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自由になりたくて起業して6年。今のところ順調


個人事業をもう6年もやっている。「3年続く人は少ないよ」と言われていたけど、確かにその言葉には一理ある気がする。独立した手の頃に付き合いがあった人の中で、いまだにビジネスを続けている人は…数えるほどしかいない。


ビジネスを辞める理由はたくさんある。思ったより稼げなかった。未来のことを考えて怖くなった。別の仕事がしたくなった。今は気軽に転職するのがフツーの時代だし、少し「なんか違うな」と思ったら辞めるのも手なのかもしれない。


価値観は人によってそれぞれだから、はじめる理由も、終わらせる理由も、人それぞれでいいと思う。僕が事業を終わらせない理由はなんだろうな…「終わらせる理由がない」が近いのかも。


僕は自由になりたくて起業をした。それまでずっとスポーツに打ち込んできて、「強くなるためならなんでもする」というマインドで生きてきた自分。たくさんの人に支えられて社会人になっても競技を続けられていたけれど、その分プレッシャーも重かった。


大好きなスポーツを思う存分できる環境に恵まれているのに、毎日胃が痛かった。「6年後の東京オリンピックに出ます!」と心の底から言えていない自分が悔しかった。ぐらついたメンタルはすぐにパフォーマンスに出た。


学生時代の記録も出せなくなり、勝てる試合で勝てなくなり、恩師と衝突するようになった。結果が出せないアスリートは無価値。本気でそう思っていたし、期待に応えられない自分が嫌で嫌で仕方なかった。


会社はボランティアで僕を雇っているわけではない。僕に払ってくれる給料も、遠征費も、全て投資だ。リターンを返さなければいけない。なのに僕は会社でもグラウンドでも孤立している。たった一人で戦うことに疲れてしまったのかもしれない。


あの時の気持ちは忘れられない。応援はしてもらっているのに誰も味方がいない。結果を出さなければ成り立たないポジションにいるのに、勝てる算段が全くない。毎回死ぬ覚悟で試合に出た。なんとかなる試合もあったけど、ほとんどなんとかならなかった。


試合が終わって電話をかける手が震えた。電話口の偉い人も「あー…まあ次頑張ってね!」と腫れ物に触るようだった。「お前もう向いてないからやめろ」と恩師は何度もハッパをかけた。もう何が何だかわからなくなった。


負けて、死んで、また試合に出て、負けて、死んで。それを2年繰り返したら、ある日プツッと切れた。僕はグラウンドを去った。もうこれ以上一人で戦える気がしなかった。一人で戦うことに意味を見出すことができなかった。


そんなことがあった後だから、どうせなら思いきり自由に生きたかった。そんな時、たまたま起業という選択肢が目に入った。


今までの人生には戻れないし、今まで培ってきた人間関係もほとんど壊れちゃったんだから、これからは自由に生きていいよね。誰かの期待に応えなくても、生きていいよね。そんな気持ちで起業をはじめた。


とにかく自由になりたかった僕は考えた。どうして大人は働くんだろう。


「楽しいから」って言う人もいるけれど、それが理由の全てなら「楽しくなければ働かない」が成立してないのはおかしい。


多くの大人は楽しくなくても仕事に行く。なんで?お金を稼がなくてはいけないから。生きていくにはお金がいる。どれだけ綺麗ごとを言っても、生きていくには稼がなければいけない。


食べるにも食費が、寝るにも家賃が、移動するにも交通費がかかる。子供がいれば教育にもお金がかかる。日頃温厚な親父が酔っ払った時には「だれが稼いできてると思ってんだ!」と声を荒げることがあった。


大人(少年時代の僕から見えた)はお金を稼ぐために会社に行き、給料をもらい、暮らしているらしい。


だから自由に生きるためにはお金の稼ぎ方を変える必要があると思った。僕はお金の稼ぎ方を『会社に就職してお給料日に振り込んでもらう』以外知らない。これでは自由になれない。


だから稼ぐ方法を学んだ。起業したい、というより「会社員になる以外の稼ぎ方を身につけたい」と思っていた。僕にとって会社に勤めることは自由ではなかった。


どれだけ理解のある会社に勤めていても、「自由に働けています!」と言える状況だったとしても、それは「自由を与えられている」だけで、そもそも自由は与えられるものじゃない。そんな「自由っぽいもの」にすがりたくない。


人生の大半を使う「仕事」をガチャにしたくない、でも自由に生きたい。そうなったらもう起業しかない。「リスクがあるよ」って散々言われたけれど、会社員だってめちゃめちゃリスクあるやんけ。上司ガチャ社長ガチャ営業所ガチャやんけ!!!


つまるところ、起業を必要以上に恐れている人は、「人と違うこと」を恐れているだけで、リスクを適正に測れているわけではない。生きている以上ノーリスクはあり得ない。ノーリスクに見えているなら、それはノーリスクに見せられているだけだ。


どうせ生きていく以上は何かしらのリスクを取らなくてはいけない。だから僕は「どうせなら個人で稼げるリスクを取って、自由を得たい」と思ったから起業した。今のところ6年経つけれど、自由だ。


自由すぎて戸惑うことも、暇すぎて余計なことに悩むことも、もっと稼いでいる人を見て落ち込むこともあるけれど、生きていくのに必要なお金を個人での活動で賄える生活はかなり健康的だ。


まず理不尽に出会わない。「なんか違うな」って思った人とは仕事しない。人間関係がガチャじゃない。出社もない。定時もない。行事もなければ理不尽な上司もいない。


仕事をするときは一人だけど、時間がたくさんあるから個人的なつながりを大事にできて、結果として寂しくない。仕事を辞めたら縁が切れるような人間関係はほとんど持っていないから、変なタイミングで虚しさに駆られることもない。


あと最高なのは毎朝アラームをかけずに自然に目覚められること。自由だ。


多くの人はこの自由に耐えられないらしい。「自由になりたい」というけれど、心の底では自由になることが怖いんだってさ。


僕にはその気持ちが1mmもわからない。『周りに人がたくさんいるけど心は孤独』ってことがあるじゃん。実際に僕がスポーツ選手を辞める時がそうだった。今は物理的には一人の時間が多いけど心は全然孤独じゃないね。楽しいよ。


つらつらと書いてみたけど、どうして僕が個人事業を6年も続けられているのかの回答は、「この生活が好きだから」に尽きると思った。楽しいからね、やめたくないよね。


だから個人で稼ぎたいなら、楽しまないと損だよね。たくさん稼いでも楽しくなくてやめちゃった人を何人も見てきたから。自由は楽しいけど、受け身じゃ何にも起きないからね。起業は楽しんだもん勝ちな世界なのかもね。おわり



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