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私たちが(そして誰かが)走り続けるためのリレーマガジン
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2020年8月の記事一覧

京都にて 2020年8月

出張で京都に滞在している。 学生時代の修学旅行はもちろんのこと、40歳を過ぎてから突然旅に目覚めたので、ここ数年は京都にもちょくちょく寄るようになった。とはいえ京都だけを目的地にする旅をしたことはなく、夜遅く到着してそのまま一泊したり、他の場所から移動して半日だけ滞在したりと、あわただしい旅がほとんどであった。 今回の出張は二泊三日、翌日は公休なのでもう一泊京都にとどまって、計三泊四日の滞在となった。仕事がらみの事情もあり、京都市街の特に繁華街や飲食店の現状を把握する必要

走れなくなった時間が、ランナーを再起動させる。

1月に走った距離、130km。 月の目標は2020年から125kmに設定したので、順調なスタート。 2月、77km。いきなり未達。 3月、167km。激務で首を痛めた2月の遅れを取り戻す。 4月、125km。マスクを付けて、達成。 5月、167km。順調。 6月、134km。順調。 7月、131km。順調。 8月1日〜14日、10km。どうした。 8月に入って、走れなくなった。怪我をしたわけでもなく、ただ、玄関でシューズに足を通すところまでいけない。 走れなく

始まりは、ひっそりね。

自宅近くを黒目川、落合川という2つの川が流れている。 この2つの川が合流する地点を折り返し、ぐるっと1周するように走るのは、私にとって定番のコース。 澄んだ浅い川、眺めているだけでもなんとなく気持ちが落ち着く。 春にはかわいいカルガモ親子に会えたり、川沿いの遊歩道は季節によって様々な花が咲いている。川沿いのちょっと向こう側には湧水地や公園、神社仏閣などいくつもの寄り道スポットがある。 同じ風景でも、季節や時間で印象が変わる。 右回り、左回り、どっち回りにするかで景色の拡がり方

ネコと暮らす

午前3時頃、気持ちよく眠っている私の顔面をネコが通過する。 肉球は少し冷たくて気持ち良いがちょっと重たい。通過したかと思えば、私の髪の毛を丁寧に毛繕いする。そして、やけにざらついた舌で私の頬を舐め続ける。 そんな風にして毎朝起こされるものだから、寝不足で仕事中に強烈な睡魔が私を襲う。 2ヶ月前、ネコが家族になった。 雨が降る森の中で保護された、生後約1ヶ月の赤ちゃんネコだ。 母ネコとはぐれてしまったのか、1匹でみゃーみゃーと鳴いていたそうだ。誕生してまだ1ヶ月余りの小さな身

ムスコの街ムスメの街を走る

成人したムスコと学生のムスメ持ち。 家を出たときは空の巣症候群を心配したけど出てすぐには気が張ってて「案外平気」だったのに1年経つと寂しさが募ってきた。 いかんいかんと自分ひとり(夫婦ではない笑)でも楽しむぞ、と興味のあったことどんどんはじめていたら忙しくなってきて オンラインサロン(PLANETSCLUB)に参加したり映画三昧やらアニメ特撮(アマプラとかサブスクのお陰)三昧。 仕事もあたらしい企画が軌道に乗り。 ヨガとウォーキングからランニング。 ヨガの講話会(瞑想やティ

御船山で『楽園』を走る ” 旅先で『日常』を走る ~episode16~ 佐賀編 ”

前回のあらすじ~ 島原で『乱』を走る ~ ” まるで長崎全体が、巨大な『軍艦島』であるかのように、私には思えてしまうのだ。” 御船山で『楽園』を走る まずは余談から。 昨夜、出張先の宿で手持ち無沙汰な状況が生じたので、youtubenの動画を適当にボケーっと眺めていた。おそらく世界最大のAIとおぼしきものが私の視聴履歴を基におすすめしてくる動画の中に、こんなものがあった。 視聴後、私の感想はただ一言、「呼子でイカを食いたい!」だった。九州随一のマイナー県である佐賀県だが

チームラボ どんぐりの森のいたずら

 チームラボ『どんぐりの森の呼応する生命』についてお話ししましょう。郊外のベッドタウンにおいてチームラボはどんな世界を見せてくれるのでしょうか? 『自立しつつも呼応する生命-液化された光の色』の昼間の様子です。無機質なovoid(卵形体)と住宅街の対比は不気味さを感じさせます。唯一の生命である木々の美しさが際立つことで、どこか終末感が漂う風景です。 昼間から一転。『呼応する木々』と共鳴するovoidは森の生態系の一部となることで、『どんぐりの森』は姿を現します。おや? 街

心地よい「ひとりぼっち」を、ひと駅分走る【六会日大前~善行】

※方向音痴の意識低い系ランナーが、月に一度、ひと駅分だけ走るエッセイです ツイてない。今月はとにかくツイてない。 先月末に思い付きでやった「ひと駅ラン」がけっこう面白かったので、今月もやる予定だった。しかし、走ろうと思った日に限って、ことごとくジャマが入る。先々週は体中に世界地図のようなじんましんが出て延期、先週は踏切を渡ろうと小走りしたら足の親指を捻挫して延期。ちなみに、全身のじんましんも足の親指の捻挫も、三十一年間生きてきて初めての体験である。なんなんだ。ランニングの神

島原で『乱』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode15〜 長崎編 ”

前回のあらすじ~ 広島で『爆心地』を走る ~ " この世界に散在している『片隅』たちの存在に目を凝らし耳を傾けて、さまざまな場所でさまざまな立場の人によって送られた日常を拾い上げていくこと。これによってより多くの視点を得ることができる。” 島原で『乱』を走る15回目を迎えた当連載、今回のテーマは『長崎』だ。 正直、長崎という土地にはあまり印象がない。今から20数年前には熊本と福岡に1年半ほど住んでいたことがあり、九州には強い思い入れがある。あるのだが、長崎に対してはあまり

広島で『爆心地』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode14〜 広島編 ”

前回のあらすじ〜 万代で『雪道』を走る 〜 “ 出来る事ならまたひょんなきっかけで新潟との縁ができればとも思う。なぜなら、私はまだ万代バスセンターのカレーライスを食べていないのだから。” 映画『この世界の片隅に』 2016年11月、映画『この世界の片隅に』が公開された。こうの史代作のマンガを原作に、片渕須直監督がクラウドファウンディングを駆使して制作資金を集め、苦心の末に完成にこぎつけた作品だ。 【あらすじ】 1944(昭和19)年2月、主人公すずは広島市から呉へとお嫁

主体的に走るということは楽しむという回路へ接続することである

車で走るということ 自分は車の運転が嫌いだった。どのくらい嫌いだったかと言えば、自家用車を手放したときの理由がバッテリー上がった為である。  どういうことかというと、移動手段として必要なくなったらバッテリーが上がるまで乗らなくなったのである。  自分は自家用車を手放した当時、車をただの移動手段としてしか捉えていなくて、しょうがなく所有し運転していたのである。  本当にそうだったのか。  いや、以前はそうではなかったではないか。  ここからは少しその事を考えるきっかけになっ