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猫のように暮らしてみたい(最終回)

自分がベッドに入ると、
私の両腕の下に誰が寝るかをめぐり、
猫さんたちは激しく争う。

13歳のちょこはしれっと毎回右側をキープする。
10歳のまめが来ようとすると
もなかに追い回されてしまうので
あきらめてベッドサイドの棚の毛布の上で寝ている。

クッションに挟まるもなか

もなかが潜り込んでくる。
最近いつも怒っていて私のそばを避けていた
まめが自己主張をするようになった。
もなかがいると近づかなかったのに、
もなかの横を威嚇しながら通り私の膝に来るのだ。

撫でてほしいまめ

ベッドにも走って一番にやってきて
左側にポジションを取ってごろごろ喉を鳴らす。
するともなかがいきなり布団の上にジャンプしてダイブする。
勢いよく乗ってこられたまめがびっくりして
布団からすっ飛び出てくる。
また激しい追いかけっこが始まった。

豊満ボディのちょこ

騒がしさをよそにちょこに話しかけながら
撫でてウトウトしている私のお腹にもなかが
渾身のダイブを食らわす。

ううっと思わず声がでて、
「うるさーい!」と一喝する。

そんなこんなでいつの間にか眠ってしまう。
朝起きると身動きできない。
なぜなら私の寝相のくぼみにどうやら3匹寝ている。
だから布団が重みで動かせない。
少しづつ体を動かしながらベッドから降りる。

ちょこにくっつきたいもなか

こんな毎日だが、
最近は気分が落ち着いていると感じることが多くなった。

私がうつ病になった事で経験したこの葛藤が
もし誰かの役に立てたなら少しは報われる。

壊れてしまった脳の神経細胞は元には戻らないだろう。
しかし人間の脳にはまだ未知のゾーンがあるのだ。
新たな神経細胞が結合し、
壊れた部分を補完する可能性は十分あるはずだ。

そしてもう一度言いたいのは、
あなたの心は壊れてなどいない。
傷ひとつなくきれいなままだ。

価値観は誰かに決められたものではなく、
自分で選択していいのだ。

他人目線の自分を演じる必要はないんだ
という事に早く気づいて欲しい。

自分の在り方を決めるのは親でも他人でもない。
好きなもの、好きな事、心地よい時を
たくさん見つけて自分の形を作れば
それが自分になっていくのだろう。

心優しき人たちはいつも自分より他人を優先する。
自分を抑え我慢し殺してしまう。

そんなことをしなくてもいい。
苦手な人、辛い事、色々なことが起きる毎日だから、
それらをすべて正面から受け止めなくてもいいのだ。

猫のようにするりとかわして
知らんぷりするくらいで丁度いい。

本当に大切なパートナーや友人が
一人でもいるのならそれはとても幸運なことだと思う。

たった一人の誰かの存在で自分は強くなれる、
そして生きる希望を持つことができる。

いま自分にとっての大事な存在はこの三匹の猫たちだ。

もなか ちょこ まめ

別に人でなくてもそれはそれでいいようだ。

これが長い長い迷走の末、
自分がたどり着いたひとつの道筋だ。

どんな風に自分を納得させられるのかは
ひとりひとり違うのだろう。

自分が辿り着いたここまでの道筋が
もし誰かを励ますことができたなら、
それは自分にとっても幸せな事だと思う。

これはまだ現在進行形の話だ。

結末は自分にも予想できない。

まだ何も起きていない未来のことを
心配したり不安になったりする必要はないのだ。

どうせどうなるかなんて誰にも分からない。

それよりも今日、いま、ここで
まさに自分がしていることにフォーカスすればいいのだ。

この瞬間自分が感じている事だけが事実だ。

それをワンシーンごと丁寧に積んでいくことが
生きる事なのかなと思い始めた。

自分のお手本は3匹の猫たちだ。

この子たちのようにしなやかに生きてみようと思う。

だから私の猫のような暮らしはこれからも続いていく。

                  おわり。。。


最後まで読んでいただいた方ありがとうございました。  

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