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月2000円だけ寄付をしてみたら、漠然とした不安が溶けていった話。

5〜6年前から寄付をしている。
と言っても、月々ほんの小さい金額だ。
正直にいってしまうと、ずばり月2000円。

寄付を始めて驚いたことに、大きな恩恵があった。
それは寄付控除とかそういった実務的なことではない。
自分が精神的にすごく落ち着いたのだ。
漠然とした不安が軽減され、逆に漠然と社会が信頼できると思うようになった。
寄付は何かの見返りのためにするものじゃない、という意見の人もいるかもしれない。
もちろん見返りは期待するものではないが、あればあったで嬉しい。
今回はそんな驚きの話。


月々の寄付をすると、恩恵が日々ひたひたと自分に影響を与える。
払っているのは自分なんだけども、与えることで与えられるという考えに近い。
言語化が難しいが、自分が見返りなく払ったことで、私が困った時もきっと社会や誰かが助けてくれると体感的に信じられるようになるというかんじだろうか。
漠然とした不安が溶けていき、漠然と社会や世界を信頼できるようになった。
そのためには、一度の決断や出費としてでなく、生活の一部として、ライフスタイルとして月々寄付をすると効果的だと思う。
毎月払っている方が、寄付先の団体を応援して伴走している、寄り添っている感覚も強くなる。
これらはもちろん検証が難しいし、即効的なものではないかもしれない。
でも私は確かに効果があった。


寄付は少ない金額で充分だ
もちろんたくさんあればたくさんしてもらっていい。
私が月2000円に決めたのは、私の経済的心理的に負担にならない金額だからだ。
金額はいくらでもいい。
100円でも1000円でも、その寄付先が受け入れている最小金額で全然いいと思う。
私ももう少し寄付したい気持ちはある。
でもこれ以上になると負担感があると思った。大事なのは無理せず継続することだ

この2000円は、私が新卒で社会人になったとき各社の初任給が約20万円くらいだったその1%相当分だ。
そしてちょっといいランチ1回分や、お茶2回分くらいだ。
それくらいなら負担なく自分の行動から減らすこともできる。
これは後々無職になった時も寄付し続けるためにとても大切なことだった。


そもそもの寄付のきっかけは、ミニマリストの本を読んだことだった。

そこには、ミニマリストでは不必要なものを買わなくなるぶん、お金に余裕ができる。
それを自分の関心のある問題に寄付することを勧めていた。
余裕があるわけではないが、試しにやってみようと思った。
それ以前に読んだ本に、アメリカなどキリスト教圏の国では富裕層でなくても寄付する文化が根付いていると書いてあった。
それぞれが、モノやお金やボランティア活動などそれぞれにできる形で寄付や献身をする。
それは自分だけでお金を留めたりするよりも豊かに思えたのだ。


寄付すると決めたら、大事なのはどこに寄付するかだ。

微々たるお金でも、私にとっては大切なお金だ。
しっかり役立ててくれるところに寄付したい。
自分が貢献したいと思える社会課題が何か考えるところからはじめるといい。
私はもともと国際協力に興味があったが、寄付をするとなるともっと絞り込む必要がある。
調べる中で自分の興味が紛争解決(武装解除など)と難民問題にあるとわかった。
お金を出すとなると真剣に選ぶ。
寄付は自分の問題意識が世界や社会のどこにあるのか深く考える機会も与えてくれ、自己分析にもなる。

私は、ある団体に月々の寄付をすることに決めた。


寄付しはじめた当初は、寄付がこんなにいい影響があるもので、こんなに続けることができるとは思っていなかった。
声を強く言いたい。
本当にいいものなのだ。
誰かの助けになることも素晴らしい。
それだけでなく、それが自分のためにもなる。
人によっては、自己肯定感が上がったり、新しい興味分野が見つかるかもしれない。


書く習慣1ヶ月チャレンジ中。
今日は、26日目。


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