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「お客さんの未来」は売りません。



「ドリルを売るな、穴を売れ」という言葉があります。セールスの基本を伝えるときなどによく引き合いに出される例え話です。ドリルを買いに工務店に来たお客さんが本当に欲しいのは「穴を埋めること」なので、ドリルを売りたいならお客さんに「穴を埋めたらこんなにいいことがありますよ」ということを伝えよう。よくできた話です。コーチングの業界でも同じようなことが言われています。「コーチングを売るな、クライアントの未来を売れ」と。「ライザップは痩せてカッコ良くなった未来を売ってるんだよ」すぐにライザップの話を引き合いに出すのもこの話が大好きな人の特徴です。もちろん僕も何度この例えを使ってきたかわかりません。でも最近はどうもこの考えに納得いかない部分が出てきました。6年もフリーランスでコーチをやっていると、色々なクライアントさんが僕の元を卒業していきます。その人たちを見ていると、どうも腑に落ちないのです。クライアントさんたちの満足度は果たして「得たい未来が手に入った」ことなのか?僕を選んでくれた人たちは未来に投資をするつもりで僕にお金を払ってくれたのか?そもそもこの人たちがセッションを通して手に入れたものはコーチが提供したコーチングの成果なのか?何を持って成果というのか?色々なセッションを経験すればするほどわからなくなってきました。ただ一つ言えることは、「ああこの人に出会えてよかったなあ」と思えるクライアントさんとのセッションを振り返ったとき、必ずしも他人から見てわかりやすいような成果が出ているわけではないということです。「コーチングを受けてこんなふうに変われました」と友達に自慢できることだけが全てではないと、僕はどうしても感じてしまうのです。コーチとクライアントという関係を飛び越えて、ずっと昔からの友人のような、同じ感覚を共有できる同志のような、そんな気持ちにさせてくれるクライアントさんがいるのです。そんなクライアントさんに出会えた時に、僕はこの仕事をやっててよかったなあと感じます。僕を通していくら利益が出たとか成果が出たとか、そんなことより(もちろん嬉しいのですが)、「なおとと一緒にいられて楽しかった」「共有した時間が楽しかった」と言ってもらえた方が、何倍も嬉しいのです。コーチとして研鑽を重ねた人とは決定的に違う感覚かもしれません。僕はコーチングのプロフェッショナルではないので、コーチという役割を全うすることに指名を燃やそうと思いません。ただ僕は僕として、僕の存在を喜んでくれる人と、一緒に時間を過ごすことを生業としたい。お客さんの役に立ちたいとは思っていないのです。行動は存在の尊さに勝てないからです。僕の娘は僕にたくさんの喜びと感動を与えてくれますが、娘は僕に何かを与えようとしてくれているようには見えません。ただ一生懸命毎日を生きているだけです。それでも僕は毎日娘の笑顔を見ると涙が出そうなくらい嬉しくなります。僕が目指すのはこれです。相手を喜ばせようとするのではなく、存在そのものを喜んでくれる人と、何の制限もない自由な対話を楽しむ。ここに価値があると信じているから、選ばれるための努力をしません。僕は探しているだけです。僕と言う存在を喜んでくれる人を。僕と関係を持つことで人生が明るくなる人を。誰かの役に立つために知識や技術を身につけるのではなく、どうしようもなく役に立ってしまえる人を探して歩くのです。だから僕は「お客さんに得たい未来を売ろう」とは思えません。「僕と関わりたいと強く願ってくれるひとに出会おう」と考えています。この世界に存在する99.99%くらいの人にとって僕は非常にどうでもいい存在です。ただ1万人に1人くらいは「こんな生き方がしてみたい」「その価値観に震えるほど共感する」と言ってくれる人がいてもいいはずです。僕はそこを信じています。だからより多くの人に選んでもらうための自己研鑽をしないのです。答えは自分の中にしかなくて、それを開発してくことでしか自分の作りたい世界は作れない。鎧を着込むのではなく、どんどん脱いでいく。そうして自分の身一つでこの世界を生きていく姿は、たとえ誰の心を動かすことがなかったとしても、自分の関心を引くことができます。「かっこいいじゃん、なおと!」と僕自身が思えれば、僕は僕を嫌いにならずにすむのです。そのついでに1万人に1人くらいいる物好きで変な人に見つかってしまえば、自分らしさと経済活動の両方を兼ねることができるんじゃないか、そんなたくらみです。だから僕はお客さんの未来は売りません。僕は僕の存在(=命)を売ります。僕のお客さんは「僕の存在を喜んでくれる人」です。僕と関わることそのものが目的となり、あとは勝手に学びたいこと身につけたいことを僕との時間から抽出してくれる人です。「何を言ってもいいわよ、そのかわりおもいきり自由に頼むね」と言われると僕は嬉しくなり、ついつい全力を出してしまいます。コーチとしての僕を求められたときよりも、僕としての僕を求められた時のほうが結果としてパフォーマンスを発揮でき、大きな価値を提供することができます。これも自分に対する分析を限りなく重ねてきたからわかったことです。きっとこの文章も80%の人が「読みにくいな」で離脱をし、「何を言っているかわからない」で10%の人が不快感を感じ、9.9%の人は「なるほど!新しい考えだ!」と得した気分になり、0.1%くらいの人が雷に打たれたような衝撃を感じることでしょう。そのうちの10人に1人くらいが将来的に僕のお客さんになったらいいなって感じです。そんなことをたくらんで生きています。おわりです。

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