見出し画像

「推し、燃ゆ」宇佐見りん

なんでこれが芥川賞なんだ?
と思いつつ、エンタメ作品ばかり読みふけっている自分に、純文学の良し悪しがわかるはずなかったかぁ、とため息。
ただ、読むのを途中でやめることなく、最後まで惹きつけられて読んだ。
芥川賞作品を読むといつもこう。
読んでいるとそこそこ面白く、止められない。
で終わった後に、なんだったんだこの作品は?となる。
読むのやめればいいのに、ひょっとして癖になっている?

本作は、推しのアイドルの為にすべてをささげる女子高生が主人公、最初は単なる熱狂的なファンかと思いきや、少しずつ彼女が病んでいるという事実が読者の前に描かれていく。
推しの男性アイドルがファンを殴り炎上、そこから病みはどんどん加速する、という話。

好きな作家がいる、好きなシリーズがある、そいう感情も”推し”というのかな?
他人に自分の人生の軸をあずける感覚が自分には理解できない。
なので、主人公のほぼ”推し”の為に生活している様子を見て、こんな世界があるんだ。。という感想があった。
世の中にこれだけ”推し”という言葉が普及しているということは、”推し”というのは悪いことではなく、1つの生活スタイルなんだろう。
ただ、この本の主人公の状況を見ると、誰かを過剰に推すことが悪な気がしてしまうんだ。

何かを偏愛することは良いことなのか、悪いことなのか。
正常なのか異常なのか。
自分は、やっぱり異常だと思う。
ただ、微量なら異常なほうが現代を生きていけるのではないかと。
酒だってそう。
なんだかんだ言うけどあれは毒だ。
微量な毒が人に幸福感を与え、生きる活力を与えてくれる。
生きていくのはつらくて、世界中の人々はうっすら狂う。

狂いにセーブをかけない人物を見るという不思議な快感。
狂う道具に現代の”推し”を選んだのが評価された理由なのかもしれないな、と思う。

散々”狂う”っていったけど、今は世の中が狂っている気がする。
様々な技術・それで提供されるメディア、起きてても夢を見ているのと変わらない。
現実感がなくふわふわ、ふわふわ。
こんな世の中、何かで狂わずに生きていく人の方が、狂人なのかもね。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?