先に立つのか立たぬのか
後悔には大きく分けて2つの種類があると思います。
「しなければ良かった」と何かをしたことを悔やむ気持ちと、
「すれば良かった」としなかったことを悔やむ気持ち。
私は今まで、後者を避けて生きてきました。
それを誇らしくも思ってきました。
数年前、大好きだったにも拘わらず好きと伝えるのが憚られる人(恋愛対象としてではなく、尊敬と思慕のような感情)がいました。
私が話しかけるなど迷惑じゃないかと散々迷った挙げ句、友人に背中を押してもらったり「しなかった後悔よりした後悔」論に縋ったりして想いを伝えました。
直後は後悔するどころか嬉しさが込み上げましたし、相手も喜んでくれたので幸せでいっぱいになりました。
あれから数年経った今も、後悔は全くしていません。
ですが、時々思うのです。
「やらずに後悔したくない」と思っていたようで、本当はただの言い訳に過ぎなかったのではないかと。
自分の中に想いを伝えたいという欲望がある。
しかしそれを思いとどまろうとする理性もある。
欲望を通すにはその理性を壊さなくてはいけない。
だから「しなかった後悔よりした後悔」をする方が良いという都合のいい考え方を採用したのかもしれない。
先日、同じような「好き」な人との別れがありました。
一生の別れではありませんし、おそらくそう遠くない将来再会できます。
分かっていても、毎日会っていたのが過去になるということが悲しくて悲しくて。
それを知った日は友人に付き合ってもらい軽く挨拶をしに行きましたが、衝撃で口もまともに聞けなくなっていた私は一言二言しか発せませんでした。
その1ヶ月後、最後に会える機会がありました。
毎日真剣に悩みました。
最後にもう一度会いたい。感謝を伝えたい。
けれど、顔を見たら別れがより一層辛くなってしまう。
そんなとき、先述のことを思い出しました。
あれ、私「やらずに後悔したくない」と思っていたけど、そんな後悔したことあったっけ。
次の瞬間、思いました。
そうだ、実験をしてみよう、と。
会いに行っても行かなくても辛くなるなら、いっそのこと新たな選択をしてみよう。
そして私は想いを届けないことと、「しなかった後悔」をする可能性を選びました。
決断を下した日…最後のチャンスを蹴った日から1週間が経ちました。
3日前に見た夢の中で、私は溢れる涙をバスタオルで拭いながらその人に「今までありがとうございました。大好きです」と伝えていました。
目が覚めてからも少しだけ泣きました。
ですが、今のところは後悔しているのか否か、自分でも分かりません。
正解がないものですから、答え合わせもできません。
だからこそ楽しんでいけたらいいな、なんて思っています。
これからも不定期で経過などを記録していく予定ですので、お付き合いいただけますと幸いです。
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