶かす薬とカテーテルで取り除いたが、
右半身に麻痺があり左脳に血が回らなくなっている。
このままICUで様子を見るとのことだった。

今すぐ会いたかった。
そばに付いていてあげたかった。
でもコロナ禍でそれはできなかったのだ。
面会にも行けなかった。

いっとき肺炎を起こし、呼吸器をつけて抗生物質が投与され、
延命するか相談して下さいみたいなこと言われて、
もうダメかと思ったけど、母は持ち直した。

容態が安定してくると、リモート面会できるようになった。
PCのWEBカメラを使って顔を見ることができるし、声も聞こえる。
一生懸命大きな声で話しかける。

母は耳が遠いから私の声は聞こえているだろうか?
なんだかとっても小さくなってしまったね。
「わたしだよ!わかる?」画面に向かって叫ぶと、
ほんの少し頷いたように見えた。
「わかった?よかったー。ここにいるからね!」また少し頭を動かす。

どうしていま会えないんだろう?
母は何も悪くないのに。

こんな寂しい思いをさせてはいけないのに。

             


田中もなかは読者様のサポートをパワーに執筆活動をしています!よろしくお願いします!