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私が飲食店経営者の嫁になるまで

台湾の占い師さんに言われました。
「公務員ト結婚スルヨ」
当時の彼は数学教師になりました。

その2年後、香港で予言されました。
「今ノ彼ト結婚ネ、子供3人ヨ」
当時の彼はお医者さんでした。

結果…
私は飲食店経営者の嫁になりました。

今思えば占わずともわかります。
いずれ飲食店関係者とそうなるとは。

それは私が大学生の頃まで遡ります。

言い方を変えれば、
それまで飲食店と接点のない人生だったんです。

エンゲル係数ほぼゼロ家庭

私が育った家は外食をしませんでした。

マクドナルドは風邪を引いたときだけw
外食といえば札幌ビール園一択w
出前は近所のお寿司屋さん一択w

それも年に一度あるかないかでした。
個人店の存在すら知らなかったんですw

その反動でしょうか…

札幌を離れ神戸の大学に入り、
外食漬けの日々を過ごすんですw

悪食大学生爆誕

私は大学時代を神戸で過ごしました。

思い返せば…
この頃にはもう食に憑りつかれていたんです。

大学時代を過ごした神戸は
私に言わせれば「リトルワールド」です。

「リトルインディア」的なノリねw

港町・神戸。

北野を歩けばインド人ばかりw
長田という場所はベトナム人の宝庫。

元町中華街に始まり、多国籍な飲食店がいーっぱいあります。
ホントにいーっぱいあるんですw

元来寂しがり屋な私は、毎晩友人を連れ立って飲食店を渡り歩いていました。

ある日はトルコ料理屋で踊り狂い
ある日は南インド料理屋で歌い
ある日は焼鳥屋で人生相談を持ち掛け
ある日はトルコ料理屋で踊り狂い…

キャンパスライフとはほぼ無縁でしたw
実際、大学全然行ってなかったしw

大学に行くたび友達に心配されていたものです。
「お前、進級する気あるん?」てw

そして…
飲食店の中の人になる日が来るのです。

人生唯一の飲食店アルバイト

私のアルバイト人生は散々です。

パン屋さんは3日でクビ。
他のアルバイトは面接で全滅。

新幹線でアンケートを取る仕事
IHキッチンを売る仕事
球場のおにぎり屋さん

これくらいしか受かりませんでした。

全部不定期w
しかも全部謎w

いわゆるTHE・アルバイトとは
ほぼご縁がありませんでした。

その中でも受かったアルバイト。
生田ロード近くのペルシャ料理屋さんでした。

イラン人の旦那さまと日本人の奥さまが二人三脚で始めた飲食店。

オシャレなカフェ風の内装に似合わないゴリッゴリのペルシャ料理がウリでした。

「新規オープン・水タバコ吸い放題」
この謳い文句につられて応募したんです。

ワインも開けられない
料理も全くしない
水たばこしかセッティングできない

ほぼ無能な私を快く雇ってくれたお二人にはもう感謝しかありません。

そして私はそこで知るのです。
飲食店の楽しさと難しさを。

優しきハンニバル料理

ペルシャ料理ご存知です?
知っている方のほうが少ないと思います。

でも、世界中の料理のルーツをたどるとペルシャ料理に辿り着くんです。

ってイラン人の旦那さまが言ってました。
ペルシャという大国がありましたからね。

トルコ料理で有名なケバブ、インド料理屋さんでたまに見るサブジ、ワインや紅茶に砂糖を入れたヤツ…

全部ペルシャ発祥です。

ってイラン人の旦那さまが言ってました。

豆、野菜、ドライフルーツ、全く辛くないスパイスをふんだんに使った優しい味なんです。

実家の布団くらい優しいんです。
kiroroくらい優しいんです。
深酒した次の日に食べると泣けます。

でも、知らないと怖いんですよね。

だからでしょう。
当初はお客さまなど皆無ですw

うっかりいらした方は大抵おっかなびっくり。

「脳みそ入ってます?」
「内臓系苦手なんですけど…」
「臭みって強烈です?」
ハンニバルかw
沖縄の二人組グループやw

そんなお客さんを目の前に思ったんです。
ただ料理を運ぶだけじゃいけないと。

これは楽しんでもらないと…
ご飯を食べてもらえない。

そうだ。
旅行ガイドになろう。
イラン専門のガイドになろう。

ペルシャ料理を出すだけじゃなくて、その美味しさとルーツを知ってもらおう!

そう決めた瞬間、
私の足は書店に向かっていたのです。

駅から徒歩5分の海外旅行

ホールスタッフからガイドに変身した私。

ビラ配りではイランの話をし
お店の中でもイランの話をし

挨拶はペルシャ語。
オーダーもペルシャ語で取ってましたw

イランの広告塔になった気分でした。
もはやイラン人でした。

ご夫婦の努力もあり、お客さまの反応は上々。

「イランに来たみたいです」
「パスポートがいらない海外旅行ですね」

そんなお言葉を頂くこともありました。

ペルシャ料理は女子の好物要素ばかり。
それに女子は女子を呼ぶんです。

気づけば、お店はゆるふわ系の神戸女子のたまり場となりました。
慣れた手つきで水タバコをくゆらせるギャルだっていました。

少なくとも…
血まみれの内臓料理を想像するお客さまはもう誰もいらっしゃいませんでした。

飲食は総合エンターテイメント

アルバイトをするまで、飲食店の仕事は料理を提供するものだと思っていました。

でも、ペルシャ料理屋で感じました。
飲食店はエンターテイメントだと。

食事をする場所でもあります。
でも、それだけではありません。

喜びや感動、発見を楽しみに私たちは飲食店に足を運ぶんです。

飲み屋さんも同じ。
ただ肝臓を傷めつける場所ではありません。

会話やお店の雰囲気、楽しい時間があるからこそ飲み屋さんに足を運ぶんです。

そこに人を楽しませる工夫があるから。
その工夫を創り続ける人がいるから。

数々の飲食店が生まれ、
色んな人生が交差するんです。

人を喜ばせるのが大好きな私。
飲食業は天職だと感じました。

本当はあのままペルシャ料理屋さんに就職しようと思っていました。

それくらい大好きな仕事だったんです。

まぁ…
その後、八百屋になる訳なんですがw
さらにその後占い師になる訳なんですがw

天職どこ行ったw

自分は飲食店で働くことはやめましたが、今でも飲食業は憧れの仕事です。

飲食業に携わる方を尊敬しています。
できることなら…もう一度やりたいです。

でもBBAに転職は狭き門です。
それにお酒一滴も飲めないし。
気遣いとか全くできないしw

私がカウンターの中に立つことはないでしょう。

すごく好きな仕事
でも、自分にはできない仕事

そんな想いもあり、
飲食業の人に惹かれやすいのでしょう。

カウンターマジックって言いますよね。
私には飲食業マジックなんです。

東京でできた友達は、ほぼ飲食業従事者。
イヤでも飲食店の裏側が見えてきます。

それでも飲食店に憧れるのは。
飲食店の嫁になってしまったのは。

ペルシャ料理屋さんでの経験があるからかもしれません。

そう考えると。

私が飲食店の嫁になったのは、夫と出会う前から決まっていたのかもしれません。

夫は生粋のエンターテイナー

今だからこそ思います。
夫は私が憧れる総合エンターテイメント型飲食店を目指し、毎日せっせと働いてるんです。

夫にサービス論を聞けば止まりません。
お酒が入っていたら厄介ですw

熱くなって…
しまいに泣いちゃうのではないでしょうかw

できているできていないに関わらず、自分なりの信念を持って仕事をしています。

夫の信念が色んな人に伝わったら、それはそれは素敵な場所が増えるはず。

いつしか私の中で
夫が目指す飲食店=人が集まる飲食店
この構図が出来上がっていました。

でも、多様性に溢れる時代。
我々のサービス論が音を立てて崩れる衝撃の出来事が起こるんです。

「我々」です。
私と夫の価値観がぶっ壊れましたw

それは休日に外食へ行った時のことでした。
我々はそこで驚愕のサービスを目の当たりにするんです。

次回へ続く…

夫の飲食店はここ↓
beer republic THE GRUB代々木上原店

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