今年の櫻(後篇)
氣が附けば櫻の花は散り始め、つい1週間位前に満開を迎えたのがまるで夢幻の如く儚い時の様に思えてなりません。
さて、前回の續きでございます。
川沿いの遊歩道を歩いていた私は、その終点に差し掛かりました。
正確にはアーチ橋の下を抜けているところでありますが、その先には見事な櫻のトンネルがあるのです。
ここは石神井川。地元では「音無川」の名前で通っております。
この川はやがて暗渠になり隅田川の方へ繋がっている様ですが、その眞っ暗な地下水路の入口が今もこの櫻並木の近くで不氣味に口を開けているのです。
その水の流れ込む暗黒の地下河川とは打って変わって明るい青空の下、美しい櫻の並木は王子驛方面へと續いております。
この界隈にはよく行く呑み屋や喫茶店、或いは立食い蕎麦屋も立ち並び、賑やかな雰囲氣のお氣に入りの町でございます。
この近くには嘗て映画館も在り、よく子供の時にドラえもんやドラゴンボールの映画を観たものでございまして、その帰りに當時ではご馳走だったハンバーガーを家族で食べたものでした。
このビルのボウリング場もよく學生時代に友達と遊んだものです。
ふと地元を散歩すると樂しかった思い出が尽きる事はありません。とても嬉しい氣分です。
さて、ここから少し小高い場所に出ると櫻の名所「飛鳥山公園」であります。
満開のこの日、園内では至る所でお花見を樂しんでおられる人で溢れていました。
お花見客も紳士淑女の皆様です。
公園の管理もそれだけ丁寧でありますし不良外人にもあまり浸食されていないので、馬鹿な乱痴氣ぎを起こす愚か者はほとんど現れません。
元々お花見は「観櫻」と云い、高貴な身分の人達の遊びでしたが、やがて庶民もこの風流を眞似て自分達なりに愉しむ様になりました。
江戸時代では上野の寛永寺位しか庶民が花見を愉しめる場所は無く、その風紀も劣惡だった為に、かの『暴れん坊将軍』こと徳川吉宗公が櫻を植えさせて作り上げたのがこの飛鳥山なのであります。
謂わば今も尚續く「庶民が安心してお花見を愉しめる場所」なのです。
開園時には上様ご本人も自ら宴席を設けるなどして名所としてアピール。江戸の庶民はこの計らいに拍手喝采だったそうです。
附近に屋敷を構える武家も敷地内の自慢の庭をよく庶民に開放して酒や菓子を振舞ったと記録に残っておりますが、身分の違いを超えて古來より愛される日本の花見の風習と文化はこれからも正しく守っていかなければならないのだと思います。
さもなくば時空を超えた上様が「成敗!」に來るかもしれません。
この公園は小高い丘になっており、明治時代には日本初の公園に指定された名誉ある場所なのです。
かの鐡道唱歌東北本線編の2番の歌詞中でも「森は花見し飛鳥山」と歌われております。
ここには大きな遊具を備えた廣場もあり、一説にはデズニーランドをイメージしたと言われているお城の形をした滑り台が人氣です。
その他にも静態保存されている国鉄D51形蒸氣機關車や都電6000形電車も遊びに訪れる子供達を待っています。
ここは子供の頃によく遊んだ思い出の場所です。
昔は「カリン塔」と呼んでいた展望台がありました。そのてっぺんに存在した床が回轉する展望レストランで噴水を観乍らジュースを飲んだのが良い思い出です。
今は展望台も噴水も撤去されていてすっかり変わりましたが、変わらないのは澤山の子供達の明るい声です。
残念乍ら遊具の方へキャメラを構えると子供達が寫り込んでしまい「変質者」にされてしまうので撮影は致しませんでしたが明るい日差しの中、子供達の樂しげな声に何やら元氣附けられる様な心地が致します。
オリヂナルキャラクターのイラストの子供もみんな仲良く遊んだ事と存じます。樂しかった思い出があるからこそ、今日このキャラクター達ものびのびと描く事が出來たのだろうかと思います。
夜になるとこの提灯が点灯して幻想的な雰囲氣を演出致します。
勿論、私も例外ではなく過日友達と花見に來ました。
いつになっても地元の友達と會えば懐かしく樂しかったあの頃へ戻れます。
小學校、中學校、そして高校の面白おかしい日々の話で盛り上がります。
大學や社會人になってからの苦労話も今や良い思い出に早変わり。
色々な友達が居るから創作するキャラクターの個性も巾が廣がります。
樂しいひと時と同時に、この倖せを噛みしめるのが本當の樂しみです。
こうして落ち着いて寫眞が撮れるのも良いものです。
身近な場所ですが歴史ある所である事に違いはありません。
この園内には幾つかの古墳も存在していて發掘調査で石室も確認されている様です。
もしかしたら花見客がシートを拡げるその盛り土の地面の底では古の豪族達も一緒に花見を愉しんでいるのかもしれません。
西日の差し掛かる頃、私は公園を後にするのでありました。
自轉車を漕いで大通りを進むと車道のど眞ん中にこの様な塚が見えてきます。これが江戸時代の「一里塚」なのです。
江戸の昔からこの場所はこのまゝ残されているのでしょう。
立入る事は出來ませんが、まるでこの部分だけ空間が次元轉換しているかの様な不思議な場所です。
ここは嘗て江戸から日光へ續く「日光御成道」であり、この遺跡はその2番目の一里塚だそうです。
大正時代の道路工事の際に撤去されそうになったのを、かの渋沢栄一公をはじめとした地元の方々の尽力で破壊を免れ今日に至っており、今では国史跡に数えられいる大変貴重なものであります。
鳥渡甘い物で一服…。この和菓子屋さんは繪になります。
地元の名勝「旧古河庭園」の正門前の櫻の下を抜けて…
近所の昔乍らの喫茶店で一息入れます。母もこう云う静かな店が好きでした。
お洒落なカップとソーサーは見ているだけでも飽きません。
お店を經營されているおばあさんとも和やかな話題で話が弾みます。
不思議と懐かしい場所へ自然に足が向くものです。
毎年花を咲かせてくれる櫻の木とも子供の頃からの長い附き合いです。
「よくここで遊んだな…」と独り言の様にこぼれます。
辺りが薄暗くなってきた頃合いに家に着きます。
ふと風が吹けば櫻の花びらが幻想的に舞っていきます。
我々にはこうした美しさが當たり前の様にそこに在るのです。
その下で子供達は元氣に遊び、大人達も憩いのひと時を愉しんでおります。
嗚呼、なんて素晴らしいのでしょう。
我々は自らの周りに毎年同じ様に訪れるこの季節を大いに愉しみ、慈しもうではありませんか。
櫻の美しさを満喫した樂しい一日。
日本でよかった。心からそう思える数時間の自轉車散策でございました。
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