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風穴は待つのか、自分たちで開けるのか。


たまたま観た2002年W杯

ブラジルのドキュメンタリー番組。

懐かしい面々がいまの姿で登場。


日本の試合も放送されたりしてますが

あの頃と20年経って何が変わったか。


20年前はまだ雑な部分が社会に多く

整えられていない問題も多くあった。


だがそんな不満や鬱憤を晴らすように

若者たちがリアルで楽しむ欲求を

素直に表現している感じは伝わる。


日本の浮かれ方の稚拙さも思い出すし

いまとエネルギーの質が違うくらい

テンション高めに人間はなるんだと

あらためてわかる、熱狂であった。


いまの若者は冷めてるというか。

素直に感情を表に出すことを

あまりできない環境に生きてる。


だから顔を隠して本性出す

自分を表向き何かを演じて

そつない立ち回りを重視する。


ちょっとこう、うまくやろうと

する気持ちが強すぎる感じ。


エネルギーの発散がご時世もあり

ぎこちない感じで育ってしまった。


まぁネットやテクノロジーの発達で

スマートに別の快適さを

実現できてしまうからだろう。


むかしはできなかったことを

最初からできるということは

その過程を同じく体験できない

ということ。


この構図は永遠であって

いまの中年世代も同じように

高齢者も同じ構図を経験した。


過程を経験できなければ

口酸っぱく経験則を言う人の

意見も響くことはないんです。


あんまり失敗を許さず事前に回避

情報量の充実で失敗しないで進む。


失敗する恥ずかしい感情が強く

失敗したことを苛立ち、毛嫌いする。


失敗なんか逃れることなどできない。

仲間になるしかない、しゃーないので。


でも社会のヤミは失敗が大好物。

顔を隠せることをいいことに

本性まるだし状態となっていく。


日本全国に見られて糾弾、謝罪。

その全方位リスクからの回避が

強めに出ている印象がある。


20年前の若者はスマホがまだない。

充実するにはリアルで直接に、となる。

いまは真逆でしょ?笑


当時も不安や不満は多かったし

いまの基準からは考えられないことも

たくさんあったその名残りある時代。


20年経って守りに入った大人も

20年後のいま、まだ攻めもせずに

勝手に自分の限界点を決めて

守りに入ってしまう若者も。


大人は昔の熱を思い出せるし

若者は大人の熱量を学ぶべきだが

上手くは伝えられないジレンマ。


日本のサッカー選手も20年前は

茶髪や金髪が多かったですね。


戸田は赤だったし、

小野は小野だった笑

柳沢は当時から柳沢まるだしだ。


いまは黒髪が多く、いっときの

派手さはなく落ち着いたなかで

妙にかしこまり、はしゃがない感じ。


オジサンたちはもっと若いヤツが

はしゃいでもいいかなと思ってます笑


妙に落ち着いてるほうが暴発する。

溜め込んでしまうからでしょう。


そういう窮屈さの中の息苦しさ。

これはさらに増している感はある。


妙に名残りを残し、伝統を受け継ぐ

長友が異様に映るくらいでね。


明らかに世代間の熱量の差があるが

もっと若い世代には熱量出して

殻を破ってくれたらいい。


長友らが選ばれているのは

そのおとなしめな性格からの

覚醒を願っての面もある。


これは、いつの時代も同じ構図。

2002年のときは中山や秋田が。

同じ役割を果たしていた。


当時の主力、黄金世代の若者や

大エースカリスマオーラのナカータを

イジれる中山や秋田がいるのは大きい。


選手も大衆の若者も同じで

うまくこなすが熱が足りない。

叩かれるという構図と

無関係ではないのは明白だ。


もういろんなことを気にせず

好きにやれない風潮が原因だと

わかっていても抗えない。


どこかチカラをセーブしながら

全速力で走ることさえ許されない

そんな社会を反映してるような。


ホントはエネルギーがあるけど

遠慮させられてセーブして

走らないとうまくいかない

みたいな、伝わるかな?笑


風穴を待っている行列が見える。

しかし風穴を誰かが開けるのを

待っているけど、自分からは

開けようとしない気配も見える。


自由にやれないセーブ人生。

皆で風穴を自力かつ他力も利用して

一緒に同時に開けようとしないと

この風穴は開いてくれない。


実は皆、その機会を欲している。

そんな気はしますけどね。

気のせいかな?笑



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