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SDGs OUTREACH for children

小中学生向けにSDGs出前授業を行った内容・ビー玉を使った実験についてまとめておきたいと思う。活動の概要(公としての情報発信)は市公式WEBサイトにも掲載してあるので、参照いただきたい。
なお、本記事に掲載している意見はあくまでも個人の主観に基づくものであり、所属組織等の公式な見解を示すものではありませんので、あらかじめ申し添えます。


その取組はSDGsでいうところのどのゴールにつながるものですか?

SDGsの広まりとともに様々なところで目にするようになったのが上記の設問だ。筆者は行政職員であり、各種施策についてSDGsのゴールに準えて整理・説明するという機会は少なくない。この取組は何番と何番につながるもので、こっちの取組は何番で・・・SDGsのカラフルなアイコンが広く認知され、人類共通の目標というイメージも相まって「共通言語」のような役割を担っている面は確かにある。ただ、こうした整理には違和感がつきまとう。まずは端的にその点の問題意識を述べておこう。

SDGsの本質とはなにか。
国連が発出した文書の正式な名称「Transforming our world : the 2030 Agenda for Sustainable Development」にあるとおり、"TRANSFORMING OUR WORLD = 世界を変革する"のメッセージに尽きる。

17のゴールも169のターゲットもそれ自体が目的ではない、ただの手段にすぎない。

にも関わらず、カラフルなアイコンと日本語コピーがあまりにも独り歩きしていないか。「身近にできることから・・・」にあまりにも安易に着地しすぎではないだろうか。アイコンをぺたぺたと貼り付けたのみの「私たちはやってます」アピールに陥っていないだろうか。

こうした問題意識を出発点として、それじゃあ子供たちに何をどんな形で伝えるかを考え、悩み、一応の形にしたのが「ビー玉実験」である。

"SUSTAINABLE"な世界には限度容量があるというドライな現実

おもな実験道具は、"サステナブルの桶"と"ビー玉"である。この桶は「#01 貧困をなくそう」から「#16 平和と公正をすべての人に」までの16枚の型紙で構成され、それらを桶たらしめているのは「#17 パートナーシップで目標を達成しよう」の紐である。

16枚の型紙と紐で構成される"サステナブルの桶"
人に見立てた"ビー玉”を順に注いでいく

SDGsの各ゴールの達成率が均一ではないことに倣い、16枚の型紙は長短がある。人に見立てたビー玉を順にこの桶に注いでいくのだが、最も達成度が低いゴールの高さまでしか収容できずビー玉が桶の外に堕ちていく。
道具としての原理はドべネックの桶(リービッヒの最小律)である。

桶からビー玉がこぼれ堕ちていく様子に子供たちは何を感じるか

桶にビー玉を注いでいくと、型紙が一番短いところ(≒ 達成率が最も低いゴール)からビー玉がこぼれ堕ちていく。サステナブルな世界に入りきれなかった人たちはどこに・・・SDGsの基本理念に照らせば「取り残される」状態と言えるだろう。

これらの出前授業は学校の総合学習の時間に行われることが多く、各学校の担任の先生らとも協議をしながら授業を組み立てていくのだが、実験を進行する上での工夫がいくつかある。

1st Approach:17のゴールはバラバラではない、すべてつながっている。

サステナブルの桶がなぜその形になるのかを事前にインプットしておくことが欠かせない。そのために授業ではSDGsの169ターゲットに目線を掘り下げてキーワードを辿っていくプロセスを設けた。
短時間でできるかぎり直感的な把握につながるよう朝日新聞社が主催した「SDGs169ターゲット日本版制作プロジェクト」を活用している。

ターゲットのコピーを読んでいくと共通のキーワードが繰り返し出てくることに気がつく。SDGsの1つ1つのゴールが目指すものごとの範囲というのは思いのほか結構広い。他のゴールとも共通する部分・重なる部分・連続する部分というのが多くある。
これらを丁寧になぞる体験を通じて17ゴールはバラバラのものではない、相互に関連していることのイメージを形成する。

2nd Approach:SDGsの各ゴールの達成状況にはデッコビハッコビがある。

SUSTAINABLE DEVELOPMENT REPORT 2022より日本の達成度を抜粋 

各ゴールの達成度は毎年レポートが出されている。授業でも国別/所得別の集計をいくつか抜粋して子どもたちと内容を確認している。むろん、筆者も英語は分からないので「目でみてわかること」に留めるが、17ゴールの達成度には上手くいっているところもあれば、全然できてないところもある様を印象付けていく。

Approach1(SDGsはぜんぶつながっている) とApproach2(SDGsの達成度はデッコビハッコビがある)により、サステナブルの桶がなぜそんな形なのかが直感的に捉えられるように組み立てている。

3rd Approach : ビー玉を注ぐ順番は "必ず"・"平等に"・"くじ" で決める。

実験の進行においてビー玉を注ぐ順番は重要なポイントだ。子供たち本人にその意識があるかどうかは別として、最初に注ぐもの、次に注ぐもの・・・それぞれに役割がある。
ビー玉を注ぐ順番はくじで決めている。学校やクラス・時間割に応じて一概ではないが、割り箸でつくったくじを使うか、ホワイトボードであみだくじをするか、いずれにしてもくじである。順番を決める過程そのものに全員が参加して見届けていることも重要なのだ。

授業時間前にあみだくじで順番を決める様子

4th Approach :  子どもたちの反応が変化していく、その流れこそが真の狙い。

実験の事前準備を整え、いよいよ順番にビー玉を注いでいく。カラフルなビー玉がガラガラ・じゃらじゃらと音を立て、ワイワイ・ガヤガヤやるのだから傍からみれば小学生とおじさんが遊んでいるようにしか見えないが、それも真実である。
こういった体験的な内容に対して、子どもたちはとても素直な反応を示してくれる。

特に1番目にビー玉を注ぐ児童・生徒には「コップの中のビー玉は、自分の国の大切な国民だと思ってね!かわいいでしょう?名前でもつけようか?」とビー玉が何を意味するかを改めて認識してもらう。
すべてのビー玉が桶に収まったら「おめでとう!」と拍手する。私につられてその場にいる子供たちもみんな拍手する。
「サステナブルの桶に、一人も取り残されることなく全国民が収納できた」そのことは賞賛に値することなのだ、そういう流れをつくり繰り返していく。

ビー玉を注いでいく様子

平均して6~7巡目あたりで桶の容量はいっぱいになる。最も達成度が低いゴールの型紙の長さに達してしまっているためだ。こぼれ堕ちるビー玉が出たあたりから私はできるかぎり子供たちと目を合わせないように振る舞う。

「こぼれたビー玉は何個ある?」と尋ね、子どもたちの目線を堕ちた方のビー玉に向けてもらう。何も語らずに静かに佇むビー玉に何を連想するかは子供たちの感性に任せている。

むろん、ビー玉がこぼれた以上は私は拍手による賞賛をしない。「ありがとう、はい次の方どうぞ」を呼びかけたときに、それまでの流れで拍手をする子もいるが、それも徐々に少数になっていく。察しのよい子はその場の違和感に気がつく。ここまま続けたらどうなるのか、いよいよイメージできた様子だ。

注いでも注いでもこぼれ堕ちる、でも続ける。

8巡目以降はもちろん注いでも注いでもビー玉はどんどんこぼれ堕ちていく。繰り返してもそうなることはその場の誰しもが分かっている。ただやめるわけにはいかない。その残酷な現実もまた実験の大切な要素である。

最終順の児童・生徒がビー玉を注ぎ終わったら、私は極めて明るく努めインタビューをする。
〇 自分の国民(自分が注いだビー玉)はどのくらい桶に入れた?
 ・・・ほとんどこぼれ堕ちたね。
〇 そうなるなぁとは予想できてた?
 ・・・実験の途中からそうなることは分かってた。
〇 なんでこうなった?
 ・・・注ぐ順番が一番最後だったから、仕方ない。
〇 なんで最後に注いだの?順番は何で決めたんだっけ?
 ・・・ なんでって、くじで決まっただけ。

そう、順番はくじで決まっただけ、そのことを改めて全員で思い返す。最後に注いだ児童・生徒が何かをした/しなかったのではない、ただのくじである。 ただそれだけのことで、立たされている現実は圧倒的に違う。

〇 率直にどんな気持ちになった?
 ・・・ いやな気持ち。なんで自分だけ?
 ・・・ 最初に注いだ人がうらやましい。ズルいとも思う。

こぼれ堕ちたビー玉に着目しながら、彼らの立場からは世界がどのように映るか率直な言葉を挙げてもらう。今度は桶の中、特に最初に注がれた安泰なビー玉たちの気持ちも考える。

実験の終盤はこんな感じになる

双方にどんな感情や意見があるかを模擬的に示したあとで、桶の中と外のビー玉の数を比べてみる。この実験装置においては、桶の中に収まるビー玉が約82%(大多数)・こぼれ堕ちる方が約18%(少数派)になるように設計してある。
"選挙"とまではいかなくても、多数決という意思決定の原理は子供たちの学校生活にもなじみ深いもの。敢えてそれを引き合いに出しながら、さて世界をどうしようか/人類は何をすべきかといったルールは誰がどうやって決めるのだろうか・・・それは一体誰にとっての正義なのだろうか。答えはないが、当たり前だと思っているものを素直に疑うという経験を挟んでおく。

5th Approach : パートナーシップはとても大切で欠くことができない・・ただ、それは非常に脆い。

SDGsの#17パートナーシップは他のゴールとは違う特性をもっており、それ自体が"目的"ではなく"手段"であるとされている。実験装置においても他の16ゴールとの横並びではなく紐で表現している。#17パートナーシップの紐があってはじめて16枚の型紙は桶となり得るのだ。

実験の終盤でそもそもが不平等であることや立場による意見の相違、誰かの正義は誰かの正義と対立するといったことを話し合った延長で、パートナーシップの脆さを体感するクライマックスを置いている。紐をプツンと切ってしまうのだ。

紐を切った瞬間の1枚
ビー玉は一瞬ではじけ飛ぶ(一応装置内に収まるようにはなっているが)

パートナーシップが崩れ一瞬で世界がはじけ飛んでしまうような様は、現実の世界でいえばどんなことだろうか。子供たちに様々な意見を出してくれる、そのすべてに期待を込め私はただただ肯定を示す。

はじけ飛ぶとは記載したが、それでもなお桶の中に依然として留まるビー玉も存在する。事前のシミュレーションから導いた平均値でいえば、桶の中に残るのが7%、はじき出されるのが93%である。実験装置上の数値なので、現実世界の何かの割合を模したものではないことは付け加えておこう。

日本という国について子供たちがどのような印象をもっているかは別として、GDPが世界第4位(ドイツに抜かれて1つ後退したとか…)と言われ、地方自治体に勤務する筆者が平凡に暮らしているところから推察するにある程度の位置にいるのだろう。
そんな我々は世界の不均衡にどれだけ真剣になれるだろうか。今は苦しい思いをしても将来に向けて避けては通れない試練、そちらの道を敢えて選ぶようなリーダーを多数決で選び出すことはできるだろうか。

子供たちには申し訳ないが、現実は理想だけでは進まない難しさがある。自分にはどうしようもないことだらけだ、私だってそう思っている大人の一人だ。

実験の事前シミュレーションによる割合を示したもの

SUSTAINABLE 82% / LEFT BEHIND 18%
の世界の構図が、#17パートナーシップの紐が切れた一瞬で
SUSTAINABLE 7% / LEFT BEHIND 93%
に変わってしまう。それぞれの状況で自分はどこにいるだろうか。

この割合の変化が徐々に迫ってくるものであったなら、我々もどこかで本気スイッチが入るかもしれない。このままだとヤバい、今のうちに何とかしなければと思うのはいつなんだろうか。

ただし、この劇的変化というものはある日突然やってくると思えてならない。VUCA時代はいつどこで何が起きるのか、それが何にどんな影響を与えるのか… 予測不可能であることが確実というのは何とも恐ろしい現実だ。

人間同士の不調和・人間と自然環境との不均衡… そういう歪みのうえに人類の豊かな文明は成り立っている。
盲目な我々は「これがSUSTAINABLEの姿だ」とか、それに近づいている、自分たちもやっている… 社会正義としてそういう衝動に駆られている。だが、そもそものベースが歪んでいる以上、その上に何を積み重ねたところでレジリエンスは確保できない。

そんなことをズバッと指摘してくれる未来のリーダーが現れることを願い、「そういえば小学生のときにビー玉でなんか実験やったっけな」と思い出してくれたら・・・授業の45分間に密かにそういった意図を込めてしまったのだから、私自身が地方公務員としてかなり歪んでいる。

記事としての着地点すら見つけられませんが、一応のまとめを。

小中学生向けのSDGsに関する出前授業は3年目である。正直なところ、かなり藻掻いている。おそらく今後も答えが見つかることはないだろう。そういう無責任な大人が授業を担当しているわけだから、子どもたちも「SDGsを理解した!」とは言えないはずだ。

開き直りに聞こえても私には反論の余地がないが、SDGsとはそういうものだからこそ「子供たちの持つ素直な感性に託そう」というのが授業組立の中核であり、始終を貫くコンセプトである。

小中学生のSDGs認知度の調査なども担当してきたが、節電・節水・食べ残し等身近な実践と #6安全な水とトイレ ・ #7クリーンエネルギー ・ #13 気候変動 を結び付ける傾向が強く、しかもかなり偏っている。
SDGs = 地球にやさしい 、SDGs = 身近なことから ・・・ もちろん、これらは大切なことだと思う。しかしながら「必要であるが十分ではない」とも思う。

冒頭で述べたとおり、SDGsの本質は "TRANSFORMING" だ。 大人が子供に教えるとか、桶の形がどうだとか、誰々がやってるとかやってないか・・そういう既成の枠組みや概念すらもひっくり返す発想が必要なのである。

子供たちを導くべきは安易な着地点ではない。道標もない混沌たる未来、それを直視する勇気と覚悟を自分自身で育んでほしい。

授業では最後にこのスライドを示し、問いかけて終わる

169ターゲットの169番目、17-19の日本語コピーは「人類の進歩を測定できる、GDP以外の尺度を開発しよう」である。
朝日新聞社のプロジェクトが単なる日本語訳ではなくコピーを求めていた趣旨に添い、私自身からのメッセージも兼ねて授業で投影するスライドの最後はこれを示すことが多い。

何をもって人類は進歩したと言えるのだろうか。
モノやサービスがたくさん生産され・消費され、それが大きくなればなるほど人間は進歩したと言えるとしてGDPで計測してきたが、その凝り固まった考え方自体もいよいよ変えなきゃいけないよね!私はそう解釈している。

何を確保すれば人間の幸せと言えるのだろうか。
どんな状態であれば、一生物としての人類の反映と言えるのだろうか。
子どもたちにとって、人間である以上は未来においても最も身近な関心ごとであろう "幸せって何か?" の空白を託すことにした。

むろんモヤモヤの矛先を折り紙の異星人に向けるような(*前記事を参照)、無責任な私には到底思いつくものではない。
子どもたちに倣えば、節電を頑張ることがSDGsにつながる、そういうトレンドであったなぁと思い出し、この辺りでこの記事は完結させて、さっさとPCをシャットダウンし、エアコンと電気を消して寝ることとしよう。

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