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OPV Members! #2 小高の「新しい未来」を創る先駆者 和田智行さん

「地域の100の課題から100のビジネスを創出する。」
原発の避難指示解除準備区域だった小高の再生を見据え、
2014年に株式会社小高ワーカーズベースは創業されました。
「地域の課題は起業のチャンス」という考え方のもと、食堂、仮設商店運営、ガラスアクセサリー工房をはじめ、多角的な事業展開がなされてきました。
さらに「再生」に止まらずに自由な発想で新しく街を創造すべく、起業型の地域おこし協力隊Next Commons Lab南相馬の展開や、宿泊できるコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」のオープンなど、多くのエネルギーに溢れる人々のコミュニティが育っています。
フロンティアを駆ける人々がどんなビジョンを持って活動しているのでしょうか?
一人一人にインタビューしてみました。

Pioneer's Profile

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和田智行(わだともゆき)
1977年生まれ、南相馬市小高区出身。
地元の高校を卒業後、東京の大学で経済学を学ぶ。
ITベンチャーで働き、2005年、独立を機に地元小高にUターン。
リモートワークをしつつ役員を務める。2011の震災をきっかけに避難生活を送る中で、資本主義的な価値観の限界を感じる。
地元小高を再興し、「自立した経済圏」を作るために、2014年2月、小高ワーカーズベースを創業する。
「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」をミッションに、地域の課題をビジネスチャンスとらえ、多角的な事業の展開・起業家誘致活動を行う。

好きなもの:キャンプ
座右の銘:人のゆく裏に道あり花の山


Q南相馬で、和田さんは何をされていますか?

株式会社小高ワーカーズベースを経営しています。
小高区を持続可能な地域にするため、課題や資源からビジネスを起こしています。
これまでに食堂、仮設スーパー、ガラス工房、コワーキングスペース運営、起業家誘致事業をしてきました。
(事業は一覧はこちら

Qきっかけは何ですか?

震災を機に、大きな価値観の転換を経験した事がきっかけです。
かつては変化の激しいITベンチャー業界に身を置き、役員も務めていました。
ですが、2011年の震災が起き避難を余儀なくされた際に、お金はあるのに食料もガソリンも買えず、家族を守れるのかとても不安になりました。
周りからみたら僕は所帯があり、収入もそれなりにあり、一人前にみえていたかもしれません。
しかしいざという時、頼るものがお金しかなく、「生きる力」が低い事にショックを受け、「お金があればいい」という自分の価値観が大きくゆるぎました。

その時は周りの人々にも助けられ、なんとか生き延びることができました。それと同時に、「人生は現金収入だけあっても、真の意味での安心・安定は得られない」と学びました。
本当の意味で必要なものは、お金に換算できないつながりなど、目に見えないものなのです。

時がたち、避難指示解除の見通しがあったものの、多くの人が帰還しようとしませんでした。
地震と津波による被害で、多くの人がこの町を「到底暮らせるような場所ではない」と捉えていたのです。
ところが、これらの「問題」や「課題」は裏を返せばビジネスチャンスではないか?と考えました。
しかも、誰もやりたがらないのならば競争にも巻き込まれにくい。
そう考えててみたとき大きな希望が湧いてきました。

そうして、小さくてもいいから地域の困りごとを解決し、必要とされる多様な事業を作ることを志し、2014年の2月に創業しました。
そのほうが持続的だし、純粋にITベンチャーよりやりがいがありそうだなと感じました。

Qその背景にはどんな思いがあるのでしょうか?

まず、自分の生まれ育った地元をなんとかしたかったからです。
田舎によくある事ですが、子どもたちが自分たちの町が何もないから出ていく、というものがあります。
僕らは「ないものは作ればいい」「面白くないなら自分で面白くする」「欲しいなら自分で作れ」こういった考え方を、事業づくりの中で体現し、次世代に背中で語って行きたいと思います。
消費の楽しさには限界がありますが、生産する楽しさには終わりがありません。

もう一つ、小高には「余白がある」からです。
僕らは「やりたいことを形にし、結果的にそれが暮らしたい町や社会につながる事」を理想的なあり方としています。
ITベンチャー時代に経験したからこそわかるのですが、成熟した現代において、東京を始めとするでは課題を見つけること、それを形にする事も、非常に大変です。
けど、一度ゼロになった「小高」だからこそ、前例や既存の常識にとらわれずに挑戦できる。
そんな機会と環境があることに感謝し、使命感を持って取り組んでいます。

Q未来のビジョンを教えてください。


小高の町を、バラエティ豊かで個性的な町にしたいです。

地方はどうしても「中央から与えられる側」になりがちで、自分たちより大きい存在の変化に振り回されてしまいます。
特に私達は原発により、住みたい場所に住むという最低限の権利すら侵害され、散々な目に合いました。
だからこそ、自分たちがコントロールできないものに身を委ねるのはやめ、自立した地域を自分たちで創ります。

そこにある未来像には、並び立つチェーン店やショッピングモールはなく、多少不便かもしれません。
しかし、地域の資源を活用し、課題を解決するためにビジネスを生むことが当たり前な土壌を作ることで、小さくても多様な事業が生まれ続けて経済を回し、その息づかいを循環させていくことで、「新しい豊かさ」を実現できればと思います。

私は「変化のパイオニア」です!


震災の経験から学んだ事は「ピンチはチャンス」です。
僕自身、予測不可能な環境の中でも「変化」と波乗りするように付き合ってきました。
今回のウイルスでも、「世の中はこういうもんだ」と悲観せずに、着実に前進していきます。

Q最後に一言お願いします!

予測できない変化が起きると、不安に思うかもしれません。
繰り返しにはなりますが、今まで押しても引いても動かなかった事が動き始めたり、新たなものが生まれるチャンスでもあります。
僕らはそのチャンスをどんどん手繰り寄せて、自律した社会へつなげて行きますし、小高ワーカーズベースのまわりにはそんな人達が続々と集まっています。
「変化を楽しむ」この言葉に共感していただける方は、ぜひ垣根を超え、仲間として共に未来を創り上げてましょう!

編集後記


和田さんの取り組みは既に本記事以外の何十もののメディアに掲載されていますが、荒野に最初の旗を突き立てた和田さんのフロンティアスピリットに満ちたエピソードには、何度読んでも強く心を打たれます。

今も、そしてこれから先も小高に集う私達のパイオニア精神を一番体現し、勇気づけてくくれることでしょう。

(野口福太郎)



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