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お金を『稼ぐ』と言う感覚

「サラリーマンを20年も30年もやってるとな、お金は『もらえる』ものであって『稼ぐ』って感覚はなくなっちまうんだよ」


おっちゃんの言葉で思い出したのは、東京行きの飛行機代を稼ぐために10日間だけ行ったバイトのこと。

その時までの俺は、自分の力で稼ぐどころか、アルバイトすらしたことがなかった。

ずっとスポーツをやってて、ありがたいことにそのスポーツをやってるだけで生きていける環境だった。

大学の授業料も免除。遠征費も全部出してもらって、社会人になってもしんどい状況はあったけれど、お金のことを気にしたことなんてない。

恵まれた23年間を送ってた。

それがありがたいことだなんて頭ではわかってたけど、心の底ではそれを当たり前にしている自分がいた。

もちろんその時はそんなことすらわかっていなかったのだけれど。

スポーツをやめて、自分に社会的な価値がなんもなくなって初めてお金を稼ぐため『だけ』にバイトした。

もう誇張でも何でもなく、死ぬかと思った。

「家壊すだけの簡単な仕事だから」って紹介された現場。クレーン車でぶっ壊したアパートの柱が1m横に落ちてきたこともあった。

みんな防塵マスクをつけているのに、何も知らされていない俺は給食当番がつけるような布のマスクをつけていた。

そんな状況で稼いだお金。1日1万円。

これでも友人の紹介で派遣会社を通していない分、ほかの作業員よりも高かった。

1万円を稼ぐことがこんなに大変なんだ、と身をもって痛感した。

今までの俺は恵まれていたんだ。真冬なのに作業着はぐっしょり濡れていて、触ると粉塵と混じった汗が泥のようになって指先につく。

俺が競技場でかいてきた汗と違う、どろっとした汗。

人の出入りが激しい現場では名前で呼ばれることはない。俺の名前は「なおと」ではなく「大きいにいちゃん」で、それよりも「おい」と呼ばれることの方が多かった。

こんなに。こんなに違うんだ。

俺は自分の名前が大会の結果で最寄りの駅に垂れ幕としてかけられるような人生を送ってきた。

でも今は「おい」で、名前すら呼ばれない。

今までは『出張申請』を1枚書くだけで得られていた飛行機のチケットを、泥の汗をかかないと手に入れられない。

この時の経験は本当に大きかった。

「東京の地面は夢破れた人たちの屍でできている」と歌ったアーティストがいるように、日本で一番の都会は日本で一番競争が激しい場所だ。

『泥汗の1万円』と交換したチケットを使って俺はそこに立った。

自分の好きなことをして金を稼ぐんだ。「おい」じゃなくて「なおと」と呼ばせてみせる。

スポーツ選手としては死んでしまったけど、もう一度名前を呼ばれたい。そんなマインドで俺は大都会を駆け回った。

「なおとさんは何でそんなに行動できるんですか」と何度も質問をされた。

当たり前じゃないか。あなたは今俺のことを「なおと」と呼んでくれた。俺はそれが当たり前のことじゃないことを知っているんだよ。

つい数ヶ月前まで俺の名前は「おい」だったんだ。

俺は今の仕事が楽しくて仕方ない。君は、あなたは、俺の名前を呼んでくれるじゃないか。

俺は「おい」じゃないんだ。「なおと」って言う名前があるんだ。

でもそのことは、自分で伝えなきゃ伝わらない。俺は伝えてこなかったから俺の名前は「おい」だった。

「おい」と呼ばれるしかお金を稼ぐ手段を知らなかった。

あの時の『泥の1万円』があるから、俺は自分の言葉を伝え続けることでお金を得られる今の生活が大好きだ。

金を稼ぐって本当に大変なんだよ。

「もらう」じゃないよ。「稼ぐ」なんだよ。

その感覚をあの時知ることができて本当に良かったと思う。「なおと」でいられる毎日が楽しくて仕方がないし、俺はこれからもこの仕事を続けるよ。

俺は「なおと」であり続けたい。

それが今の仕事に対する向き合い方の原体験なのかなあ、とコメダのおっちゃんと話して思いました、とさ。

何を感じるかは読者のあなた様に任せるので、なんか適当に感じ取ってください。おわり


駆け回った東京 これは中野の裏通りかな


「おい」の初日に行ったラーメン屋の話

現場仕事8日目、汗だくの作業着でタバコと缶コーヒーの昼休憩中にあった出来事を話した動画



元ツイ


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