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変革期にこそ「Who am I?」

元日リリースのTV CM「トヨタイムズ」が面白い。クルマに興味なく、免許すら持たない筆者でも人間には興味がある。楽しそうな章男社長に釣られてCM用の短縮版ではなく20分強のロングインタビュー版を見た。章男社長の言葉には変革時代に自問自答する人や企業へのヒントがあると思う。

近年、「100年に一度の変革期」と危機感を訴え、メディア報道では笑顔をあまり見ないように思えた章男社長がまるでやんちゃ坊主のように楽しそうにスポーツカーを運転している。

車中インタビューに応えながらもスープラでコーナーを攻めまくる社長。
運転は「なるべく一筆書き」と話す。

「しっかりブレーキングで落として、先が見えたらアクセルを踏む。あまりこちょこちょハンドルをいじらない方が運転は楽。そうすると目線がどんどん遠くになる。遠くになるということはそれだけ安全な運転になる。」

これは企業経営にも通ずる言葉ではないだろうか?
経営者は会社のハンドルを握るドライバー。目先のことに翻弄されてこちょこちょ動くよりも、目線を遠くに置き、先が見えたらアクセルを踏む。

「社長の人生も一筆書き?」と聞かれ、「いやあ、僕はあっち行ったり、こっち言ったり。。ここで消しゴムで消したいけど消せないとか。。。」と笑う章男社長。

お坊ちゃん育ちでレールに乗って・・・と思われがちだが、実際は悩んでばかりだったという。自分で悩み、自分で選ぶことをさせてくれた家族や職場の人たちへの感謝を語る。

自分って何なんだろう?Who am I?

かつてこの本質的な問に悩んだ結果、「自分で真実を追求し、自分が選んでもらえるような人になっていきたい」と考えたそうだ。

そして今、「クルマの真実とは何か?」という本質的な問と向き合っている。出した結論は”すべての方に移動の自由を、すべての方にFun to driveを”だった。

フルラインメーカーとしての強みを活かして「選択肢を次世代に増やしてあげること」を選んだトヨタ。ガソリン臭いクルマが好きな人にも身体が不自由で移動が難しい人にもモビリティを提供する。

VUCAと言われる状況下、カオスのなかにあってこうした結論に至ったのは詰まるところ、社長の個人的な想いや価値観だったのではないか。根底には個人の感情があるだろう。

実際、ロングインタビューのなかで社長はこうしたい、ああしたい、これは好き、こういうのは嫌、ということを言っている。

「一番正直になれる場所」というクルマのなかで「一番好きな車は?」と聞かれ、「もう、うるさくて、ガソリン臭くて、そんなクルマ!大好きですね~♪」と笑いながら答えている。

一方で、「地球人として有限のもの(ガソリン)は大事に無駄なく使っていかないと。未来を担う人たちに『おじさん、ガソリン使い過ぎたから、僕たちはなくなっちゃった。』とは言われたくない。」

「あのおじいちゃん、いいことやってくれたよねと言われたい。滅茶苦茶にされたと言われるのは。」

「コモディティになって『なんでもいい』と言われるのは悲しい。リアルな商品を作っているリアルな会社として拘っていきたい。」

「クルマって楽しいんだなというところで選ばれる存在になりたい

トヨタは「未来を、どこまで楽しくできるか。」追求すべく未来に向けて始動した。不確実な未来に動揺し、こちょこちょやったり、他者に拠り所を求めたり、預言者の到来を待って立ち止まったりすることなく。。。

「未来のことは私にはわからない。私は預言者ではない。私やトヨタが未来を決められるものでもない。決めるのは未来を生きていく人。そのときに『あなたの未来、これしかないよ!』と言われたら、それはワクワクしないじゃないですか。」

「未来にはこれが正解ですよ!というのは我々もわからないし、お客様もわからない。なら、一緒にいろんなものを試しながら今やっておこうよ!

「トヨタだからできることがある。」でも、「トヨタだけではできない。世界中の皆さん、一緒にやりませんか?この指止まれ!多くの賛同者と共に未来を始動させたい。」

「仲間と共に一緒に戦いたい」気持ちの強い章男社長は未来へのアクセルを踏みつつも、ミラー(鏡)を通して自らを客観視し、真実を求める姿勢を忘れてはいなかった。

「世の中のためになろう、お客様の笑顔を求めてやろう、未来のために何かしよう、と言ったところで、やっぱり自分本位になってしまうのが大企業。(ミラー)のように『ちょっと違うんじゃない?』とこれからも言い続けて欲しい。疑問に思ったことをそのまま言ってもらい、それに答える社員を見て欲しい。」

最後にそう香川編集長へ語ったが、これは社員、仲間への信頼がなければ言えない発言でもあるだろう。

以前、can,must,willでキャリアやイノベーションについて書いた。

最近は良くも悪くも社会貢献やSDGsを声高に叫ぶ企業が多いが、周囲を気にしてmustを意識し過ぎると綺麗な言葉ばかりが並んでしまう。それで結局何をしたいのかがわからないことも多い。全社で腹落ちできず行動に繋がらないものを掲げても意味がないし、それでは変革の時代を生き抜くのは難しいだろう。

経営者と社員、関係者みなが共感、納得感をもって取り組めるもの。言葉に力のあるもの。そうしたものはやはり一人のwill感情から始まるものだと思う。

社会的使命を意識することが悪いわけでは無論ないけれど、頭でっかちになり過ぎると良いことはないのではないか?

経営者やそこに属する人々が日頃から人や仕事に対して深い想いを持っていれば自ずと個人の感情から湧き出るものはあり、やりたいことは語るべき言葉となって表出するものだと思うのである。










歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。