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すべてを解決する魔法

「結婚したんだから、この先はずっと一緒だろ」

 と、夫は言う。

 奴の言う「この先はずっと一緒」は、「同じ部屋に帰る」ということだけで、同じ時間を積極的に共有することではないらしい。


 恋は、お互いだけに目を向けること。

 愛とは、二人で同じ方向を見ること。

 私は、同じほうを向いて、同じ時間を共有して、夫と過ごしたかった。恋人同士のときは、この人とならできると思っていた。結婚した今は、よくわからない。


 二年前の雪の日、夫は会社を休んだ。一日だけの休みのはずが、その先五ヶ月復帰できなかった。

 そんな夫に最初に勧めたのが診察で、地元の小さな診療所に夫は通い始めた。もっと評判のいい診療所は他にもあったのに、そういうところは電話しても「初診は紹介がないと」とか「今からの予約ですと、早くてひと月先です」とか、私たちの切羽詰まった(あの頃の私たちは、少なくとも私は切羽詰まっていた)状況では手も差し伸べてもらえない状況だった。だから、紹介も予約もいらない診療所にたどり着いたのだった。

 五ヶ月弱の通院のうち、二回ほど付き添った。医師は中年太りを通り越したくらい太った、眼鏡をかけたオジサンで、特に患者や診察に熱心というわけではなさそうだった。

「病名をつけるほどではないですね」

 と、苦笑を貼りつけて医者は言った。夫は、主に仕事のことで悩んでいる、と医者には話したようだった。曰く、「同年代に比べて年収が低い」「引き抜きの話があるが、畑違いの業界でやっていけるかどうか」等々。他にも消防団だとか、プライベートだとか、いろいろ悩みはあるようだった。

「人生上の悩みを解消できなくて、自律神経の異常が出てるね」

 思い切ってえいやって道決めちゃえば、そんなにはならないんだけど、とでも言いたそうな雰囲気だった。付き添いの診察では、特に症状を詳しく訊くわけでもなく、悩みや様子を訊くわけでもなく、診察時間は十分もあるかないかで、「最近どう?」「薬出すけど、飲んでも飲まなくてもいいよ」というやり取りが定番で、「心療内科の診察って、こんな感じ?」と拍子抜けするくらいだった。薬も飲んでも飲まなくてもいいって、どういうことなの?

 不眠の薬と、意欲の出る薬と、あとよくわからない三種類の薬が出た。「意欲の出るお薬に期待だわ」という夫に、私も期待した。

 けれど、即効薬はない。ないどころか、「薬は飲んでも飲まなくても」と言う。結局は本人の気力次第だから、ということらしい。気力次第で、眠れなくなったり、食べなくなったり、会社に行けなくなったりするのだろうか。結局、薬ではどうにもならなかった。

 そんな魔法のような薬は、ないのだ。


 結婚はすべてを解決できる魔法だと思っていた。

「結婚を前提につき合おう」という、はじまりの言葉をずっと信じていた。目の前に人参をぶら下げて走る馬のように、夫との結婚を目指して突っ走った。結婚してしばらく経った頃も、すべてを解決できる魔法だと信じ込んでいた。

 そんな魔法があればいいのに。そしたらあの頃の自分は、縋らずにはいられなかっただろう。もしかしたら、今でも。



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