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愛について


愛情というのは、人間が生きていくのに必須な感情なのに、なぜこんなにも扱いが難しいのだろうか。

私は、長女だし、お母さんも長女だったから、生まれた時から、親だけでなくいろんな人から愛情を受けて育ったと思う。もちろん、他の兄弟が私より愛情を受けていないかと言えばそうではないけれど、第一子というのは、めでたいし、少しだけ多くの人から愛されたのかなと思っている。

だけど、なぜか私は愛情というものをうまく受け取れないし、うまく渡せない。

愛情を渡そうと思えば、そこに見返りを求めてしまったり、相手を想ってというより、私のやりたいようにしか愛情を与えていなかった。

だから、私の愛情はなかなかに伝わりにくいし、何ならこじれる。

自分に愛情があるというのはいいことだけれども、このままだと私の”愛情”は人を傷つけかねないと思って、人の愛し方について考えてみることにした。

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まず、そもそも愛情とは何なんだろうか。

例を挙げればきりがないかもしれないけれど、、

・相手の幸せを願うこと
・自分よりも相手について考えること
・相手や自分を肯定すること
・理解しようと努力すること
・相手のために何かしたいと思うこと
・知りたいと思うこと

などがあるんじゃないだろうか。
こういった愛情に関しての定義や理想などはたくさん語られていて、多くの人が、「愛情はどうあるべきか」について理解はしているんじゃないかと思う。

しかし、これらは、とてもとても実践が難しい。
走り方は知っているけれど、50mを6秒で走るのは難しくて、できる人はなかなかいない。みたいな、そんなかんじだ。

何がそんなにも”愛情”を難しくさせているのか。
それは、誰もが持つ、「自分が得したい」という気持ちだと思う。
さっき例に挙げたように、愛情というのは、自分ではない誰か、”相手”がいて成立するもので、その相手の成長や幸せを自分のことのように願うことができることで最大化する。でも、相手の幸せを願うというのは、自分が幸せであってこそできることであって、だからこそ難しい。

人がいつまでも「自分の得」を最優先してしまうのは、自分が満たされてないからだ。要するに、満足することを知らない人は、他人を愛すことができないわけだ。しかも、満足できない人というのは、足りない分を自分で補給しようと思うのではなく、他人からもらおうとしがちだ。だから、愛を欲しがるし、いくらもらっても「まだ、まだほしい」と思ってしまう。

こうやって考えていると、愛情を受け取るのも渡すのも苦手な私は、確実に自分に満足していない状態なんだろう。と思った。

そして、周りを見ていると、私と同じような人は、少なくないと思う。


じゃあ、そもそもなんで自分に満足できないのか?

それは、人との比較をしてしまうからだろう。
自分の持っているものを見ずに、他人が持ってるものだけを見て「私より、、、」「私は持ってないのに、、、」なんて思うから、いつまでも満足できない。いわゆる”他人の芝がめちゃめちゃ青く見える現象”だ。


では、どうすれば自分に満足できるようになるのか?

多分みんなは、「自分を愛する」「自分を肯定する」という言葉が次に来ると思ったんじゃないだろうか。

でも私の意見はちょっと違う。

いや、まあ、「自分を愛する」とか「自分を肯定する」ということはもちろん大切な訳だけど。でもさ、それができないから困ってんじゃん。って毎回思うわけだ。私は。

できてたら困ってないんじゃあああぼけえええって思うわけだ。

だから私は、もう少し具体的な解決策を考えてみた。
それは、

・自分との約束を守ること
・自分のいいところを絶えず考え続け、書きだす
・いろんな人に会う

これが、自分に満足するために必要な具体的行動だと思う。

自分との約束を守ることは、自分への信頼につながり、たとえできないことがあっても、自分は何とかできるという自信になる。これは、何かと比較してしまったときにうまく働いてくれて、「今はできないけれど、できるようになれる」という確信を持たせてくれるから、よい。

自分の良いところを書き出すことは、地味だし、パッとしない方法だけれども、効果絶大だ。絶えず自分の良いところを探し続けるのは、自分の良いところに目を向けるために最適な訓練だと思う。(自分なんて言いとこないし、こんなあほらしいことやってられないと思う人、そんな人にこそやってもらいたい)

いろんな人に会うことは、いろんな価値観に触れることでもある。いろんな価値観に触れることで、自分の中にある固定概念を少し和らげて、自分では何とも思っていなかった自分の性質に価値を与えたり、できなくて劣等感を抱えていたことに対して「あ、別にできなくてもいいんじゃん」と知れる。これは、「自分」という人間の個性を見つけるためにも必要だ。ただし、人にあっていく中で注意したいのは、相手が言うことがすべてではない。ということ。流されてはいけない。きちんと一つ一つの意見を、価値観を、自分のフィルターに一度通してみること。

この3つのことができれば、結構自分への満足感は増すと思う。

ただ、やっぱりこれらは、簡単じゃない。

簡単だったら、この世には、「愛情」がたいせつで素晴らしいものという概念はなかっただろう。だって、手に入れるのが簡単なんだもの。

手に入れるのが難しいから、美しくて素晴らしいわけだ。

だから、とことん苦労してでも、自分に満足できるようになってほしい。

多分、自分に満足できないタイプの人は、もともと自己肯定感高めの人を見ては「私もああだったらなあ、、」なんて思うだろうけど、ご存知の通り、そんなことを考えても仕方がない。私がいま、「満足できない。私なんか、、、」という考えを持っているのは紛れもない事実なんだから、嫌なら帰る努力をしていかなきゃいけない。泥臭くて、ダサいけど。

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結構長々と話したけれども、「愛情」については、また別の面から考えてみたいとも思っている。そして、これからもずっと、いろんな面から「愛情」について考え続けたいと思っている。

今日出た結論としては、

愛情とは、相手を想うこと。

これに他ならない。

そして、純粋な愛情とは、自分の中に愛情をしっかりと貯蓄してからじゃないと、他人にあげられない。


どうか、皆さんが純粋な愛情を与え、もらえるように。










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