ひとりでも生きていける、それでもあなたと一緒に生きたい【自由と経済的自立の話】
僕は比較的両親と健康的な距離感を保てているほうなのだけれど、それは「経済的に自立していること」が根本にあるのかなあ、と思った。
うちの実家は今住んでいるところから車で10分くらいの距離にある。
娘ができてからは毎週土曜日に必ず実家で夕食を取るようにしていて、それは「孫の顔を見せてやりたいから」という義務感からではなく、シンプルに楽しいからであり、「うっとおしいな」と思ったことは一度もない。
両親は僕に対して何か口出しをすることはないし、僕にとっての親子関係はそれが当たり前のことだったから、「なおとさんは両親と仲がいいですね」と言われるまで特別仲がいいとすら思ったことはなかった。
というか、人生の重要な局面で「親はどう思うか」と考える人が少なくないことをコーチとして活動するようになって初めて知った。
「え、親は関係ないじゃん」と言えてしまうのは、干渉してくる親の厄介さを知らないからなのだと思う。
世の中にはドン引きするくらい子供の人生にバリバリ干渉してくる親が、びっくりするほどいる。
話を聞くたびに毎回ドン引きしている。それは僕が幸せな環境にいるからなのだろう。
もし僕の両親が僕に干渉してくるタイプだったら、間違いなく僕は実家に寄り付かない。
実の親だろうと「うるさい黙れ」と言えてしまう性格だし、きっとうちの両親はそれをわかっているから、全くと言っていいほど干渉をしてこない。
そう考えると、僕の両親は僕に対して「人としての敬意」を払ってくれているのだと思う。
僕の自由意志を尊重して、「会いたい」と思える親である努力をしてくれているように見える。息子としてこんなに幸せなことはない。
だって僕は両親を愛しているから、コントロールしようと思えばいくらでもやりかたがあるはずだから。
「親のことは好きじゃないけど、子としての責務を果たすためにイヤイヤ顔を出さなければいけない」という状況を作り出さないでいてくれる強さ。
親と子という絶対的な上下関係を簡単に埋めてしまう間柄の中に、実の息子を自由意志を持った他人として扱ってくれることのありがたさ。
そしてこの関係が成り立つもう一つの要因として、タイトルにも書いた「経済的な自立」があるのだと思う。
僕には歳の離れた弟と妹がいたから、昔から「下がいるからお金に関しては期待するな」と言われ育った。
それが当たり前だと思って生きてきたし、大学は学費免除で実家から通えるところに通った。
22歳で家を出てそこから結婚妊娠出産に至るまで、経済的な援助はほとんど受けた記憶がない。
両親はいつも「あんたには何もしてやれてないから」と言うけれど、僕はそれが当たり前だと思っていた。
だけど周りの人の話を聞いてみると、意外とそうでもないらしい。
特に「金も出すし口も出す」タイプの親の場合はきついだろうな、と思う。
マイホームの頭金を出してもらったなんて話をよく聞くけれど、大きな援助を受ければ受けるほど「親の意向」が人生の重要な要素になってきそうな気がして、ぞっとする。
株式会社では社長ではなくてお金を出している株主が一番偉い。社長は利益を出し株主に還元する義務がある。お金を出す人が一番強いのだ。
そういう視点で考えると、僕の家庭は「持株100%」みたいな状態と言えるかもしれない。
経済的に自立しているから、社長である僕が独断と偏見で方向性を決められるし、誰かにお伺いを立てる必要もない。
これは何も親子関係に限った話ではなくて、家庭内でのパートナーとの関係も同じことが言える。
自分に稼ぐ能力がなくてパートナーの稼ぎで暮らしている状態では、どうしても対等な関係を結ぶことは難しくなる。
たとえ今は稼いでいなくて相手の収入に依存した暮らしをしていたとしても、「その気になれば自分で稼いで生きていけますけどね」という状況を作るに越したことはない。
「一人でも生きていける、それでもあなたと一緒にいたいのよね」と思える状況が、健康な人間関係を保つ秘訣。
だから僕は個人で稼ぎたい人を応援したい。
個人で経済的に自立することは、この資本主義社会で自由に生きるためにはマストなことだと思うから。
いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。